2 和解

文字数 5,269文字

 二人が再び顔を合わせたのは、それから3か月後だった。ルイスがマイロンで開催される会合に出席することになり、そのついでに会えないかとリフェールに連絡をしたのだ。
 それぞれに仕事を終えた夕方、駅前で落ち合ってリフェールが時々行くという食堂へ向かう。ちょうど空いていた入口脇の丸テーブルに落ち着いて、ルイスはぐるりと店内を見回した。
「お前でも、こういう店に来るんだな」
「どういう意味だ」
 リフェールが、テーブルに置いてあるメニューを広げてルイスに向ける。
 店内は狭くはないものの、身体を動かせば隣の席の客とぶつかってしまうほど席が多い。皆大層賑やかで、いつから飲んでいたのか、すでにいい具合に酔っ払っている客もいる。場所柄、近くのオフィスビルに勤めている者が多いようだが、もう無礼講の雰囲気だ。空調は効いているらしいが、熱気がこもっている。喋って飲んで食べれば、そんなものは気にもならなくなるということか。
「お前は、静かな店が好きだと思ってた。よく、一人でいるのを見てたから」
「ここは、味と量と値段がいいからな。お前の言う静かな店には、たまに仕事で行くくらいだ。そっちが良かったか?」
 リフェールの問いに、ルイスがまさか、と笑ってメニューを引き寄せた。
「いい店を教えてもらった。こういう雰囲気の店が好きなんだが、この辺は全然わからないんだ」
「ふん。食べてから言うのだな。あとで、俺を拝みたくなるぞ」
「拝むなら、ここの主人だろう」
 二人は、潰したじゃがいもに肉や野菜を混ぜて焼いたものや、魚介のオイル漬けと生野菜を和えたサラダなど何品かとワインを頼んで乾杯する。そうしてまずは、腹ごしらえとばかりに食事を掻き込んだ。
 断食でもしていたのかと思う勢いで次々と皿を空にしていくルイスに、カウンターの奥にいた樽のような主人も目を丸くしている。あらかた平らげて人心地ついたタイミングで、リフェールが呆れたように訊ねた。
「食べていなかったのか」
「食べたさ、ちゃんと。どれもすごく美味しいから、つい。それに同業者と顔を合わせる仕事は気を遣うから、お腹すいてたんだ」
 それを聞いてリフェールが、何かを言いかけたのを誤魔化すようにワインを口にする。どうかしたかとルイスが首を傾げると、リフェールは「いや」とグラスを置いた。
「今、何をしているのだ」
「仕事か? システムエンジニア。プログラムもする。っていうか、まあ、何でも。IT関係、ひと通り引き受ける。そうできるように、人を集めたから。町の雑用係かって、社員には言われるけど」
「システムエンジニア?」
 涼しい顔でワインを口に運ぶルイスとは反対に、リフェールの声が裏返った。その驚きようを面白がって、ルイスが笑う。
「そんなに驚くことか」
「あたりまえだ。そしてなんだ、人を集めたって。お前、会社を立ち上げたのか」
「ああ。小さいけどな」
 なんでもないことのように言って、ルイスは「アリーシア社」と社名の入った仕事用のカードを差し出した。
 二人の出身校には、国内のみならず各国から政治家や貴族、または世界的に活躍する実業家などの子息が多く集まる。そこは将来を見据えた繋がりを得るためのコミュニティでもあって、当然の如く、卒業すれば彼らも親と同じ道を進むことが多い。起業家もいるが、ルイスのように自分の手で何かを作り出すような技術職を選ぶ卒業生は、確かに珍しい。
 最後は進学先すら確認せず各々の道に進んだ二人だったが、リフェールは間違いなく専門職養成大学に進んだだろうと、ルイスにも容易に想像がついた。目の前にいるのが、典型的な学院卒業生なのだ。
 ルイスは、改めて相手の姿を見やる。今日は仕事のあととあって、前回会ったときとは雰囲気が違う。あの日下ろしていた長かった前髪は、左側を全て後ろに撫で付けてあり、右側だけ目の上まで下ろしている。こんな時間でもきっちりとノリの効いた淡いピンクのシャツは襟だけが白く、袖を肘まで捲り上げている姿はさながらドラマの主人公のようで、(さま)になっている。似たような格好をしているはずのルイスは、己と彼との違いにため息を押し殺した。
「お前は? リフェール。弁護士か役人ってとこか。それとも銀行か証券だろう」
 ルイスが推理してみせると、リフェールは「もらっても?」と確認してから、まるで貴重品でも扱うような手つきでカードをケースに収める。
「役人だ。外務省」
 そうして代わりに自分のそれを取り出し、ルイスに差し出した。
 外務省、とルイスがカードを見ながら何やら立派な肩書を読み上げる。
「お前は家業を継ぐ道もあったんだから、意外なのはあいこだけどな」
「そんなつまらんことを、する気はない」
 リフェールは、憮然として答える。彼の実家は、代々続く公爵家だ。後継と目され自身も爵位は持っているが、家長の母が公爵として健在の今、家を継ぐことには全く興味がなかった。
「父上とは、その後どうなのだ」
 家のことを持ち出されてお返しとばかりにリフェールがそう尋ねると、今度はルイスが驚く番だった。リフェールのカードは、そっと手帳に挟んでかばんにしまう。
「お前の口から、父の話が出るとは思わなかったよ。あの頃も、一言も言わなかったじゃないか」
 ルイスの父親、アントワーヌ・ヴァローナは、全国的に有名な政治家だ。学院の卒業生でもある。二人が在学中に彼の不祥事が明るみに出て、そのせいでルイスが生徒たちの反感を買う羽目になり、ひと騒動起きたことがあった。
 失言だったかとひやりとしたリフェールだったが、ルイスが穏やかに笑みを浮かべている様子にほっと胸を撫で下ろす。
「気を遣ってくれてたんだろう。今更だけど、ありがとう。あのときは本当に、救われた」
「そういう話ではない。お前こそ、家業を継がずに良かったのかと聞いている」
 ややぶっきらぼうな言い方に、ルイスが笑う。
「政治家は家業じゃない。勘当されたよ。そっちは?」
「絶賛大げんか中だ。家出だと思われている」
 とはいえ今は官舎住まいなので、あながち外れでもない。公爵である母にとって、わざわざ家を出て民間のアパートメントでもなく官舎を借りて住むなど、それはもう家出としか思えないだろうと息子にもわかっている。官舎から地下鉄をひと駅乗れば、マイトナー家所有の別宅もあるのだ。
 ふとリフェールは向かいに座るルイスの後ろの壁に、ダーツの的が掲げられているのに目を留めた。この店には何度も来ているのに、今まで一度も使われているのを見たことがない。
「親父、そこのダーツ、遊べるのか」
 くいっとあごで的を指してカウンターの向こうにいる主人に聞くと、視線の先を確認して彼は頷いた。
「もちろん。まあ、そこからじゃ近すぎると思うがね」
 そう言いつつも、棚からダーツのケースを取り出してほら、とカウンター越しに差し出してくる。礼を言い、立ち上がってそれを受け取ったリフェールは、にやりと笑ってルイスを振り返った。
「ルイス、勝負だ」
「え?」
 突然何を言い出すのかと、ルイスは構わずナッツを口に放り込む。
「俺が勝ったら、昔のことはチャラにしろ。お前が勝ったら、お前の好きにしていい」
「え」
 ルイスはごくりと口の中のものを飲み込むとリフェールの手の中にあるダーツを見、頭の上のボードを振り仰いでから再び彼に視線を戻す。たちまちルイスの中にも、学生時代の彼にそれはもうありとあらゆる勝負を挑まれた思い出が蘇り苦笑した。
「相変わらずだな、リフェール」
「ふん、受けるのか受けないのか、どちらだ」
 リフェールはボトルを傾けて最後の一滴までグラスにつぎ終えると、2本目を頼んで喉を潤す。
 まさかもう酔ったのか、とその様子を眺めてから、そんな訳がないとルイスもグラスに残ったワインを飲み干した。昔のこと、と言われてぴんと来ない訳がない。
「受けるよ。でも、違うものを賭けよう」
 ダーツを手に取って矯めつ眇めつしていたリフェールが、「何だ」と顔を上げる。
 目が合ったところで、一つルイスの心臓が鳴った。今日の目的を果たすときだ。ルイスは大きく息を吸い込んだ。
「あのときのことは、ずっと、謝らなきゃいけないと思ってたんだ。お前のこと散々振り回して、最後は酷いこと言った。自分のことしか考えられなくて……悪かった」
 何とか目を逸らさずに、ルイスは言い切った。
 学院時代、二人がけんか別れをする原因を作り出したのは自分だ。そう考えてルイスはずっと、後悔していた。自分達の間に積み重なったものを惜しげもなくぶち壊したのも、そのとき一方的にひどい言葉を投げつけたのも自分だと。
 ずっと、謝りたいと思っていたのだ。
 一瞬ぎょっとしたリフェールは不貞腐れた様子で座ったまま、ダーツを的に向かっていい加減に放った。誰かが「危ない!」と言うのが聞こえたが、その腕前はルイスも知っている。距離がないこともあってか、それは過たず20のトリプルを刺した。
 リフェールはふん、と鼻を鳴らすと、ルイスに視線を戻して不機嫌そうに言った。
「俺も悪かった」
「リフェール。なんでお前が謝るんだ、やめてくれ」
 到底謝っているようには聞こえない声と表情だが、しっかりその言葉を受け止めて慌てたルイスに、リフェールはため息をつく。そうしてきまり悪さを隠すように、じろりと彼を睨んだ。
「言っておくがな、その件はお互い様だ。俺だって、怒りに任せたままお前の話を聞こうともせずに距離を置いた。お前だけではない。俺も悪かった。だから、チャラにしろと言ったのだ。見ろ、一本無駄になった」
 ルイスは曖昧に笑い、困ったように首を傾げてリフェールを見た。
「カウントしたらいい。それで、じゃあ……許してもらえるか?」
「お前が、俺を許すなら」
 そう言ってリフェールが、おもむろに手を差し出す。
 ルイスとしては全面的に自分に非があると思っているので釈然としないが、これでは頷かないではいられない。躊躇いながら伸ばした手がさっと掬い上げられ、ルイスはびくりと肩を揺らした。
 ぎゅっと強く握って手を離すと、リフェールがほっと肩の力を抜いた。
「それで、何を賭ける」
 この場の重苦しい空気を払うように言って、店員が持ってきた2本目のボトルを取り上げ互いのグラスにワインを注ぐ。
 ルイスは複雑な表情で握手した手を見つめていたが、気分を切り替えるように顔を上げた。
「負けた方が、次に連絡するっていうのはどうだ」
 咄嗟に思いついたことだったが、何となく気恥ずかしくて、殊更冗談めかしてルイスは笑った。
 せっかく互いの連絡先を確認しあったというのに、リフェールに負い目を感じていたために、ルイスは連絡するのを躊躇っていたのだ。あのときこうして話している間はよかったが、一人になって冷静になったとき、途端に自信がなくなった。昔あんなことを言った自分が、会いたいと望んでもいいものかと。だから結局、連絡をとるまでに3か月も掛かった。
 もし、許されるなら。
 ルイスの言葉に、リフェールがふ、と顎を引いて目を瞬く。図々しかったか、とルイスがさりげなく目を逸らすと、リフェールは言いにくそうに口を開いた。
「俺から連絡して、迷惑にならないか」
「迷惑? 何が」
「付き合っている相手が、いるのだろう。それとも、家族か。この前、ケーキを買っていた」
 この前のケーキ、とルイスは一瞬眉を寄せたが、すぐに何のことか思い当たり、緊張が解けて笑いだした。
「よく見てたな。あれは会社に。甘いのが好きなのとはやりに敏感なのがいて、頼まれてたんだ」
 会社に。
 リフェールが何も言えないでいるうちに、ルイスもダーツを手に取って立ち上がった。
「今は、誰とも付き合ってない。まして家族なんか」
 そのあとに続く言葉は飲み込んで、リフェールの椅子の横からそれを無造作に放る。綺麗に真ん中に命中したのを見て、ルイスは肩をすくめた。流石にこれは、簡単すぎる。
「お前こそ、どうなんだ」
 座ったままのリフェールを見下ろすと、彼は椅子に背中を預けて、自身の右に立つルイスを見上げる。
「一人だ。あれ以来、そういうのはもうない」
 彼の視線の強さとその答えに、わずかにルイスの心が揺らぐ。それを強引に押さえつけ、逃げるように視線を逸らしてもう一本ダーツを取り上げた。
「なら、どっちが勝っても遠慮はいらないな」
 今度は、先程リフェールが投げたのと同じ20のトリプルにうまく命中した。ルイスは、呆れて傍らを振り返る。
「リフェール。これじゃ簡単すぎて、勝負にならない」
 リフェールは眉を跳ね上げると、笑いながら立ち上がった。
「なるだろう。お前は一本、外している。これから俺が、二本同じところに当てればいい」
「ええ? 待てよ、今のは練習」
「バカを言うな。さっきの一本をカウントするなら、勝負はもう始まっている」
 狭い通路での大の男二人のやりとりは、入り口を挟んでリフェールの後ろに座っていた客から「後ろ向きで投げればいい」というアイデアが出るまで続いたのだった。
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