3 未練

文字数 4,210文字

 その後は結局どちらからともなく連絡を取り合い、それぞれに都合をつけ3、4か月に一度顔を合わせるようになって、一年が過ぎた。
 何かと理由をつけてマイロンへ行きたがる社長の変化に、社員が気付かない訳がない。何せこれまではほとんど地元を出ず、大学時代から付き合いのある企業へ赴く以外は社員に任せ、社長が必要な最低限のときしか上京しなかったのだ。「たまにはイベントに顔を出してくる」とルイスが言い出したときには、一体どういう風の吹き回しかと大騒ぎになったくらいだ。
 一つ大きな仕事を終えた打ち上げの場で、ルイスを囲んでとうとうその話になった。
 オフィスに近い、町の広場に面したレストランで、暑く日の長い季節のこと、店の前のテラス席は大勢の客で賑わっている。彼らもテーブルを一つ占領し、その短辺にルイスを据え、現在休暇で不在の一人を除く六人がそれぞれ向かい合う形で座っていた。
「さあ、白状しろ、ルイス・ヴァローナ。お前、マイロンに誰かいい奴がいるんだろう」
「え」
 ドン、とルイスの前に、スポーツで鍛えられた太い腕を伸ばしてワインのボトルを置いたのは、大学時代からの付き合いのイワン・ヘルダーリンだ。空いていたルイスのグラスに、ワインをつぎ足す。
 顔が近い、と彼のどアップから身を引いたルイスだったが、他のメンバーを見ると、皆興味津々といった表情で身を乗り出している。
「何の話、かな」
 ルイスだって、いい奴、というのが恋愛の相手を指すことくらいはわかる。が、なぜ自分がこういう話のターゲットになるのかは理解できずに、早速逃げる算段を始める。
 イワンの向かいに座る甘いもの好きのランラン・ステクロフが、黒髪のツインテールを楽しげに揺らしている。まるでアニメの世界から飛び出てきたような外見だが、こう見えてプログラムのエキスパートだ。
「私たち、ルイスのお相手はどんな方なのかなって、いつも話してるんですよ」
「お、お相手?」
「そーよ。あなた子どもの相手すんのは好きなくせに、浮いた話の一つもないんだから。心配してんのよ、これでも」
 イワンの隣でビールを豪快に煽っているのは、敏腕経理のエリザベス・サルトノ、通称リズだ。ルイスが休日にボランティアで開いている工作教室に、彼女の息子も通っている。次の秋から初等学校に上がる予定の息子は、ルイスお兄さんが大好きだ。
 ルイスは黙ったまま、ワインを口に運んで逃走ルートを確認する。
 イワンが、今度は手のひらでテーブルをバン、と叩いた。
「ほら、言ってみろ。場合によっちゃ、出張旅費も宿代も出してやらないからな」
「それは、あんたが決めることじゃない」
 イワンにリズが冷静に釘を刺している向こう側で、昨年高校を卒業し入社してようやく一年になる食べ盛りのはやりもの好き、経理補佐のカイル・ホスローが手をあげる。
「今度連れてきてくださいよ、ルイス。っていうか、遊びに来てもらえばいいじゃないすか」
 手をあげたついでに、大皿に残っていた骨付き肉を一つ取り上げていった。
 おおー、とカイルの言い分に賛同の声と拍手が上がるのを、「それはない」とルイスの硬い声が遮った。実のところこれまでも、リフェールがこちらに来ると言うのをなんとか理由をつけて拒んできたのだ。
 断固とした声に、賑やかだったテーブルがしん、と静まった。しまった、とルイスが唇を噛むと、「それは、どういうことかしら、ルイス」と、おっとりと柔らかな声が沈黙を破った。
「私たちに会わせたくないとか、来られない理由があるとか…ご病気?」
 システムエンジニアのアヤ・ファザーリーは、子どもの進学に合わせてわざわざ隣国から移住してきたという変わり種だ。しかもその子どもは、すでに他国で職を得ている。カイルが一緒だと息子を相手にしている気分にでもなるのか、向かいに座る彼の取り皿にせっせと料理を取り分けてやっていた。
「病気? 入院ですか? ルイス、そんな事情のある人と、どうやって知り合ったんです?」
「だからあんときよ、ほら、いつだったか補助金の申請か何かでマイロンに行ったとき」
 会社の財布を握っているリズの向かい側で、エリー・リトルトンがにこにこと端末の画面を見ている。主にデータベース管理を担当する彼女は、耳が聞こえない。家族とは手話でコミュニケーションを取るが、手話ができない会社の皆の会話は文字に変換し、端末を通してやり取りをしている。
 話を持ち出しておきながら本人を置き去りにしてギャンギャンと好き勝手を言い合う会話のどこまでを理解したのか、そのエリーがふと顔を上げてルイスと目を合わせた。にこ、と可愛らしく微笑む様子に、ぞくり、とルイスの背中に悪寒が走る。
 と同時に、テーブルに置いた各自の端末が一斉に着信を告げた。エリーだ。
『どんな人なん? はよ言え!』
 それぞれにメッセージを確認した社員たちが、どっと笑った。ルイスも、苦笑いせざるを得ない。
 見た目は綿菓子かシャボン玉か、と言いたくなるようなフェアリースタイルのエリーだが、彼女はストレートな言葉を選ぶことが多い。人を慌てさせることもあるが、不思議とその言葉はすんなりと聞いた者の心に響くのだった。
 たった今までどうやって誤魔化そうかと考えていたルイスも、少しなら話してみてもいいような気がして頬杖をついた。
「何でもない、学院時代の同級生だよ。さっきリズが言った、あの補助金の件のときに久しぶりに会ったんだ。あの近辺で仕事してるって言うから、たまに会っていろんな店教えて貰ってる。ほら、この前のお土産も」
『何でもないわけあるか! あんなにいそいそ出ていくくせに!』
 エリーの遠慮のないつっこみに、またしてもテーブルが沸く。
「ええ?」
 いそいそってどういうことだ、と耳が熱くなるのを感じ、ルイスが頬杖を外して眉を下げた。
「どんな方なんですか」
 ふふ、と上品に口元を押さえて笑うアヤの言葉に、それを聞きたいと言っているつもりかエリーがぶんぶんと首を縦に振る。
「いや、どんなって言われても…見た目?」
「『いや、どんな』って、迷うのかお前は! じゃあまず、見た目!」
 イワンがさらにルイスのグラスを満たし、ほら、と目の前に差し出してやる。これを飲んで話せということか、とルイスは気が乗らないながらもそれを受け取り、もう逃げられないと喉を湿らせた。
 まさかこんな風に、彼のことを誰かに話す羽目になろうとは。
 「えー、じゃあ、まず見た目」とルイスはワイングラスをテーブルに置き、その足から指を離さないままぼんやりとそれを見つめながら、ゆっくりと話し出した。
「身長は、オレより少し高いくらい。オレが176だから、…180はないと思う。体重は絶対、オレより重い。筋肉ついたし。昔は華奢な感じで可愛かったのに、大人になって筋トレにはまったとか言うんだ。スポーツは何でもできたからおかしくはないのかもしれないけど、筋トレってはまるもんか?」
 そう言ってふと左手に座る男を見るが、「筋トレの何が悪い」というイワンの声と「これ程じゃないけど」というルイスの声が重なって、テーブルから笑いが起こる。
 「おれのことはいいから、さっさと話せ」とイワンが促すと、ルイスはそこに彼の顔が映ってでもいるかのようにワイングラスに視線を戻し、渋々先を続けた。
「…髪は、前はシルバーブロンドだったのが、最近はちょっと柔らかいクリーム色に見えるようになった。今は短く切ってるけど、伸ばすとストレートで、日に当たるとすごく綺麗なんだ。目は色素が薄くて青くて澄んでて、大きくてくりっとしてて、でもいっつも眉が寄ってるから怖がられるのがもったいなくて。そういえば、初めて会ったときに女の子と間違ってすごく怒られたっけ」
 そのときのことを思い出して懐かしく口元を綻ばせたルイスは、は、と自分に集まる視線に気が付いて顔を上げた。
「同級生の話だからな」
 牽制するようにテーブルを見渡すと、アヤがええ、と優しく微笑んだ。
「それで?」
 なぜみんな、こうも期待に満ちた目をしているのか。ルイスの恋愛対象が男だというのは、皆が知っていることだからそれはいい。が、勝手に勘違いされるのは、面白くない。いささか納得がいかない気分になりながら、ルイスはもう一口ワインを飲んだ。
「あー、いや、だから。短気で癇癪持ちで負けず嫌いで、オレはいつも何かっていうと勝負をふっかけられてたんだよ。なんであんなに、目の敵みたいにされたのかな。試験があるといえば成績争い、試合があると聞けば選手枠争い、何もないときは暇だからってありとあらゆるゲームで対戦しなきゃいけなくて。ついてくの大変だったんだ、本当に。勉強なんか、最後は成績トップ持っていかれたし」
 その頃のことは、思い出すとまだ少し胸が苦しい。ルイスは一度グラスを空にすると今度は自分でワインをつぎ足した。
「まあ、お陰でオレも、割と何でもできるようになったか。音楽以外なら。あいつ、楽器も色々できるんだけど、学院ではイライラするとよくピアノ弾いてたんだ。すごい早いやつ。でも全然間違えなくて、ロボットみたいだと思ってたよ。全然愛想がないのもほんと、そっくりで。でも、気持ちは熱いから、ロボットじゃないか。優しいし」
 話をしながらふとルイスは、最後に彼のピアノを聴いたのはいつだったろうと考えた。
 散々躊躇っていた割には、口を開いたら皆が呆気に取られるほど楽しげに立板に水と喋っていたルイスだが、そこでぱたりと口を閉ざした。
 しばらく待って、カイルがカツン、とフォークで皿を突く。
「ルイス?」
 テーブルに両肘をついてルイスが、組んだ手の甲に俯くようにして目をあてた。自分でもよくわからないが、何かが胸に溢れて苦しい。口を開けば意味のない言葉が飛び出てきそうで、ルイスは慎重に息を吸っては吐き出した。
 ランランが無意識に彼に伸ばした手を、エリーが肘でつついてやめさせる。
「バカだな、お前」
 イワンが宥めるように言って、アヤから回ってきたハンカチをルイスに差し出した。
 ルイスには、誰も触れることができない。肩を叩いて励ましてやりたくても、背を撫でて落ち着かせてやりたくても、誰も、彼にはそうしてやることができない。彼が、それを拒むのだ。
 そんな社長を目の前にして、社員たちは時折、ひどくもどかしさと寂しさを感じるのだった。
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