血を読む力
文字数 2,739文字
10月23日 月曜日 午前10時
高円寺 カモノハシハウス
黒いフードの少年が音もなく階段を上る。
板一枚軋まず、周囲の空気も動かすことがない。
廊下を歩く。やはり音もなく、そこに見えているのに存在を疑いたくなるほど彼は希薄であった。
黒いフードの少年、マルチネスは連 の血が体に馴染むことによって高いステルス性と機動力を取り戻していた。
階段を上った手前が飴井の部屋だ。
マルチネスはノブに手をかける。
さすがにドアを通り抜けることは出来ない。
飴井が気付かなければいいが…と思ったがそこまで上手くいかなかったようだ。
飴井はカーペットを敷いた床にあぐらをかいてポカンとこちらを見ていた。
姿を消すことも出来たが、見つかりそうになったらにしようと思っていた。
ドアを開けた瞬間に目があうとは…。
「……誰?」
戸惑いながらも何とか口にした言葉なのだろう。
「マルチネス」
聞かれたら、答えるしかない。
「…知り合いだっけ?」
「いや、初対面だ。」
「…部屋、間違えてないよね?てか君、子供だよね?」
飴井はこれで案外肝の座った男なのかもしれない、とマルチネスは思った。
相手がラギュラポだと明らかに判るハズなのに恐れたり狼狽えたりする様子がない。
「姿はな。まあ剪定 じゃないから安心しろ。それにおれはOrpheus じゃない。以前はそうだったが今は違う。除名された。」
見つかってしまったのはミスだが、こうなったら早めにこちらの素性を明らかにして余計な警戒心を抱かれないようにするべきだろう、敵ではないのだから。
「へぇー!Orpheus の人だったのかー!」
だが、飴井自身の反応はマルチネスが予想したものと全く違った。
「…?」
「てか来月対バンだよね!ネットで動画見たよ、すっげ俺緊張しててさ、でも楽しみで…」
「へ?たいばん…?」
何の話をしているのだろうか…。
考えてみればマルチネスは、飴井の人柄をあまり詳しく知らない。
冗談が好きだったり、会話の中で人を驚かせたいタイプなのかもしれない。
だが明らかにこれは様子が変だろう。急に親し気に接してこられてる気がする。
何か誤解が生じているのだろうか。
「で、何か用だっけ?」
飴井が見知らぬ少年に来意を尋ねている。
マルチネスは思考を巡らせた。
これは想定外、というか理解の範囲外だ。全く状況がつかめない。
だがあまり時間がない。このトラブルをうまく利用できれば好機に代わる。
「ああ、ちょっといいか?」
「ん?」
マルチネスはあぐらをかく飴井の隣に歩いていき、座ってフードをとる。
「こういうの知ってるか?」
マルチネスが飴井の髪の毛をつまむ。
拒絶されるか、と思ったが案外あっさり触らせてくれた。
むしろ興味津々に見ている。
かなり脱色されていて銀色に近い髪だ。
マルチネスは頭を摺 り寄 せるように近づき、次は自分の髪の毛も一束つまむ。
「何これ。じっとしてればいいの?」
飴井は不安も感じない様子で少年の指先を見ている。
「今、俺ら子供の間で流行ってんだぁ。」
飴井の髪とマルチネスのやや青みかかった灰色の髪を、一本の細いヒモ状に編んでゆく。
「友情の証か何か?」
「そう、そんな感じ?編んだ部分、もらっていい?」
「切るの?!…まいっか、だいぶ痛んでたしそろそろ美容院行こうと思ってたんだ。」
いくらなんでも気を許し過ぎだろ、とマルチネスは思ったが、樹人 は元来人類とのパイプ役である。おおらかに作られているのかもしれない。
「ハサミなんてないよね?」
「ああ、工具しかないね。」
「サンキュ、それでいいや!」
飴井が手を伸ばして小さな楽器メンテ用の工具ケースをとった。
マルチネスは自分と飴井の頭髪が編まれた部分をニッパーで切った。
「一本だけでいいのかい?」
飴井は立ち上がる少年の手からニッパーを受け取る。
「充分だ。本当、助かる。」
思いのほかうまくいったことに満足してマルチネスはドアを開け出ていこうとした。
――いや、やはり気になる。
「飴井 迅、お前、樹人 だよな?」
と訊いてみる。
「ん?…じゅびと?ってなに?」
嘘をついたり知らばっくれている風ではない。
――もしかして、とは思ったが、やはり自覚がないタイプだ…。
「いや、またな。」
と言ってマルチネスは飴井の部屋を出て行った。
*
マルチネスは急ぎ足で佐野場の部屋に向かう。
足音はしないが気配まで消すことはしていない。
ノックしてすぐにドアを開ける。
「いるか?」
「ああ。」
佐野場はスマホで動画を観ていた。
「永井玲奈に樹人 の継 ぎ目 が繋がっていた。」
「分かったのか?!」
「間違いない。」
マルチネスが断言した。
そうか、と言って佐野場はスマホを閉じポケットにしまった。
「もう連 は関係ないよな。」
マルチネスは佐野場を真っ直ぐ見る。
「ああ、約束通りにする。」
それを聞いてマルチネスはゆっくり頷く。
そして懐 から黒いビー玉を取り出した。
「3つ作った。使い方わかるか?」
「騒獣 か!…ああわかる。」
「永井玲奈の匂いを覚えさせてある。上手くやれ。」
「任せろ。」
*
佐野場の部屋を出ると、マルチネスは再び急ぎ足で連 の部屋に戻る。
念のため姿を消しドアを開ける。
誰もいない、とわかり姿を現す。
「いるよな。」
小声でアントッティを呼ぶ。
「ええ、いるわよ。何、血をもらったの?」
天井から声がした。姿は見えないが向こうからはマルチネスが見えているらしい。
「連 は?」
「スルーかよ!…お風呂みたい。」
自分の質問は無視された形だが、相手の質問にはちゃんと答えた。
「連 から絶対に目を離すな。」
「…どしたの?」
「あと、この仕事終わったら、お前はOrpheus に戻れ。」
「ちょ!何言ってるの?」
天井からフワリとムササビ猫が降りて来た。
「もういいだろいい加減、許してやれよ。」
「それじゃ私の気が済まないの!」
「連 を頼んだぞ!」
言いたいことだけ一方的に、でも託すように告げるとマルチネスは窓から飛び出し、黒い風になって上空に翔 け上がった。
下方でアントッティが何か言ったような気がしたが聞き取れなかった。
眼下に高円寺の街並み、JR中央線、環状七号線が見える。
さらに上空へ。
景色は立体感を失い一枚の地図のように見えてくる。
――感覚を研ぎ澄ませ。
右手の人差し指に意識を集中する。そこに飴井と自分の頭髪で編んだ指輪がある。
――感覚を研ぎ澄ませ。
飴井の髪の毛に触れた瞬間ハッキリと永井玲奈の姿も声も居場所も、今どんな気持ちでいるかも如実に感じ取ることが出来た。
血を読むとは本来、樹人 の血液に直接触れなければならない。
だが今回はその必要もなかった。
連 の血によってマルチネスの能力が高くなっているのもあるだろうが、恐らくそれだけではない。
飴井迅と永井玲奈の継 ぎ目 のもたらす繋がりが強いのだ。
既に強い絆が結ばれている。
だからこそ、
――感じる、分かるぞ。あっちか!
高円寺 カモノハシハウス
黒いフードの少年が音もなく階段を上る。
板一枚軋まず、周囲の空気も動かすことがない。
廊下を歩く。やはり音もなく、そこに見えているのに存在を疑いたくなるほど彼は希薄であった。
黒いフードの少年、マルチネスは
階段を上った手前が飴井の部屋だ。
マルチネスはノブに手をかける。
さすがにドアを通り抜けることは出来ない。
飴井が気付かなければいいが…と思ったがそこまで上手くいかなかったようだ。
飴井はカーペットを敷いた床にあぐらをかいてポカンとこちらを見ていた。
姿を消すことも出来たが、見つかりそうになったらにしようと思っていた。
ドアを開けた瞬間に目があうとは…。
「……誰?」
戸惑いながらも何とか口にした言葉なのだろう。
「マルチネス」
聞かれたら、答えるしかない。
「…知り合いだっけ?」
「いや、初対面だ。」
「…部屋、間違えてないよね?てか君、子供だよね?」
飴井はこれで案外肝の座った男なのかもしれない、とマルチネスは思った。
相手がラギュラポだと明らかに判るハズなのに恐れたり狼狽えたりする様子がない。
「姿はな。まあ
見つかってしまったのはミスだが、こうなったら早めにこちらの素性を明らかにして余計な警戒心を抱かれないようにするべきだろう、敵ではないのだから。
「へぇー!
だが、飴井自身の反応はマルチネスが予想したものと全く違った。
「…?」
「てか来月対バンだよね!ネットで動画見たよ、すっげ俺緊張しててさ、でも楽しみで…」
「へ?たいばん…?」
何の話をしているのだろうか…。
考えてみればマルチネスは、飴井の人柄をあまり詳しく知らない。
冗談が好きだったり、会話の中で人を驚かせたいタイプなのかもしれない。
だが明らかにこれは様子が変だろう。急に親し気に接してこられてる気がする。
何か誤解が生じているのだろうか。
「で、何か用だっけ?」
飴井が見知らぬ少年に来意を尋ねている。
マルチネスは思考を巡らせた。
これは想定外、というか理解の範囲外だ。全く状況がつかめない。
だがあまり時間がない。このトラブルをうまく利用できれば好機に代わる。
「ああ、ちょっといいか?」
「ん?」
マルチネスはあぐらをかく飴井の隣に歩いていき、座ってフードをとる。
「こういうの知ってるか?」
マルチネスが飴井の髪の毛をつまむ。
拒絶されるか、と思ったが案外あっさり触らせてくれた。
むしろ興味津々に見ている。
かなり脱色されていて銀色に近い髪だ。
マルチネスは頭を
「何これ。じっとしてればいいの?」
飴井は不安も感じない様子で少年の指先を見ている。
「今、俺ら子供の間で流行ってんだぁ。」
飴井の髪とマルチネスのやや青みかかった灰色の髪を、一本の細いヒモ状に編んでゆく。
「友情の証か何か?」
「そう、そんな感じ?編んだ部分、もらっていい?」
「切るの?!…まいっか、だいぶ痛んでたしそろそろ美容院行こうと思ってたんだ。」
いくらなんでも気を許し過ぎだろ、とマルチネスは思ったが、
「ハサミなんてないよね?」
「ああ、工具しかないね。」
「サンキュ、それでいいや!」
飴井が手を伸ばして小さな楽器メンテ用の工具ケースをとった。
マルチネスは自分と飴井の頭髪が編まれた部分をニッパーで切った。
「一本だけでいいのかい?」
飴井は立ち上がる少年の手からニッパーを受け取る。
「充分だ。本当、助かる。」
思いのほかうまくいったことに満足してマルチネスはドアを開け出ていこうとした。
――いや、やはり気になる。
「飴井 迅、お前、
と訊いてみる。
「ん?…じゅびと?ってなに?」
嘘をついたり知らばっくれている風ではない。
――もしかして、とは思ったが、やはり自覚がないタイプだ…。
「いや、またな。」
と言ってマルチネスは飴井の部屋を出て行った。
*
マルチネスは急ぎ足で佐野場の部屋に向かう。
足音はしないが気配まで消すことはしていない。
ノックしてすぐにドアを開ける。
「いるか?」
「ああ。」
佐野場はスマホで動画を観ていた。
「永井玲奈に
「分かったのか?!」
「間違いない。」
マルチネスが断言した。
そうか、と言って佐野場はスマホを閉じポケットにしまった。
「もう
マルチネスは佐野場を真っ直ぐ見る。
「ああ、約束通りにする。」
それを聞いてマルチネスはゆっくり頷く。
そして
「3つ作った。使い方わかるか?」
「
「永井玲奈の匂いを覚えさせてある。上手くやれ。」
「任せろ。」
*
佐野場の部屋を出ると、マルチネスは再び急ぎ足で
念のため姿を消しドアを開ける。
誰もいない、とわかり姿を現す。
「いるよな。」
小声でアントッティを呼ぶ。
「ええ、いるわよ。何、血をもらったの?」
天井から声がした。姿は見えないが向こうからはマルチネスが見えているらしい。
「
「スルーかよ!…お風呂みたい。」
自分の質問は無視された形だが、相手の質問にはちゃんと答えた。
「
「…どしたの?」
「あと、この仕事終わったら、お前は
「ちょ!何言ってるの?」
天井からフワリとムササビ猫が降りて来た。
「もういいだろいい加減、許してやれよ。」
「それじゃ私の気が済まないの!」
「
言いたいことだけ一方的に、でも託すように告げるとマルチネスは窓から飛び出し、黒い風になって上空に
下方でアントッティが何か言ったような気がしたが聞き取れなかった。
眼下に高円寺の街並み、JR中央線、環状七号線が見える。
さらに上空へ。
景色は立体感を失い一枚の地図のように見えてくる。
――感覚を研ぎ澄ませ。
右手の人差し指に意識を集中する。そこに飴井と自分の頭髪で編んだ指輪がある。
――感覚を研ぎ澄ませ。
飴井の髪の毛に触れた瞬間ハッキリと永井玲奈の姿も声も居場所も、今どんな気持ちでいるかも如実に感じ取ることが出来た。
血を読むとは本来、
だが今回はその必要もなかった。
飴井迅と永井玲奈の
既に強い絆が結ばれている。
だからこそ、
――感じる、分かるぞ。あっちか!