ピアノ猫 と フクロウ猫

文字数 2,969文字

「取り敢えずタマしまいなよ、おっさん。」
ピアノ猫は影の一つに向かって言った。
恋人の浮気現場を目撃し、自らも襲われかけるような波乱に満ちた一日なのだから、猫だって喋ったりするのかもしれない。
「くっ…。」
三つの影のうち、真ん中の一人が後ずさり、何やらゴソゴソとズボンを直している。

立ち上がった玲奈は気付いた。
大きい人影は二つだけ、真ん中の一人は大きくない、いやむしろ小さい。
大きな影の一つは小さな影を背に隠し、もう一つの大きな影がピアノ猫に蹴りかかる。

宙に飛び退くピアノ猫

その宙に目掛けて拳を突き出す大きな影
だがそこにもう標的はない。

大きな影の腕の上を走るピアノ猫
腕から肩へ、首へ、追撃をかわしまた肩へ、頭へ…。
ピアノ猫の鋭い爪が光を放ち弧を描く。

大きな影の頭部が地面に落ちた。

玲奈はその光景を呆然と眺めた。
だがその一方、次第に冷静さを取り戻しつつある意識が、いくつかの違和感を捕らえた。

まず、大きな影…。

大きすぎる。
三メートル近い。その巨影が二体。
現実的に考えて、普通じゃない。

そしてこの大きな影、実体感(じったいかん)がない。
玲奈が影に体を拘束されていた時も、手で掴まれている、というよりは、見えない力が加わっている、という感じだった。

何よりも…、

…血が流れていない。

頭部が落ちたのだ。
頸動脈から噴水のように血液が噴き出すはずだ。
一滴も流れていない。

地面に落ちた頭部は黒い霧になってまさに霧散した。
と同時、大きな影の首から黒い霧が湧き、それは形を成し頭部となった。

「こいつら…くっ!?
ピアノ猫の背後に巨大な拳が襲い掛かる。
大きな影は二体いるのだ。油断したか…。
「あぶない!」
思わず玲奈が叫ぶ。
が、その拳がピアノ猫に到達することはなかった。
大きな影が拳を振り切った時にはもう、その腕が無かった。
「グヲォォーーーー!」
苦痛の雄叫びをあげる大きな影…。
すぐ下の地面を見ると、黒く霧散しかけている大きな影の腕に一羽の鳥が爪を立てとまっていた。
鳥?いや…、でも、顔は猫である。短いがしっぽもある。
猛禽類(もうきんるい)のような翼と足をもった灰色の猫である。
翼をたたむとフクロウに似ている。
上空から凄い速さで急降下し、影の丸太ほどもある太い腕をちぎり落とし、ピアノ猫の窮地を救ったのだ。
「ムゥさん、こいつら。」
「ああ、騒獣(ノイズ)だ。」
ピアノ猫とフクロウ猫は短くやり取りした。

腕の千切れた影の肩口から黒い霧が溶け出すように湧きやがて腕の形になった。

それはどう考えても人ではない。

こんな巨体を持ちながら素早く動き、希薄な実体でありながら怪力を持っている。そして、体を破損しても再生してしまう。
こんな人間いるはずがない。

「ユピ、この姿では仕留められない。」
フクロウ猫が言う。
「はい。一旦退きますか?」
(いな)、ここで消す。君は主と話を…。」
「分かりました。」
フクロウ猫はそういって騒獣(ノイズ)めがけ飛び掛かって行った。

――にしても最近の猫ってけっこう喋るんだね…。

などと、依然として身の危険は去っていないというのに、玲奈はどこかぼんやりと思う。
疲労困憊と情報過多で正常な判断力が失われているのだろうか…。
そうだ、今日は大変な一日なのだ。
迅が他の女に乗っかられてるのを見て、自分自身も乱暴されかけ、散々走って…もうたくさんだ…。

だから、
「永井玲奈。」
と、猫に呼び捨てにされることくらい気にならない。
「玲奈さん、ね!」
いや、呼び捨てはやはり気になる。
「…玲奈、さん」
ピアノ猫はしぶしぶ言い直す。
「何?」
「こんな状況だから手短に話す。」
「ええ。」
「今、僕らと君は”糧契(かてのちぎり)”で結ばれている。」
糧契(かてのちぎり)?」
「そう、食べ物を頂いてから28日間、僕らは君の従者となる。」
「食べ物あげたっけ…、あ!あの時のピザ!!アンタ達が勝手に奪ってったんでしょーが!!
盗んでも頂いたことになるのだろうか、規定がゆるいのか…。
「永井玲奈、時間がない…、」
今もフクロウ猫は騒獣(ノイズ)と交戦し猶予を稼いでくれている。
「玲奈さん、ね!それにあっちのフクロウ猫は迅からとったんでしょピザ?じゃあ迅の従者じゃないの!」
猫に呼び捨ては許さない。そして矛盾を指摘した。
「支払いをしたのは君だった。」
「むっ!」
そこは規定が厳しいらしい。ピアノ猫は続ける。
「てか無礼な呼び方はよせ!フクロウではない。あの方はシェマ・ムゥラン・ハイドリヒⅢせ…」
「時間ないんでしょ!」
「あ?!そうだった…」
とピアノ猫が慌てて話に戻る。
「何やってる。早く話をつけろ!」
フクロウ猫は騒獣(ノイズ)二体を相手に孤軍奮闘している。
挑発し、拳をギリギリでかわし、玲奈とピアノ猫に近づけないようにしている。

糧契(かてのちぎり)の有効期間中、僕らはそれぞれが持つ固有の能力を発揮できるが、時間の経過とともにそれは弱くなる。今日で契約開始から三週間弱、ハッキリ言って、今の僕らでは騒獣(ノイズ)を二体たおし、恐らくあれを使役しているもう一人を捕らえることは出来ない。」
ピアノ猫は一息(ひといき)に話した。
そして神妙な面持ちで玲奈に向き直った。

「永井玲奈!再契約したい。」
「だから!れい…。」
定番となった突っ込みをしようとした玲奈は言葉に詰まった。
ピアノ猫の目は真剣に、そして切実に訴えている。
「…でも私、今、食べ物何も持ってないよ?」
「分かってる。だから今回は…。」

ドゴン!
背後で激しい衝突音、そしてゴミ箱が倒れいろんなものが飛び散る音がした。
フクロウ猫が騒獣(ノイズ)の一体の蹴りをまともに食らって吹っ飛んだのだ。
どれだけ俊敏でもずっと飛び回ることは出来ない。
「ムゥさん!」
ピアノ猫が駆け寄る。
「ちょっとフクロウ猫、大丈夫!?
玲奈も走り寄る。
「……話…、ついた?」
フクロウ猫は傷だらけで、息も荒く、言葉も途切れ途切れである。

「永井玲奈!頼む、再契約を!このままでは全員やられる…」
ピアノ猫は切迫した様子で玲奈に頭を下げた。
もう一刻の猶予もならないのだろう。
「助けてあげたいけど、分けてあげられる食べ物が無いんだって!」
「血を…」
「え?」

「血を分けてほしい…。」

それも多分、冗談なんかではないのだろう。
人であっても猫であっても、心は目に現れる。
真剣に何か伝えようとしている眼差しである。

すでにもう背後まで騒獣(ノイズ)が迫ってきている。
悠長に思案している暇はない。
「…これでいい?」
ピアノ猫とフクロウ猫にそれぞれ人差し指を差し出す。
「ありがとう!玲奈。」
「永井玲奈…、感謝する。」
「もう!玲奈さん、ね!」
猫は彼女の指を大切そうに捧げ持つように掲げ祈る。

我が(あるじ)は言葉なり

血もまた、言葉なり

この一滴(ひとしずく)源流(みなもと)に命を捧げん

ここに血契(ちのちぎり)(きずな)すものなり

猫は玲奈の指にかじりついた。
「痛っ!」
――くもないか…。チクっとしたけどその後は猫の舌のザラザラした感触がむずかゆい。

?!

ピアノ猫とフクロウ猫の身体が青白く発光している。
急速に光は膨らんでゆく。密度も温度も増しているのを感じる。

そしてピアノ猫もフクロウ猫も立ち上がる。

いや、もう、猫の姿ではない。

人、若い男性。

いや、若いとは言えない。

幼い男の子。

玲奈の目の前には、二人の少年が立っている。
白シャツに黒髪の少年とベストに巻き毛の少年。

「玲奈、命じてくれ。」
黒髪の少年が目配(めくば)せする。

「倒して。」
彼女は真っ直ぐに黒い影を見据え二人に言った。
「御意!」
と二人は同時に叫び、二体の騒獣(ノイズ)に光と風をまとった獣のように飛び掛かっていった。
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登場人物紹介

永井 玲奈 (ながい れいな)

24歳。うっかりベーシストに恋してしまい、人生がハチャメチャに展開していく女子。

飴井 迅 (あめい じん)

28歳。食うや食わずの暮らしを玲奈に助けられる。ロックバンドでベースを担当。

江草 連 (えぐさ れん)

26歳。家出した名家のお嬢様。飴井のロックバンドのドラムスを担当。

佐野場 微壱 (さのば びいち)

32歳。バンドでギターを担当。速弾きの名手。

ユピテル  (ゆぴてる)

見た目8歳。省エネモード時は白黒でピアノのような縞模様のある猫の姿。癖っ毛を気にしている。五線紙に旋律を書き込む”譜術”を使う。

ムゥラン  (むぅらん)

見た目7歳。省エネモード時は前足が翼になった猫の姿。足は鋭い爪があるが収納できる。本名はシェマ・ムゥラン・ハイドリヒⅢ世。長いので仲間からはムゥと呼ばれている。音場を操る”響術”を使う。


マルチネス  (まるちねす)


見た目は10歳。二の腕フェチ。

省エネモード時は、カタツムリのような猫の姿。

ステルス性とスピードに優れ、潜入捜査などに向いていると本人は思っている。


アントッティ (あんとってぃ)

見た目12歳。省エネモード時はムササビに似た猫の姿。どうやらムゥランと根深い確執を持っているらしい。

空間に絵や図形を描くことで空間に意味や効果を与えていく特別な描画能力をもっている。

甘いものが好き。

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