第19話 三ツ星ベルト

文字数 1,777文字

「がんさんなぁ、ここが悪いんや」

 言いながら示すのは腹部の右側。

「肝臓……?」

 彦星くんが訊ねると「おお、賢いな」と褒めてきた。

「酒の飲みすぎやー、ちて」

「そうなんですか……」

 お酒ねぇ。彦星くんにはまだ早い話題かもね?

「ほでも好きで。やめられん」
「え……だけど」
「わかっとる。やめんと寿命縮むぞ、死にたいんか、いうてな。今日も脅されて来よったとこじゃ」

 おっかないでー。と両手の人差し指を頭に立てて『鬼』を示した。すんーごくコワイ看護師さんがいるらしいよ。

「酷なもんじゃろ。『死にとうなかったら好きなもん手放せ』いうんじゃ」

「ほかのことで気を紛らわすのは……なにか趣味を持つとか」

 天体観測とか。って言おうとしたみたいだけど、がんさんはそれを遮って「やあやあ」と否定を示し手を挙げた。

「彦星くん。彦星くんは『星見たら死ぬ』ち言われたら、今言うたのんとおんなじように思えるか?」

「え」と固まったね。こりゃ予想外だったらしい。はは。

「命と引き換えに、星を、手放せるか?」

 さて。どう答えるのかな?

「……ええっ、だって、星は」
「同じや。たしかに害はないかもわからん。けど『好きなもん』ちう意味では、ワシの『それ』もキミらの『それ』も、一緒じゃろ」

 彦星くん、考えた。床のあちこちを眺めて、すごく考えたみたいだよ。星を手放すということ。星を見ないで暮らすということ。

「……それは、生きてないことと同じです」

 うん。彦星くんにとってその暮らしは『湊斗くん』の頃の暮らしだ。死のうとしていた、心が死んでいた、あの頃の。

「なら、酒のんで死んだほうがええかね?」
「それはちがう! でも……」

 結局、答えは出せなかったみたいだね。
「うう……わからない、です」

 すみません、と力なく言う。がんさんは「がはは!」と豪快に笑ってから「ええんじゃ、ワシこそ困らせてすまん!」と彦星くんの頭にぽん、と触れた。

「当事者にしか、この気持ちはわからん。せやから周りはヤイヤイ言うてくるわ。美織ちゃんやなゆうちゃんなんか、『飲んだらだめ』言うて泣きついてくれるもんな」

 そんなされて、がんさんは幸せやで。とまた笑った。

「今の話、前に星野くんにも言うてみたんじゃ」

「えっ、館長に……?」

 ほほう。なんと答えたんだろうね?


 ──俺はやめないよ。


「え。やめない、んだ?」

 彦星くんが意外そうに言うと、がんさんは「ちがうんや」と軽く手を挙げた。


 ──ひとりだったら、やめないだろうね。でも美織がいるから。俺は絶対、先には死なない。たとえ夜空からひとつ残らず星を失っても。


 彦星くん、キョトンとしてから、ぶるっと全身を震わせた。がんさんはそんな彼を見て「ふは」と笑う。

「かっこええわ。言うてみたいもんじゃ。はは。彦星くん。星野くんは、そういう男じゃ。昔は完全に美織ちゃんからの一方通行の愛情やったけどな、今はちゃーんとそれに応えよる。そんでワシには、こう言いよった」


 ──大切な人を悲しませてまでやる『好きなこと』に価値はないよ。がんさん。


「目ぇが覚めたな。どや、彦星くん」

「すごいです……」

 人が悪いなぁ、がんさん。もう答えを持っていたんだね? それにしても館長、ただの星バカかと思ったらそんなことないんだね。はは。これは見直したね。

「人、いうんは、ひとりじゃ生きられん。いつも、いつでもこうして周りに救われるんじゃ。覚えとくとええ。彦星くん」


 どこから入ってきたのかシリウスががんさんの足元に来て「ナァーオ」と野太く鳴く。

「か。こいつ。どけ、ち言いよる。はは。ならそろそろ帰るわい」

 言ってお茶を飲み干すと、「ごちそーさん」と茶器を彦星くんへと返して立ち上がり片手を挙げた。

「また来るわ」
「ぜひ」

 のそのそと去ってゆく大きな背中を眺めて、がんさんはやっぱりオリオンみたいだ、と彦星くんは思ったみたいだよ。ほかの星座を見つける「手がかり」となる、三ツ星ベルトのオリオン座。

 それから、館長はやっぱりすごい、とも。はは。


「あれ? がんさん来てたんだ」

 声掛けてくれてもよかったのに、と言いつつ現れたのは館長だった。

「あ、そうだ彦星くん。今度のペルセウス座流星群の日、うちの裏の山へ登ろうかと思うんだけど、彦星くんもどう?」

「え……ぜひ!」

 おお、そいつはいいね! きっと最高の思い出になるだろうよ。

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