1 迷い ⅰ

文字数 4,883文字

 机上の個人端末が、チカチカと点滅して静かにメッセージの着信を伝える。リフェールだ。珍しく勤務時間中に連絡を寄越したな、とルイスはメッセージを一読して、すぐに眉をひそめた。
『他社開発のシステムを引き継ぐことはできるか』
「何でそんな面倒なことをしなきゃいけないんだ」
 つい口から出た文句に、コホン、とわざとらしい空咳が応じる。ルイスは、あ、と端末から目を上げた。
 ルイスの執務室兼会議室で、今はそれこそ新規システム開発に関するミーティングの真っ最中だった。机を囲んでいる、ほかの三人の視線が痛い。
「続けても?」
 今回メインで担当するアヤがにっこり笑みを浮かべて問うのに、ルイスは「ごめん」と端末を置いた。
「失礼しました。続けて」
 そう言いつつ、心の中では気になって仕方がない。リフェールは、これまで仕事中に連絡をよこしたことなど一度もないのだ。
 しかし、それはそれとしてミーティングは続く。ともすれば視線が端末に泳いでしまう自分に気が付いて、ルイスは端末を胸ポケットに収めた。


「何なんだ、突然」
 ミーティングは30分ほどで終わり、メンバーが全員執務室から出ていく。ルイスは早速電話をかけ直し、コール一回で応答した相手に前置きせずに問いただした。ミーティング中に不作法をやらかす羽目になった原因だ、わずかに苛立ちもある。
「基本的に、他社のシステムに手出しはしない。引き継ぎもしない。よそに頼む話じゃないぞ」
『わかっている。悪かった。しかし今回は、よそに頼まなければならない案件でな』
 対するリフェールも、余計なことは一切挟まずに話す声がやや硬い。やはり何かあったか、とルイスも話し方を改めた。
「急ぎか?」
『ああ。実はもう、そちらに向かっている』
「え?」
『今、特急列車の中だ。あと1時間ほどで、そちらに着く。引き受けられないなら、それでもいいのだ。まずは見てもらいたい。時間を作ってくれないか』
 性急なリフェールの物言いに、ルイスも腹を括った。
「わかった。駅に迎えに行くよ」
 そう言うと、電話越しではあったがリフェールの安心したような気配が伝わる。着いたら連絡するように話をつけて、ルイスは通話を終えた。
 昔から、リフェールに挑まれて断った試しがない。できるか、と言われたらやるしかない。そんな性分になっている。だから、急な依頼などは構わない。それよりも気を重くするのは、彼がこの地に来るということだ。
 ルイスはため息をついて椅子に背中を預けると、くるりと椅子ごと向きを変えて背後の大きな窓を振り返る。すると、山の斜面に沿って立ち並ぶ学院の施設を眺めることができるのだった。


「どうだ、何とかなりそうか」
 リフェールが持参したパソコンと仕様書をデスクに広げ、ルイスが向き合っている。社員たちには「何かあったら呼ぶように。こっちは構わなくていい。時間になったら帰っていいから」と声をかけて、二人はルイスの執務室にいた。傍ではリフェールがルイスの椅子の背とデスクに手をついて立ち、パソコンの画面ではなく彼をじっと見つめている。
 ひと通り話を聞いてシステムに目を通したルイスはリフェールを振り仰ぐと、体温を感じるその距離にやや慄きながら、つられて身体を起こした彼にまずは座れと椅子を示した。
「無理だ」
 パソコンからリフェールに向き直ったルイスは、ミーティングで使う机から椅子を一つ隣に持ってきて座った友人に肩をすくめてみせた。
「データは全壊。多分、本体の方も同じだろう。うちはそもそもITセキュリティ専門じゃないから断言はできないけど、今まで使っていたので代用するか、ほかの方法を考えた方が早い。時間がないんだろう? やられたのが会議当日じゃなくて、よかったじゃないか。制作元で対応できないなら、ほかにいるお抱え業者に」
「これと同じものを、ゼロから作れるか。その仕様書は預ける」
「リフェール」
 あくまでもこの不良品にこだわる姿勢を崩さないリフェールに、無茶を言うなとルイスが呆れて椅子に背を預けた。
「お前が無理なら、どこか心当たりを教えてくれ。現状では、これを使うのがベストだ。会場に持ち込む前に俺のパソコンで最終チェックができると業者に言われて試した結果がこれだから、会場に設置済みの設備はかろうじて無事なのだ。現時点では、最強の警備システムだ。これには国の信頼と各国の安全がかかっている。もっと大袈裟に言えば、世界の平和がかかっている。それが、俺があんなものに引っかかってしまったせいで!」
 リフェールはギリギリと歯を食いしばり、ついにドン、と傍のデスクを拳で叩く。
「リフェール、落ち着け」
 ルイスに言わせれば、パソコン端末のウイルス感染など、どんなに注意しても避けがたい。その上今回のこれは、格別彼の落ち度には思えない。あえて言えばシステムを受注した企業の落ち度であろうが、ウイルスをばら撒いて攻撃してくる相手には常識が通じない。些細なところから入り込み大きなダメージを与えるのが目的なので、いかに復旧までの時間を短くするか、ということを考えて動くしかないとルイスは考えている。
「これが落ち着いていられるか!」
「リフェール」
 叩き壊したいのか自分を痛めつけたいのか、という勢いで何度も机を殴りつけるリフェールの拳を、ルイスが手のひらで受け止める。人の手の柔らかさにぎょっとして我に返った青い瞳を覗き込み、受け止めた拳を両手で包み込んだ。あーあ、赤くなってるじゃないか、とそっとその手を撫でる。
「わかった、大丈夫だ、リフェール。社で請け負う。何とかしてみせる。任せてくれるか」
 リフェールは、ルイスに話を持ってきた。事態は個人の手には余るが、幸いなことに、会社には自慢の​腕利きの技術者が揃っている。​
 わずかに平静を取り戻したリフェールは、ルイスの目を見返してすかさず頷いた。
「頼む」
 その判断の早さは、リフェールが持つルイスへの信頼と同等のものを彼の社員にも預けるということで、ふ、とルイスの口が笑みを形作る。そうして椅子を一つ足で漕いでリフェールに近づけると、ルイスはふわりと彼の肩を抱き寄せた。
「ありがとう」
 ルイスの肩に顎を乗せて、リフェールは一瞬目を見開いた。息が止まりそうになるが、なんとか一つ大きく深呼吸をして全身を預け、そっと目を閉じた。
「俺のセリフだ。頼んだぞ」


「とはいえ、どうやって進めるかは問題だな」
 仕様書に目を走らせて、ルイスが眉をひそめる。警備システムは初めて手がける上、どうやら、設置済みの設備の点検まで必要らしい。簡単に請け負ってしまったが、時間と人手が必要だ。
「全く同じものを作るには、どのくらいかかるんだ」
「…リーフェーーール」
 ルイスが、げんなりした顔でリフェールを見返す。そう簡単に、出せる答えではない。
 まずいことを聞いたのだ、ということは察して、きまり悪そうにリフェールはそっぽを向いた。
「この方面は、素人なんだ。お前も聞き流せ」
 ルイスは、苦笑いしながら内線に手を伸ばした。
「ちょっと相談してみる」
「今からか?」
 時計を確認してリフェールは、ルイスのオフィスを訪れてから社員たちに注がれた好奇心むき出しの視線を思い出す。退社直前の会社に乗り込んだ男が、どんな面倒ごとを持ち込んだかと思われているだろう。ここに来るまでは、少しも心に余裕はなかった。
 時間のことなど気にもかけずにいたが、この時間では皆帰ったのではないか。そう心配したリフェールに、ルイスはこともなげに頭を振った。
「誰か残ってるさ」
 その言葉は確かに間違いなく、残っていた社員が連絡を受けてすぐにゾロゾロとやってきた。経理以外ずらりと揃ったメンバーを目にして、ルイスが頭を抱える。
「トム! あなたは育休中だろう? こんな時間にこんな所で、何をしてるんだ」
 ほかの社員より頭一つ背が高く、豊かな髭を湛えて恰幅のいいスーツ姿の紳士が、人の良さそうな顔で頭を掻いた。
「え? ボスの一大事って連絡が入……っ」
 隣に並んだランランに腹をどつかれて、トムが口をつぐむ。要するに全員リフェールを見にきたのか、とルイスは察して横目で彼を見やる。もしかしたら残りの二人も、ドアの向こうで様子を窺っているのかもしれない。
 いつもの取り澄ました顔に戻っているリフェールはルイスと目が合うと、どういうことだ、と無言で訴えてきた。
「いや、まあ、確かに一大事ではあるんだが」
 正確にはオレのじゃない、と思いながらリフェールと目を見交わすと、微かにリフェールも頷く。
 ルイスが立ち上がり、手元のコンソールを操作して部屋の照明を消す。続けてデスクの正面の壁にスクリーンを下ろし、カメラを使ってパソコンの画面と仕様書を映し出すと、​事情を心得た​社員たちがそれぞれに空いている椅子やソファに腰を落ち着けた。
 リフェールへの興味に満ちていた雰囲気が、ルイスの説明が行き渡るに連れて次第に真剣味を帯びたものへと変わっていく。そうしてひと通り状況の説明が終わると、ルイスが照明をつけデスクに戻ってメンバーを見渡した。
「期日は5日後の日曜日。遅くとも月曜の朝には、現場で動作確認を終えていたい。みんなの意見を聞かせてくれ」
 ルイスが言うと、打ち合わせ用の机についていたランランが、はーい、と手を上げた。
「これと、まるきり同じじゃないとダメなんですよね」
「基本は。すでに設備は設置済みだそうだから、それが正常に作動すればいい」
 何、と振り返ったリフェールの手を、ルイスがスクリーンの方を向いたままデスクの下でぎゅっと握った。
 んー、と可愛らしく人差し指を顎に当てて首を傾げるランランの後ろから、トムが手を上げた。
「それならまずは、仕様書を私に。時間がないので、省けるものは省いて再構築しましょう」
「できるのか?」
 リフェールが目を丸くして思わず声を上げると、皆の視線が彼に集まる。
「リフェール」
 ルイスがもう一度彼の手を強く掴み、じろりと横目で睨んだ。
「言っとくけど、全然簡単なんかじゃないんだからな。トム、あなたは休暇中なんだからダメだ。誰か、ほかの方法ないか」
「ボス。これは、私が一番適任だ。大枠ができれば、あとはみんながやってくれます。期日にも、十分間に合います。家にも言ってきましたから、大丈夫です。今からやれます」
 気前よく片目をつぶってみせるトムに驚いて、ルイスが首を傾げる。
「今から? 何を言ってきたんだ」
「ボスの一大事だから、しばらく帰れないと」
 トムの言葉にどっと部屋が沸いて、たった今までの緊張感はどこかへ飛んでしまう。あっけに取られて何も言えないでいるルイスと、明るいノリの社員たちに目を見張っているリフェールが取り残された。
 が、リフェールはすぐに我に返ってルイスの両腕を掴んだ。
「できるのか」
 ルイスが、肩をすくめる。
「彼が入ってくれたら、間違いない」
「連絡を入れてもいいか」
 先ほど執務室に社員たちを呼び入れる前にも、職場に連絡を入れようとしたのだ。それはまだ早いとルイスに止められたのだが、今度こそ本決まりでいいかと勢い込むリフェールにルイスが笑って頷いた。
 メンバーに一度部屋から出るように促すと、ぞろぞろと出ていく様子を尻目にリフェールが端末を取り出し、電話をかける。ルイスも皆のあとについて出て行こうとしたが、手首を掴まれてぎょっと振り返った。リフェールが、先方と話しながらルイスの腕を引く。アヤがちらりと振り返り、ドアはそっと閉まった。
 ルイスは、しまったと唇を噛む。思えば先ほども、相手がリフェールだからと嫌悪を感じることもなく受け入れてしまったが、きっとドアの向こうでは、皆大いに沸いているに違いない。リフェールは、ルイスが他人に触れられないことを知らない。そもそも先に腕を伸ばしたのは自分だし、彼に他意はないのだとわかっていても、恨めしく思わないではいられない。しかし通話のつながったままの端末をリフェールに渡されて、すぐにそれどころではなくなってしまったのだった。
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