1 迷い ⅲ

文字数 4,873文字

 アリーシア社の迅速な対応により、その後警備システムは無事に当初の予定通り機能し、一週間にわたる国際会議はつつがなく開催され、閉会した。
 警備システムが不正プログラムに感染した件は、リフェールがアリーシア社を訪れた次の日に報道されて、大騒ぎになった。
 システムを最初に受注した企業の感染源は、その取引先だった。そこで使用していた機器のセキュリティホールに、不正アクセスされたらしい。最終攻撃目標は政府で、多額の身代金を要求されたことも、合わせて報道された。
 かねてから、こういった大規模で国際的なイベントがあるときはサイバー攻撃に遭いやすいとは言われていたが、一国の政府を狙うというのは非常に大胆で注目を集めた。幸いだったのは、盗み出されたデータには、より重要性の高いデータ、中でも軍事機密に関わるものなどは、含まれないということだった。
 一方、国際会議直前に警備システムを整備したことについて、短期間で対応したことで一気にアリーシア社の知名度が上がった。その影響は大きく、ルイスは次々に舞い込むようになった仕事の依頼やメディアの対応に奔走する羽目になった。
 会議の後片付けに忙しかったリフェールが休みをとってルイスのオフィスに顔を出し、以前彼に告げたように社員を誘って食事ができたのは、会議が終わってひと月後だった。
 食事の席はルイスの隣にリフェールを据え、残念ながらトムは不在だったが、大層盛り上がった。例の如く、オフィスの近くのレストランだが、もういつ雪が降ってもおかしくない時期のこと、店内は暖房が不要に思えるほどの熱気がこもっていた。
 リフェールがルイスをはじめとするアリーシア社のメンバーに礼を述べ、この場は己の奢りだと告げると、わっとテーブルが沸いた。
 好奇心むき出しのメンバーから次々と質問ぜめにされるリフェールを、ルイスは笑いながら横目で見ている。が、内心は、どちらも余計なことを言ってくれるな、と冷や汗をかいていた。
 中でも二人の真正面に座っているランランとエリーは、無邪気を装いつつも身を乗り出してルイスの学院時代を聞き出している。端末に、ひっきりなしにリフェールとエリーの会話が表示されるが、それにも関わらず話も途切れさせないリフェールの器用さに、ルイスは呆れつつも感心するばかりだ。
 やがて、頃合いを見てリフェールが退席しようとしたときだった。ホテルに帰るリフェールをルイスが送っていく、というと、ランランが「ええ!?」と声をあげた。
「ホテルだなんて、ルイス、どうしてアパートメントに泊めてあげないんですか?」
 どうしてと言われても、と思わずルイスとリフェールが顔を見合わせる。
「オレも、泊めてもらったことないし」
「ホテルの方が気楽だろう?」
 ランランを振り返ってそう答えた二人は、な、と互いに頷きあった。
 「なんでそうなるんですかぁ!」と悲鳴をあげるランランの隣で、残り物を摘んでいたカイルが首を傾げる。
「二人、学院時代に同室だったりしないんすか? 寮制でしょ、あそこ」
「そりゃ、六年もあれば何回かは」
 ルイスが苦笑して答えた。
「5年次のときは、リフェールが強引に部屋替えして同室になったよな」
「言っておくが、きちんと理由があってのことだ。俺だって、傍若無人ではないぞ」
 強引と言われたら抗議せずにはいられないリフェールだったが、その弁明にルイスは笑いながら首を振った。
「あれは、きちんとした理由なんかじゃなかっただろう」
 まるで他人事のように言うルイスに今度はリフェールが眉を跳ね上げ、椅子に座り直してグラスに残っていたワインを一気に飲み干した。
「お前がそういう、自分のことはどうでもいい、みたいな態度だったから俺が動く羽目になったのだぞ」
「どうでもよかったわけじゃない。どうしたらいいか、わからなかっただけだ」
「そういうときは、周りに聞け。手を伸ばせ。お前は、諦めるのが早すぎるのだ」
 当時のことを思い出して、二人は周りを気にする様子もなく次第にヒートアップしていく。
 カイルが骨付き肉にかぶりつく寸前で動きを止め、あまり見ることのないルイスの様子に驚いている。彼の知るルイスは仕事以外声を張り上げてまで主張することがないし、普段の会話でもやり込められることの方が多いのだ。相手がリフェールだとピンポン玉じゃないか、とカイルは目を丸くした。ランランも同様だと見えて、視線は正面の二人を捉えたままカイルの腕をつついて「ルイスが」と呟く。
 呑気にビールを煽っていたイワンは、むしろその様子が楽しいのか笑いながら二人を眺め、リズと「乾杯」とグラスを打ち合わせた。テーブルの角を挟んで隣り合っているアヤとエリーは、目をを見合わせて肩をすくめている。
「あのときは、到底そんな雰囲気じゃなかったじゃないか」
「見えていなかっただけだ、お前が。俺ではなくても、ちゃんと気にしていたやつはいたぞ。アリスだって会長だって」
「アリスと会長が、何をしてくれたっていうんだ。あの二人がオレの見えてないところで何をしてくれたか知らないけど、そんなことするくらいなら普通に話しかけてくれたらよかったんだ。言っとくけどあの頃、用もないのにオレに話しかけてきたのは、お前くらいしかいないんだからな」
「待て、用もないのに話しかけたことなどないぞ」
「知ってるさ、そんなの。そういうことを言ってるんじゃなくて、結局あの頃お前以外はみんな敵だったって話だ。会長なんか結局、最後に出てきてあいつらを連れてっただけだったし」
「確かに、結果的にはそうだったが」
「結果的!?」
 このとき、各自テーブルに置いている端末が一斉に着信を伝えた。
『今更やんな?』
 エリーのメッセージを目にし、苦い顔を見合わせた二人を除いて、どっと笑いが弾ける。リズがはいはいはい、と手を打ち鳴らして皆の注意を引く。
「じゃあ、狭いけどうちに泊まんなさいよ。二、三日いるって聞いたわよ。息子の勉強、見てくれたら助かるわ」
「リフェールは、お前んとこの子守りにきたわけじゃねーぞ。おれんとこに来いよ」
「何言ってんのよ。あんたんとこ、ただ広いだけで足の踏み場もないくせに」
「うちでもいいですよ! ちょっと猫が多いけど」
「オレんちは今ちょっと、ばあちゃんの具合が悪くて…すんません」
「いや、だから俺は」
 なぜか誰がリフェールを泊めるかという話になり、リフェールが困惑している。ルイスは口を挟むことなく聞いているが、なんとなく顔がこわばっていた。それに気付いて、アヤとエリーがそっと目を見交わす。
 ルイスの手の中の端末が震える。エリーだ。
『諦めるのが、早すぎるらしいよ』
 先程のリフェールの言葉か、とルイスは端末から目を上げると、斜め向かいに座っているエリーに向かって笑いながら小さく首を振った。
 当人たちを置き去りにして繰り広げられているリフェール争奪戦の中、エリーが静かに言う。
『手を伸ばそうよ』
 ルイスが、ゆるゆると首を振る。
『ちゃんと見えてる?』
 端末に目を落としてゆらゆらと首を振り続けるルイスに注意を引かれて、リフェールが「おい」と肘でルイスの腕を突く。
「どうした」
 酔ったか、と顔を覗き込まれて、咄嗟に端末の画面を落としたルイスはきゅっと口を引き結ぶと、すぐに笑みを浮かべて立ち上がった。
「別に。お前、帰るとこ決まらないならオレは先に帰るぞ。明日は午後からだったら、観光でも何でもつき合ってやるから。みんなも程々に」
 お先に、と席を離れていくルイスを呆気に取られて見送った一同は、一斉に我に返る。イワンがバシンとリフェールの肩を叩いた。
「追いかけろ!」
「ちょっと待て、さっきから何だというのだ。なぜみんな揃って、俺をあいつの家に泊めたがるのだ」
 力任せに叩かれた肩を押さえ、眉を寄せてテーブルを見回すリフェールに、リズが言った。
「あなただけだからよ。彼が、触れることができるのが」
 意味がわからないと、一層リフェールが顔をしかめる。その様子を見て、アヤが穏やかに尋ねる。
「もしかして、ご存知ないのかしら、彼のこと」
「何があるのだ。あいつのことで、俺が知らないこと?」
 会わなかった十数年の間の出来事は知らないことの方が多いが、と考えて、ふとリフェールはずっと前の、けんか別れの原因を思い出す。再会するまでは頭のどこかに引っかかっていたそれは、ルイスの無事な姿を確認できたことで綺麗さっぱり忘れ去っていた。
「病気のことか」
「病気なんかじゃない」
 すかさずカイルがバン、とテーブルを手のひらで叩いた。
 その剣幕に驚いて束の間鼻白んだリフェールだったが、すぐに気を取り直して尋ねる。
「違うならいい。あいつが、なんだというのだ」
 社員たちは互いに視線を交わして譲り合った結果、アヤがゆっくり話し出した。
「ご本人は何も言わないので、これからお話することは、あくまでも私たちの推測です」
 そう前置きして語られたのは、ルイスが誰とも接触しないこと。握手も、肩を組むこともない。近づくと、さりげなく距離をとる。小さな子ども相手ならためらいなく抱き上げてやったりもするが、大人相手には触れる機会を慎重に避ける。だから、そのルイスが触れることのできるリフェールは、きっとルイスにとって特別な相手なのだろうと。
「さっき、リフェールがルイスを肘で突いても、ルイスは怒らなかったでしょ」
「いや、あれくらいは……」
 あんなのは触れたうちに入るか、とランランの言葉に面食らったリフェールに、彼女は指でバツを作ってみせる。
「あれくらい、もダメなんです。私たちじゃ、怒られちゃうか怖がられちゃう」
「怖がられる?」
 そんなことが過去あったか、とリフェールは思いを巡らせる。学院時代は、支障なく過ごしていたのではなかったか。強いて言えば付き合っていたあの短い時期は確かに、触れられるのが嫌なのかと思ったこともあったが、全てではなかったように思う。それとこれがどう結びつくのか、同じところに原因があるのか、リフェールにはわからない。
 いや、とリフェールがはっとする。出会った当初はそんなそぶりがなかったのに、あの頃から少しずつ変わって今はできないというなら、原因は自分なのではないか。そのことに気付いて、すっとリフェールの背筋が冷える。
 だがしかし、今、自分とは普通に接しているではないか。どういうことだ。
「何か、あったのかしらね」
 リズがワインを一口飲んで、ふう、とため息をつくと、アヤは首を振った。
「何かがあっても、何もなくても、それはいいのよ。でも、人に触れるっていうのは、多かれ少なかれ人に対する信頼がないとできないことでしょう。誰だって、誰もが、初めて会う人となんでもできるわけじゃない。だから」
 そこまで言ってアヤが口ごもると、リフェールも気分を変えるように一つ大きく息を吐き出して、立ち上がった。
「よくわかった。しかし、この話はここまでだ」
 アヤが言った通り、ルイスが話さないことは全て想像だというならば、ここでこうして話していても何にもならない。それが、彼が伝えたいと思っていないことならば、尚更のこと。
 今更ながらリフェールは、何か聞けるかと期待してルイスを追わなかったことを後悔した。
 ルイスのことは、ルイスに聞かねば。
「勘定は済ませておくから、ゆっくりしていってくれ。また飲もう。今日は楽しかった」
 じゃあ、と片手をあげてさっさとレジに向かい、支払いを済ませて店をあとにするリフェールを見送って、一同揃ってため息をつく。
 『失敗したー!』とのエリーの言葉に皆黙って俯いたところに、続けて二つのメッセージが一斉に着信した。
『どうした?』
『失敗は成功のもとと言うぞ』
 それぞれ、ルイスとリフェールからだった。エリーがうっかりして通常のメッセージ機能と翻訳機能の使い分けを誤り、かつ送信先の設定も間違ったらしい。知ってか知らずか、それに律儀に二人が返信したのだ。
 沈みかけていた場が、再びわっと弾けた瞬間だった。
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