血溜まり

文字数 4,064文字

「ほぎゃあああああ!!ほぎゃあああああ!!」
「っ!?」

 三者の間で散っていた火花が引火しようとした瞬間、突然赤子の泣き声が響き渡る。それが藪蚊赤子の泣き声と気付いたスズランとメノウは、動きを止めざるを得なかった。
 二人の視線の先には藪蚊赤子を抱えたユキがいる。毒を受け、死を待つだけの身だった藪蚊赤子の顔色に赤みが差し、みるみるうちに血色がよくなっていく。

「……嘘ー」

 メノウが呆然とした声を出すのも当然だった。
 スズランの毒の最も恐ろしい点は、解毒剤が存在しないことだ。一度受けたが最後、自然治癒に身を任せて体外に毒を出す以外に回復する手段がない。だからこその必殺でありスズランが七羅刹の一人に数えられる所以だ。それゆえに目の前の光景を信じられない思いで見つめる。

「えぐ、えぐうぅぅぅぅぅ」

 誰しもが見つめる中、ぱちりと目を覚ました藪蚊赤子はスズランと目が合うと、怯えた顔になってユキの背に回って身を隠す。スズランの毒がよほど苦しかったのか、完全に戦意喪失して泣きじゃくっていた。
 仮に藪蚊赤子が再び敵に回ったとしても、相性の関係で大した戦力にはならない。藪蚊赤子の攻撃手段である蚊の大群による吸血攻撃は恐ろしいが、スズランの毒やメノウの熱には無力だ。
 ただ、スズランの毒が無効化されたという事実だけが、彼らに精神的なショックを与えていた。スズランの毒は治療不可能だからこそ脅威となりえるが、そのアドバンテージが崩されれば捨て身の攻撃を受けかねない。

「頭に血が上っているところ悪いのだけど……」

 全員の注目が自分に集まったことを確認し、ユキは藪蚊赤子を背中に隠したまま言葉を紡ぐ。

「死人が多くなって不愉快になってきたから、口を挟ませてもらうわ。このままだと共倒れになりそうだし、落とし所を見つけて手打ちにしてほしいのだけどどうかしら?」

 冷静な物言いをしているように聞こえたが、その声には震えが混じっているのはすぐにわかった。この場で一番か弱い存在は自分であり、誰かが牙を剥けば瞬殺されるであろうことを理解しているのだ。
 だが、誰もが動けない。確かにユキはこの場でもっとも弱い存在なのだろうが……同時に、今この場の空気を支配しているのは彼女だった。

「……えーっと、俺の存在意義を全否定されて、少々かなりそこはかとなく致命的にショックを受けている次第なんですが?なにやらかしやがってくれましたか、オタク」
「? 知らされてないの?私は――」

 だが、ユキの言葉は突然西方から上がった大きな音にかき消された。目を向ければ、西の空に大きな赤い光の玉が上がっていた。

「っ!?」

 また何か、妖怪たちの特殊能力による攻撃かと思って身構えたが、すぐにそれが照明弾の灯りだと気付く。だが、スズランたちはその符丁に覚えがなかった。
 逆に、西方に上がった光の玉を見たナナフシは、ただでさえ大きい目をさらに大きく見開かせる。西の空とユキ、そしてスズランを見比べて、何か思案し始めた。額から汗を流し、その顔には明らかな焦りが浮かんでいる。

「?」

 理解できずにユキと藪蚊赤子の方へと視線を向ける。ユキもスズランと同じく疑問の表情を浮かべていたが、すぐに何かを理解したらしく険しい表情になる。藪蚊赤子の方は、泣くのをピタリと止めていた。心配そうにナナフシを見上げていた。

「ナナフシ」

 凛とした声でユキはナナフシに言う。ナナフシはびくりと身体を強張らせ、ユキの方へと顔を向ける。

「あなたはあなたが真に守るべき者を優先しなさい。生きていればやり直すことができるけど、死んでしまえばそれまで。彼らの目的が私の誘拐なら私はすぐに死ぬことはない。私とサクラ、今優先して守るべきはどっち?」

 毅然と言い放つユキに、ナナフシは明らかに気圧されていた。彼女の命令を聞く義理はないとナナフシは言ったが、今は無条件でその言葉に頷いてしまいそうになる。

「……ぼうずぅ、俺に掴まれぇ」

 その言葉を受けて、藪蚊赤子はユキからナナフシへと跳び移る。
 ナナフシは一度忌々しげな目をスズランに投げやると、四つん這いになって一目散に西方へと向けて走り去った。その姿はまるで蜘蛛のようだ。長い手足のおかげもあって、かなり速い。全力で追いかければ追いすがることもできなくはないが、それをする意味もないので、スズランたちはあっさりと追撃を諦めた。

「助かった……のかなー?」

 勝敗をつけるならスズランたちの勝ちだろうが、欠片も勝った気がしない。スズランとメノウは同時に膝を突いた。
 メノウの右手は砕かれ、スズランの身体はズタズタ。ダメージは明らかにこちらの方が大きい。あのままやりあっていれば、勝率二割・相討ち五割といったところだったろう。二度と戦いたくない相手だ。
 相手がこちらに臆したというわけではないだろう。それならせめて、ユキも一緒に連れて行こうとしたはずだ。
 ナナフシが突然逃げ出した理由を考える。きっかけはどう考えても、西方に上がった照明弾だ。九頭竜側のものでないなら、あれはナナフシたち蓮蛇勢力の符丁だろう。
 確か、西方では蓮蛇の本隊が霧見一族の兵隊とぶつかっているはずだ。
 ならば、あれはきっと事態の急報を告げるもの。ナナフシが血相を変えて走り出すほどの事態となると――

「あぁ、もしかして、妖怪たちの本隊が霧見一族御一行様に負けちまったのかねぇ?」

 時間的に考えて決着がつくには早すぎると感じたが、それがもっとも納得がいく。ナナフシは仲間の救援か情報収集のために西方の戦場へ向かったのだろう。
 そんな場所に足手纏いのユキを連れていくわけにはいかないし、ユキを連れていけばもれなくスズランが追ってくる。連中にとってユキがどういう存在かはわからないが、ユキよりも仲間の安否を優先させたということだろう。
 異形の割に、存外仲間思いなのかもしれない。

「本隊ってことは、向こうにはあのナナフシっていう妖怪より強い人がいるんだよねー?霧見一族の人たち、この短時間でよく勝てたねー」
「いやはや、鬼や妖怪ってのは、こっちが情けなくなるくらいの化け物揃いだこと」

 こちらがたった四体を相手に全滅寸前まで追い詰められたのだからなおさらだ。霧見一族の精兵たちに感心しつつ、スズランは血反吐を吐きだす。

「……スズランー、大丈夫ー?」
「いやぁ、駄目っぽいですなぁ。七羅刹最弱の面目躍如ですよ、まったく」

 幼馴染を心配する声はかけるものの、メノウはスズランに近寄ろうとしない。スズランの足元には真っ赤な血だまりができており、軽い口調ほど生易しくないのは明らかだ。

「ちょ、ちょっと、そんなこと言っている場合じゃないでしょう!?」

 むしろ慌てたのは、敵対者であるはずのユキだ。焦ってスズランに近寄ろうとしたところを、メノウに引きとめられる。

「だめだよー。スズランの血は猛毒なんだから、近づいたら死んじゃうよー」
「だ、だからって、なんであなたたちはそんなに冷静なのよ!仲間なんでしょう!?今まで大怪我や病気になった時はどうしてたのよ!?」
「大怪我とか病気の時も、自分でなんとかやってもらうしかないのー。今の身体になってから、味方でスズランに触れた人はいないんじゃないかなー?」
「…………え?」
「いやぁ、毒で神経が大絶滅してると死ぬ実感もないし、痛みが邪魔しないから慣れれば意外と治療しやすいもんですよ。強いて言うなら、目が霞むくらいにならないと、自分が死にかけてるってわからないところが不便かねぇ。それで何回死に掛けたことか」

 目を大きく見開くユキに対して、声量こそ落ちているものの、普段と変わらぬ冗談めかした口調のスズラン。どれだけ重傷を負ったとしても、どんな大病を患ったとしても、スズランは自分の状態がどの程度深刻なのかがわからない。

「(でも、さすがに今回はやばそうだなぁってのは、なんとなくわかるかな)」

 なにせ、足元にできている血だまりの量がすさまじい。こんなものを見せられたら、無痛症であっても、自分は命に関わる怪我を負っているとわかった。
 霞んだ目と震える手で、スズランは治療具を取り出そうとするが、うまくいかずに血だまりに落としてしまった。あまりに痛々しい様子だったが、彼に手を差し伸べる者は今までいなかったし、これからもいないだろう。

「(……なぁに、いつものことさ。なんてことない)」

 修行や仕事で怪我を負うことは何度もあり、そのたびに自分で治療して生き残ってきたが、それは運が良かっただけだ。いつか自分では治療できないような大怪我や大病を患い、ぽっくり死んでしまうだろうと誰もが思っていた。
 だが、スズランはこの年齢まで生き残り続け、結城七羅刹なんていう分不相応な称号まで手に入れてしまっている。こんなに不安定な羅刹は、歴代でも自分だけだろう。
 たまに思うことがある。自分が生きている理由はあるのだろうかと。こんな綱渡り人生を過ごすくらいなら、いっそ飛び降りた方がマシじゃないだろうか。痛みがないせいで生の実感が薄く、誰にも触れてもらえない。そんなもの生きる価値があるのか?

「それでもやっぱり死ねねえよなぁ」

 だって、かつて自分はそう願ってしまったのだから。
 思い出すのは腐った香りと、泥に溶けていく自分の身体。死の淵に立ち、地獄の苦しみに陥り、この世界は糞だということを知りながら――それでも生きたいと願った。
 その選択を後悔したくないし、後悔させたくない。
 君は間違っていなかったと言うために、自分は自分が生き続けることを諦めてはいけないのだ。もう満足に動かなくなった手で、血に浸かった治療具に再び手を伸ばす。だが、そんな状態で拾えるはずもなく、完全に力を失った手は血だまりに落ちた。
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登場人物紹介

名前:ユキ

性別:♀

年齢:14

勢力:???

[プロフィール]

一本角の鬼。雪のように白い髪と肌、燃えるような紅玉の瞳を持つ。

囚われの身であるらしく、首輪と手かせをつけられているようだが……。

名前:サクラ

性別:♀

年齢:14

勢力:蓮蛇

[プロフィール]

二本角の鬼。黒髪と長い足が特徴の童女。

自身過剰で能天気だが、蓮蛇勢力で一部隊を任せられる程度の地位はあるようだ。

名前:タマフネ

性別:♂

年齢:32

勢力:九頭竜・霧見一族

[プロフィール]

身長二メートルを超える巨漢。人間と魚を足して二で割ったような外見。

九頭竜勢力の千人長。ユキの護送任務を担当する。

名前:スズラン

性別:♂

年齢:15

勢力:九頭竜・結城衆

[プロフィール]

真夏であっても厚着でいる少年。結城七羅刹の一人。

どれくらい強いかというと、開幕で狸に負けるくらいには強い。

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