第15話 彦星くんと天文館

文字数 1,215文字

 彼、順応性はそれほど高いとは言えないタイプではあった。けど、どこの誰かもわからない自分を、こんなにも良くしてくれる館長夫妻にはとにかく感謝が尽きない。というところか。うんうん、そうだよね。これはもう全身全霊を込めて恩返しせねばだな。

「いいのにぃ」と言われながらもやれる時は配膳や皿洗いも手伝う。自宅でも進んでしていた、ってわけではないけど、なんせ恩返しをしたいんだから。がんばったんだ。やがて掃除とゴミ出しは天文館では彦星くんの仕事となった。おー。やるじゃん彦星くん。そして暇があれば館長に付いてまわって、天体についてどんどん吸収して学んでいった。貴重な専門書も次々借りては読み漁った。もちろんその分しっかり働いた。偉い。偉すぎる。


「煎茶はねえ、あんまり熱過ぎんお湯がええんよ」

 言いながら急須を揺らすのは天文館の唯一の事務員、ゾウの安田さんだ。注ぎ口から湯気とともにお茶のいい香りが漂う。

「それとね、『茶柱の立て方』ち、いうのがあるんよ、彦星くん、知っとるぅ?」

 館長に付いて日々がんばる彦星くんに、安田さんもすっかり打ち解けたらしい。

「えっ、茶柱って立てたくて立てれるもんなんですか?」

 彦星くんが驚いてそう訊ねると安田さんは得意げに「ふふ」と笑ってそのコツを教えてくれた。

「すごい……けどそれって『幸運』が作れるみたいでどうなんですか」

 苦笑いをしつつ彦星くんが言うと「相手にはわからへん」とお茶目に笑い返された。そして「それにね」と続ける。安田さんの声は低めで穏やか。田舎のマダムにしては上品だ。「ゾウ」とか言ったら絶対だめなんだからな!

「『幸運』ちゆうのは、結局は自分の手で掴み取るもんやち、安田さんは思うんよねえ」

 あら。いい事言うね。『安田さん』という一人称も含めてなんだか親しめるこの人には好感が持てる。彦星くんも同感でしょう? この人からいろいろなことを教わる時間も結構幸せそうだった。

 脇の長椅子には今日もサビ柄のデブ猫が寝そべっている。

「あの猫、ここで飼ってるんですか?」

 彦星くんが訊ねると安田さんは「ちゃうわよぉ」と笑った。

「住みついとるだけ。ちうか、ふらっと来たり、おらんなったり、気まぐれな子よ」

 ちなみに館長はこの猫を『シリウス』と呼んでいるらしい。シリウスといえばおおいぬ座の一等星。星の中ではいちばん明るい星だ。

 名付けの理由を彦星くんが訊ねてみると。

「だって焦げてるじゃん。あとデカいから。体も態度も」

 思わず噴いたね。
 たしかに『シリウス』の意味は『焼き焦がす』だ。サビ柄にはぴったりかもね。館長、なかなかのハイセンスだな。


「彦星くん、暇だしプラネタリウムのやり方見せようか」

「いいんですか!」
 途端に彦星くんの目が輝く。

「ええー? 館長、お茶飲んでからにしてくださいってぇ」

 あは。安田さんの特大ブーイングが出た。

「ああ、ハイハイ」

 この毎日が、彦星くんにとっては夢のように幸せだった。

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