第4話 星と少年

文字数 1,835文字

 湊斗くんはそれからも俺を無視し続けて日々を過ごした。けどあの夜に見せた『夢』の効果か、晴れた日には時たま例の廃墟の屋上へ行っては阿呆みたいに口を開けて長い時間星を眺めるようになっていた。

 ふいー。よかったぜ。彼に星空の魅力を伝える、それが俺の第一の使命だったわけだからね。


 湊斗くんはこの近くの公立中学校の生徒なんだと。この春で三年生になる。受験生ってわけだ。

 けどその見た目は何度も言うがとにかくちっさい。小学生でも通るんじゃねーのってくらい。

 そんな湊斗くんが無事に三年生に進級して数日経ったある日のこと。

《え、壊されてる……!?

 例の廃墟が解体され始めた。当然侵入はできなくなり、湊斗くんの天体観測は途端に不可能になってしまった。

 代わりになりそうな場所、探してあげたさ。けど相変わらず俺の声は無視されるし、努力はぜんぜん報われなかったね。はー。

 気づけば湊斗くん、今度は図書室や図書館に入り浸るようになっていた。手にしている本を覗き見てみると……天体に関する本ばかりだった。

 ほほう。いいね。これはいい。

 星はいいよ。ロマンだ。
 ひとたび宇宙に目を向けると、途端に知り尽くせないほどに世界が広がる。

 膨大で、未知で、無限。
 そして神秘。摩訶不思議。

 はじめはただの現実逃避だったのかもしれない。けど、今はちがうだろ?

 心を奪われている。
 まるで取り憑かれたみたいに。

 そう、この俺に……。ってやめなさい。


 そんな星マニアに無事成長した湊斗くん。ある夜図書館から帰宅すると珍しくお父っつぁんと鉢合わせた。

 お父っつぁん、湊斗くんを見ると借りてきた本の入った袋を「それなんだ」と訊ねる。この親子がまともに会話しているところを見るの、俺はこれが初めてだったね。そのくらいの冷えた関係なんだよ。

 湊斗くんは「べつに」とだけ答えて部屋に向かおうとした。だけど。

「は。エロ本かよ」

 あー。そう言われたらカチンと来ちゃったね。これはマズい。マズいぞ。

「ちがう。勉強の本だよ。あんたみたいに人生失敗しないために、俺はちゃんと勉強してちゃんとした人生を生きるから」

 よわよわだと思っていた息子にそんなふうに言われてお父っつぁん、一瞬面食らったようだった。けどやがて「はん」と小さく鼻で笑ってから「はっはっは!」と今度は大声で笑いだした。

「なんだよそれ。『ちゃんと』ってよ」

 そして「見してみろ」とその浅黒い手を湊斗くんへと伸ばす。

「な、やめ……!」

 そこはやっぱり力の差だね。抵抗虚しく、あっさり奪われてしまった。お父っつぁんは袋の中を覗いて「うげ」と苦い顔をする。ま、そうだろうね。なんたって天体に関する本ばっかりなんだから。

「天体い? なんだ? 星なんかに興味あんのかおまえ。はー、まだエロ本のが健全じゃねーかよ」

 吐き捨てながら本の入った袋を投げるように返してきた。こらこら。図書館の本は大切にしなさい!

「は。バカだねぇおまえ、そんなもん勉強してなんになれるっての? 星が(カネ)になんのか? ぼーっと空見てるだけで(カネ)になるってんなら苦労しねえよ」

「突き詰めて勉強すれば仕事にだってできる!」

 そう。その通り。なんたって今日は『それ』についてずいぶん熱心に調べていたんだもんな? 湊斗くん。

「へーえ? どんな」
「う……宇宙飛行士とか!」

 勢い余って大きいことを言ってしまった、とは自分でも思ったみたいよ。でも実際憧れる気持ちも少しくらいはあったんじゃない?

 お父っつぁんは一瞬その目を見開き湊斗くんを見ていたけど、やがて「ぶ」と汚く噴き出しギャハハハハハハ! と腹をよじって大きく、品なく笑った。

「ひ、ひひっ、おまえ、宇宙飛行士なんかになりてえの!? そんなヒョロっヒョロの体でか? 鏡、鏡見てみろよ、くっはっはっは! 無理だろどう考えても。意気地もねえ、根性もねえ、オマケに体力も筋力もねえおまえなんかに、なれるわけねえだろバカかよ!」

「……なりたい、なんて言ってない! 例え話だよ!」

 ああ……これは、心が痛かったろうな。

「そんな夢みてーなこと言ってないで、どうせならもっと現実的で(カネ)になる仕事に就けよ」

 これを言ったら殴られる、とは湊斗くんもたぶんわかっていた。だけどこのお父っつぁんから、そうでもして笑みをなくしてやりたかったんだね。

(カネ)(カネ)、って言う割に父さんだって大して稼げてないだろ!? 俺は知ってる! それで母さんだって出てったんだよ!」

 案の定、拳が飛んだ。

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