カモノハシハウス
文字数 2,599文字
10月7日 土曜日
穏やかな秋晴れである。
この時期独特の、やや煙 たい、乾いた風がロータリーの木の葉を緩やかに揺らした。
ナビに従って、高円寺駅の南口を出て大通りを下る。
居酒屋やラーメン屋が軒を連ねる通りの路地を左へ、古着屋を右へ折れしばらく歩く。
小学校の裏門に続く細い道を左に曲がると直ぐに目的地を発見することが出来た。
ブロック塀に打ち付けられた表札看板には
横書きで『カモノハシハウス』とあった。
古い一軒家。
都会の真ん中にまだこんな建物があるんだな…と思ってしまうような木造の二階建てである。
*
一昨日
「…どこに?」
と詰め寄る玲奈。
不機嫌丸出し、どころではない、眉間には困惑と憤りが滲み出ている。
「高円寺。シェアハウスみたいなやつでさ、バンドのメンバーが住んでる。」
対照的に、あるいは意図的にか、飴井の声は静かに淡々と事実を告げる。
「まだしばらくここにいればいいじゃん!」
つい子供のような論調になってしまう。
だが玲奈自身も分かっている。2、3日ならともかく、これ以上飴井がここに滞在するとなると”泊まっている”ではなく正式に”転がり込んでいる”状態になる。
大家や管理会社に、契約違反だ、と咎 められる前に何らかの対処をしなければならないのは事実だ。
「そこならバンドメンバーがほぼ全員いる。」
「全員って何人?」
玲奈は気持ちを落ち着けるために話の脇道に入る。
「俺入れて4人。そのうちの2人がいまそこに住んでるから、俺がそこ行けばかなり集まりやすくなる。」
「……。」
「バンドに本腰いれて集中するために仕事やめたんだ。今、出来ることを全部やりたい。」
――ミハコンの言う通り…。
玲奈は内心でため息をつく。バンドマンと共棲 するには生活の設計が何より重要なのだ。
――迅は全然解 ってない。
と玲奈は思った。
夢を叶えるには、先ず夢を叶えるための暮らしを確立しなければならない。こんな他力本願な、博打 みたいな生活では、身も心も荒 む。
――はい、迅は馬鹿 決定です。
これで
バンドマン 15pt
B型 10pt
貧乏 5pt
ベーシスト 45pt
に
馬鹿 10pt 追加!!
で
合計は堂々の 85pt!!!
「…週末には会えるんでしょ?」
85ptでも1,000,000ptでも、それを帳消しにするくらいにはもう既に、玲奈は彼が好きだった。
*
インターホンを押す。
ややあって、
「おお、入ってよー。」
と気さくな感じの男の声が応える。
引き戸を開け玄関に入る。
畳みと古い木材の匂い。
――お婆ちゃんちみたいな匂い…。
と玲奈は思った。別段、嫌な匂いではない。
外見は古い木造だが、中もやはり古めかしい造りになっていた。とはいえ、古民家カフェを営めるほどの趣 がある訳でもない。絶妙に中途半端な古い家だった。
「可愛いね。サザエさんちみたい。」
と玲奈は感想を今度は小声で口にしながら靴を脱ぐ。
スリッパが2つ並んでいる。玲奈が同行する旨は伝えてもらっている。
奥のドアが開いて男が出て来た。
メガネをかけた柔和な印象の男性だった。バンドマンというよりは、文学青年といわれたほうがしっくりくる。
青年のあとに続いて女性も出て来た。玲奈と同じくらいか少し上か、明るく染めた髪をポニーテールに結んだ活発そうな印象の女性だった。
玲奈は飴井を睨んで視線だけで抗議した。
――女がいるなんて聞いてないよ?
と。
「ギターの佐野場 さんと、こっちはドラムの江草 ね。」
と飴井が2人を紹介した。
「佐野場 微壱 、ヨロシク。」
「江草 連 です。どうぞ宜しくお願いします。」
メガネの青年が佐野場、ポニテ女子が江草らしい。
「ようこそカモノハシハウスへ!ボロ家 だけど居心地だけはいいからさ、ゆっくりしてね。」
と佐野場が玲奈に微笑む。
近づいて並ぶと佐野場は飴井よりも随分と背が低い。玲奈よりやや高いくらいである。連 は玲奈より少しだけ低く、女性にしては骨格がしっかりしているだろうか。
「こちらです。」
と、江草が客間に案内する。
4人で他愛のない雑談をした。
メンバーはどんな風に知り合ったか、とか趣味が何か、とか以前はどんなバイトをしていた、とか…。
玲奈はそれぞれ適当に話を合わせた。
音楽の話にもなった。素人の玲奈にもわかるように有名なアーティストや楽曲を交えて説明してくれたりもしたが、そのどれも知らなかった。
連 は話題に乗り切れていない玲奈を気遣って服やメイクの話などを振ってくれたが、逆にそっちのほうが息苦しい、と感じた。
気持ちは有難いのだが…。
佐野場と江草は何だか見た目と言動がチグハグな2人だな、と玲奈は思った。
佐野場は草食文系インドア派みたいな外見に反してヤンチャでやや軽いノリの言動に見えるし、逆に連 はアクティブでおてんば娘的なルックスに反して、声も小さく言葉遣いも丁寧だ。何となく、育ちのいい優等生が無理して不良っぽく見せている、みたいな…。
*
高円寺駅に向かう坂道を、飴井と玲奈は手をつないで歩いていた。
佐野場と連 に見送られ帰路である。
「いい人達ね。」
取り敢えず言ってみたが正直すごくモヤモヤする。
「有難う。」
全く承服出来ていない、という玲奈の胸中を察したのか、飴井は低くそう口にした。
そして続ける。
「俺もともと荷物少ないからさ、明日一気に運んで、月曜からこっちにする。そしたら…」
飴井は繋いでいた手を玲奈の肩に回し、抱き寄せるように歩く。
「金曜日の夜からそっち行くよ。」
「別に週末だけじゃなくてもいいんだよ?私も迅も無職なんだから。」
「そうだった。」
2人は笑った。
あの一軒家の家賃135,000円を3人で割って一人4万円ちょっと。バイトが見つかるまでそれを立て替えてくれないか、というのが飴井の要求であった。
正直その程度で安心している自分を玲奈は叱りたかった。
――ダメよー!こういうのを一回許すとどんどんエスカレートするのよ!
とはミハコンの言い分だ。
玲奈とて現在無職である。しばらく失業手当でのんびり腰を据えて就活しよう、と思っていたが、そんな場合ではなくなるかもしれない…。
――断ればいいでしょ!
頭の中をクルクル回りながら小さなミハコンが叫ぶ。
――断れないよ…。迅を支えられるのは私だけだもん…
そんな玲奈の頭の中を小さなミハコンが飛び回りながら歌う
♪このバカ女が バカ女が~♪
――そうだね…。私、バカ女だね。バカになる程好きになっちゃった…。
飴井の腕の中で、玲奈は唇を噛みしめ、涙をこらえた。
穏やかな秋晴れである。
この時期独特の、やや
ナビに従って、高円寺駅の南口を出て大通りを下る。
居酒屋やラーメン屋が軒を連ねる通りの路地を左へ、古着屋を右へ折れしばらく歩く。
小学校の裏門に続く細い道を左に曲がると直ぐに目的地を発見することが出来た。
ブロック塀に打ち付けられた表札看板には
横書きで『カモノハシハウス』とあった。
古い一軒家。
都会の真ん中にまだこんな建物があるんだな…と思ってしまうような木造の二階建てである。
*
一昨日
「…どこに?」
と詰め寄る玲奈。
不機嫌丸出し、どころではない、眉間には困惑と憤りが滲み出ている。
「高円寺。シェアハウスみたいなやつでさ、バンドのメンバーが住んでる。」
対照的に、あるいは意図的にか、飴井の声は静かに淡々と事実を告げる。
「まだしばらくここにいればいいじゃん!」
つい子供のような論調になってしまう。
だが玲奈自身も分かっている。2、3日ならともかく、これ以上飴井がここに滞在するとなると”泊まっている”ではなく正式に”転がり込んでいる”状態になる。
大家や管理会社に、契約違反だ、と
「そこならバンドメンバーがほぼ全員いる。」
「全員って何人?」
玲奈は気持ちを落ち着けるために話の脇道に入る。
「俺入れて4人。そのうちの2人がいまそこに住んでるから、俺がそこ行けばかなり集まりやすくなる。」
「……。」
「バンドに本腰いれて集中するために仕事やめたんだ。今、出来ることを全部やりたい。」
――ミハコンの言う通り…。
玲奈は内心でため息をつく。バンドマンと
――迅は全然
と玲奈は思った。
夢を叶えるには、先ず夢を叶えるための暮らしを確立しなければならない。こんな他力本願な、
――はい、迅は
これで
バンドマン 15pt
B型 10pt
貧乏 5pt
ベーシスト 45pt
に
馬鹿 10pt 追加!!
で
合計は堂々の 85pt!!!
「…週末には会えるんでしょ?」
85ptでも1,000,000ptでも、それを帳消しにするくらいにはもう既に、玲奈は彼が好きだった。
*
インターホンを押す。
ややあって、
「おお、入ってよー。」
と気さくな感じの男の声が応える。
引き戸を開け玄関に入る。
畳みと古い木材の匂い。
――お婆ちゃんちみたいな匂い…。
と玲奈は思った。別段、嫌な匂いではない。
外見は古い木造だが、中もやはり古めかしい造りになっていた。とはいえ、古民家カフェを営めるほどの
「可愛いね。サザエさんちみたい。」
と玲奈は感想を今度は小声で口にしながら靴を脱ぐ。
スリッパが2つ並んでいる。玲奈が同行する旨は伝えてもらっている。
奥のドアが開いて男が出て来た。
メガネをかけた柔和な印象の男性だった。バンドマンというよりは、文学青年といわれたほうがしっくりくる。
青年のあとに続いて女性も出て来た。玲奈と同じくらいか少し上か、明るく染めた髪をポニーテールに結んだ活発そうな印象の女性だった。
玲奈は飴井を睨んで視線だけで抗議した。
――女がいるなんて聞いてないよ?
と。
「ギターの
と飴井が2人を紹介した。
「
「
メガネの青年が佐野場、ポニテ女子が江草らしい。
「ようこそカモノハシハウスへ!ボロ
と佐野場が玲奈に微笑む。
近づいて並ぶと佐野場は飴井よりも随分と背が低い。玲奈よりやや高いくらいである。
「こちらです。」
と、江草が客間に案内する。
4人で他愛のない雑談をした。
メンバーはどんな風に知り合ったか、とか趣味が何か、とか以前はどんなバイトをしていた、とか…。
玲奈はそれぞれ適当に話を合わせた。
音楽の話にもなった。素人の玲奈にもわかるように有名なアーティストや楽曲を交えて説明してくれたりもしたが、そのどれも知らなかった。
気持ちは有難いのだが…。
佐野場と江草は何だか見た目と言動がチグハグな2人だな、と玲奈は思った。
佐野場は草食文系インドア派みたいな外見に反してヤンチャでやや軽いノリの言動に見えるし、逆に
*
高円寺駅に向かう坂道を、飴井と玲奈は手をつないで歩いていた。
佐野場と
「いい人達ね。」
取り敢えず言ってみたが正直すごくモヤモヤする。
「有難う。」
全く承服出来ていない、という玲奈の胸中を察したのか、飴井は低くそう口にした。
そして続ける。
「俺もともと荷物少ないからさ、明日一気に運んで、月曜からこっちにする。そしたら…」
飴井は繋いでいた手を玲奈の肩に回し、抱き寄せるように歩く。
「金曜日の夜からそっち行くよ。」
「別に週末だけじゃなくてもいいんだよ?私も迅も無職なんだから。」
「そうだった。」
2人は笑った。
あの一軒家の家賃135,000円を3人で割って一人4万円ちょっと。バイトが見つかるまでそれを立て替えてくれないか、というのが飴井の要求であった。
正直その程度で安心している自分を玲奈は叱りたかった。
――ダメよー!こういうのを一回許すとどんどんエスカレートするのよ!
とはミハコンの言い分だ。
玲奈とて現在無職である。しばらく失業手当でのんびり腰を据えて就活しよう、と思っていたが、そんな場合ではなくなるかもしれない…。
――断ればいいでしょ!
頭の中をクルクル回りながら小さなミハコンが叫ぶ。
――断れないよ…。迅を支えられるのは私だけだもん…
そんな玲奈の頭の中を小さなミハコンが飛び回りながら歌う
♪このバカ女が バカ女が~♪
――そうだね…。私、バカ女だね。バカになる程好きになっちゃった…。
飴井の腕の中で、玲奈は唇を噛みしめ、涙をこらえた。