2 それぞれの ⅰ

文字数 9,106文字

 リフェールの帰国が叶ったのは、ティエラへ赴いて一年半が過ぎてからだった。
 初めの数か月はテロに巻き込まれて半壊した大使館の移転に奔走し、なおかつティエラへの救援物資や資金援助の手配も並行して進めなければならなかった。その後はひたすら情報収集をしながら、次第に激しさを増していくテロ活動の中、ティエラに滞在する民間人の安全確保とその保護に明け暮れた。リフェールが以前勤務したときに関わった現地職員とも再会を果たしたが、亡くなった外交官のうちの一人が旧知の現地職員だったことは、リフェールにとっても非常に残念なことだった。
 事態が比較的落ち着いてからは、これまでの二国間の関係を軸にして今後の関わりについて協議が始まった。また、長年続けてきたティエラ経済の開発支援や人材育成支援なども再開するなど、大使館職員全員が常にフル稼働だった。
 そんな中で本国から帰国命令が下りたリフェールには、合わせて6週間の休暇と次期勤務地の打診が待っていた。大使館勤務でいくつか声がかかっているが、しばらく猶予があるという。また、それを断ったところで元の部署に席は準備するとのことで、いずれも昇格を伴うようだ。今回の働きが認められた、ということらしい。
 が、実のところは10年間の奉職義務期間も終わっているので、その気になれば、やめることもできる。リフェールとしては、宿題を抱えた形での帰国になった。


 駅舎の前のガードレールに腰を下ろして待っていると、サングラスをかけたリフェールがバックパックひとつで現れた。ちょうど駅舎の正面に西陽が射すのを眩しそうに手で遮り、周囲を見渡している。
 ルイスはその姿を、束の間呆然と眺めた。彼の髪が陽の光を反射して夕陽色に輝くさまが、見たこともないくらいに美しい。
「ルイス」
 目当ての姿を見つけ、クールに、それでも顔を綻ばせてリフェールが階段を降りて来る。ルイスもようやく立ち上がって、手を差し出した。
「おかえり」
 リフェールは一瞬目を見張ったが、すぐに「ただいま」と嬉しそうにその手を取り、ぐっと腕を引いて軽く肩を抱いた。そうして二度ほどパタパタと背を叩くと、すぐに離れていく。
 なんということもない、ありきたりのハグだ。自分がもう誰ともこんなことすらできないのだと、彼は知っているのだろうか、とルイスは密かにため息をつく。
「変わらんな」
 わずかに顎を引いて目を細めるリフェールに肩をすくめて、ルイスは、こっち、と歩き出した。以前関係が途絶えていたときとは違って、今回は互いに連絡を取り合っていた。時には、映像でのやりとりもあったのだ。しかし彼がそう言いたくなる気持ちもわかって、ルイスもやや呆れつつ感慨深げに応じた。
「お前は、会うたびに変わる」
「髪か? 好きだな、お前」
 前にも言った、と笑ってリフェールが髪をかきあげると、「その髪の色でその髪型、実際に見るのは初めてだろう」とルイスはややむきになる。
 伸びっぱなしの髪が、学生の頃のように顔の横で揺れていた。


 元は商家だという古い石造りのアパートメントは三階建で、南側の表通りに面して中庭への通路と4つのドアがある。それぞれのドアを入ると階段が各階ふた部屋に続くのみで、通常はアパートメントの他の住民と顔を合わせることはない。ただ、建物そのものは中庭を囲んで長方形を描いており、東側の通りにドアが2つ、通路から中庭へ入ると西側に2つ、北側に3つのドアがあり、住人はそこそこ多い。何かと理由をつけて行われる中庭でのイベントも、毎回大層賑やかだ。
 ルイスの部屋は、表通りに面するドアのうち一番東側を使う、三階の角部屋だ。両開きの扉を開けると狭いホールは吹き抜けになっていて天井から明かりが取れるようになっており、その中を螺旋状に木製の手すりがついた階段が伸びていた。天気のいい日は明るいが基本的に暗く閉塞感のあるこの吹き抜けを、しかしルイスはとても気に入っていた。三階まで上ると表通り側に窓があり、さらに天窓が近いのもいい。
 階段を上り始めると、「待て」と後ろに続くリフェールに止められた。
「お前、宿の手配はしてくれたのだろうな」
 帰国して与えられた休暇のうちひと月をシャンブルで過ごしたい、とリフェールから連絡があったとき、ルイスがそう言ったのだ。宿泊先は手配しておいてやる、と。けれど以前一度だけ建物の前まで彼を送ってきたことのあるリフェールは、知っている。ここが、ルイスの住むアパートメントであることを。
 階段に足をかけたままルイスは振り返り、なるべくなんでもないような顔で笑った。
「ゲストルームはないから、嫌なら今から手配する」
「嫌ではない」
 慌てて手すりに取りつくリフェールがおかしくて、ルイスはふ、と笑って階段を上がる。
 気付けば、部屋に誰かを招待するのは初めてだった。よくよく考えた末のことだったが、リフェールを招き入れることについては、緊張しかない。学院時代は寮生活だったにも関わらず、今となっては誰かと同じ部屋で寝起きするということにひどく抵抗を感じる。耐えられないのは自分かもしれない、という考えも頭をよぎった。
 だが、相手はリフェールだ。彼が相手でもダメならば、もう誰であっても一緒にはいられないのだ。連絡を受けたあとはそんな覚悟までして、ルイスは部屋の掃除をし自分以外のもう一人のためのものを揃えたのだった。
 階段を上り切ったところにある大きな窓を挟んで、左右の壁にそれぞれドアが向かい合っている。ルイスは左手のドアを開けて先に部屋に入った。アパートメントがちょうど通りの角に建てられているので、うまい具合にドアを開けた正面にも窓がある。
 ドアからリビングまでは短いが廊下があり、リビングの手前の左手のドアは洗面所に続き、右手の壁の向こうはリビングから続くベッドルームになっている。リビングとベッドルームは、スライドドアで仕切れるようになっていた。1LDKだが一人暮らしには十分な広さで、最上階だというのに天井も高かった。
 リビングのほぼ中央に置いてあるL字型のソファにバッグを置くように言って、ルイスはリフェールを振り返った。
「一応言っとくけど、オレだってお前に無理強いするつもりはない。だから、一か月もここにいられないと思ったら、いつでも出ていっていい。それが条件だ」
「ソファベッドに耐えられなくなったらということだな、わかった」
 神妙な顔でリフェールは頷くが、ルイスとしては微妙なところだ。ひと月もソファに寝起きさせる男と思われているのはどうなのかと思い、ではどこにと言われてどう答えるべきかと思い、思わず喉から変な声が漏れた。
「ルイス?」
 答えるのを諦めて黙ったまま、ルイスは首を傾げるリフェールの横を通り抜けてキッチンに向かう。
「ルイス」
 リフェールがルイスを追ってキッチンカウンターに肘をつき、身を乗り出す。
「うるさいな。あとでちゃんと話すから、さっさと荷物を下ろして手を洗ってこい! 手洗いは廊下の、玄関に向かってすぐ右手のドア!」
 若干苛立ち気味に声を張り上げたルイスが珍しく、リフェールは目を丸くして吹き出した。


 近所の店から料理を頼み、ワインを何本か空けて、互いに会わなかった間の話に花を咲かせる。ティエラに行ったばかりの頃の話、そこでの生活、再会できた人たちとできなかった人。トムが職場復帰したこと、子どもの溺愛ぶりが微笑ましいこと、カイルが介護事業に興味を持ち始めていること。連絡を取り合っていたとはいえ、積もる話は山とあった。
 リフェールが部屋の隅に置いてあったキーボードに気付き、ルイスのリクエストに応える。顔を合わせたからにはと場所をダイニングテーブルからソファに移し、久しぶりにチェスの勝負に挑む。
 学生の頃はもちろん再会したあとですら、こんなに二人で笑ったことなど無かったと思うほどに笑い喋り倒し大騒ぎをして、何時間ぶりかで部屋に沈黙が降りた。
 笑い疲れ、ソファに背中を預けてルイスが、備え付けの家具が多い中でこれは自分で見つけてきたアンティークの柱時計を見ると、すでに10時を過ぎていた。かれこれ5時間近く飲み食いをしていたことになる。
 ルイスの視線に気付いたリフェールが、グラスに残ったワインを飲み干した。
「そろそろ寝るか」
 そう言ってテーブルの上を片付け始めると、「リフェール」とルイスがその名を呼んだ。
「なんだ」
 たった今までとは打って変わってやけに硬い声で呼ばれてリフェールは顔をあげるが、呼んでおきながら当の本人は視線を泳がせてあーだのうーだの、やけに言いづらそうにしている。
「寝る場所なら、ここでいいぞ。自慢じゃないが、どこでも眠れる」
「ああ、いや、うん。えーと」
 ひとつ大きく深呼吸して、ルイスが意を決して口を開いた。
「話が、あるんだ。隣にいっても、いいか」
「ああ」
 二人はL字のちょうど角を挟むように座っていたが、並んで座りたいということかとリフェールが長辺の端の方へずれる。ルイスはそこへ移ってくると緊張をほぐすようにもうひとつ大きく息を吐き出し、「手を、握ってもいいか」と聞いた。
「好きにしろ」
 そう言って差し出された左手に己の手を重ねて指を絡めると、ようやくルイスの顔に笑みが戻った。割と骨ばっている自身の手と比べて、リフェールの指は細くて長いが、手のひら全体はやや肉厚だ。
「ルイス」
「うまく、言えるかどうかわからないけど。お前に、応えられないでいる、理由」
 ルイスはつないだ手を見つめながら、慎重に話し始めた。
「お前、もう気付いてると思うけど、オレ、人に触れたり触れられたり、できないんだ。なんでなのかは、自分でもよくわからない。こんなふうに手をつないだり、ハグしたりできるのは、お前くらいなんだ。でもお前とも、それが限界。けど、付き合うってなると、みんなそれ以上を求めるだろう? つまり、好きになったら人はみんな、キスをしてセックスをする。付き合うってことは、定期的にそれをするってことだ。お前もそうだろう? でも、オレはそうじゃない。なんていうか、すごく違和感があって……」
 そこではたと、ルイスは握る手に力を込めた。
「お前のせいだっていうんじゃないんだ! お前と、その…あのときまでは、誰ともしたことなかったから、自分でも気付かなかったんだ。オレも、できると思ってた」
 顔を赤くして弁解するルイスの手を、そういうことはだからもっと早く言え、と内心で頭を抱えながらリフェールもそっと握り返す。
 ルイスは俯く。
「知らなかったんだ。人とそうするのが、自分は好きじゃないんだって。それで、こんなこと話したらお前は、オレを好きじゃなくなると思ってた。だからずっと、何も言えなかった。ごめん」
 項垂れるルイスに、リフェールが腕ごと身体を寄せる。それから、あることに気付いて握った手を上下に少し揺らし、その顔を覗き込む。
「お前、まさかそれで病院に行ったのか」
 リフェールの指摘に、ルイスの肩が揺れた。黙ったまま答えない横顔から、言いようのない苦しさが伝わってくる。
 なんということを、とリフェールも息が詰まりそうになった。あのときの必死なルイスの様子は、尋常ではなかったと今でも覚えている。そんなことを思い詰めているとは、当時のリフェールには考えつきもしなかった。
 一人で行ったのか、どんな検査を受けたのか、なんと言われたのか。
 なぜ、気付いてやれなかったのか。
 彼にとってキスやセックスがそんなに大きな意味を持つものだとは、想像もしなかったのだ。なぜなら、自分にとってはそうではなかったからだ。彼がそれを避けているようなのは、何となく気付いていたのに。やはりあのとき、流されずにしっかり話さなければならなかったのだ。
「病気じゃないのは、そのあとすぐにわかったんだ。でも結局のところは、何も変わらない。オレはお前が好きだけど、したいとは思わない。けど、リフェールはきっとしたいんだろう」
「おい」
 リフェールが身体を起こすが、ルイスは構わず俯いたまま静かに続けた。
「オレが乗り気じゃないことは、きっとすぐに伝わる。そうしたらリフェールは、オレがお前を本当に好きなんだって、信じられなくなるんじゃないかと思った。それが、怖かったんだ」
「つまり、セックスをしないと言って俺に嫌われたくなかったのか。しないことで、お前の気持ちを疑われたくなかったと、そういうことか?」
 ぼす、ともう一度ソファにもたれかかって、リフェールが確認する。
「お前を、信じられなかったって話だよ」
「お前な」
 リフェールが、あっさり言うな、と苦笑しながらルイスとつないだ手にそっと力を込めた。その手から何か温かいものが流れ込んだ気がして、ルイスは息を吸い込んで続ける。
「それに、本当のことを話してわかってもらったところで、しないことが続いたらやっぱりリフェールは不満を抱くだろう。けど、きっと我慢するだろう。そんなふうに決めつけてたんだ、勝手に。だけどオレはオレのためには何も我慢してもらいたくないし、だからといって、ほかの誰かとそれは済ませてきてくれとは、言えないし。あのとき、あれでも必死で考えたんだ。でもだんだん、どうしたらいいかわかんなくなって、最後は、お前から離れてしまえと、思って。本当に…ごめん」
 次第に低く小さくなっていく声で「今も、離れたいとは思わないけど、大体同じこと考えてる。正直、もう」と続けてルイスは口を閉じ、身体をソファに預ける。
 と、リフェールがごろん、と頭を寄せてきた。
 その温もりに、どきんとルイスの心臓が跳ねる。諦めきれないのは、自分からはもう離すことができない彼の手が、まだぎゅっと強くルイスの手を握っているからだ。その温もりを、強さを、支えにしてもいいのだろうか。思わず口をついて出そうになる言葉を、ルイスは息を止めてやり過ごした。
 リフェールが突然ティエラへ行ってしまってから、ずっと考え続けていた。次に会えたら、そのときは必ず言おうと。どう話そうか、なんと言えばわかってもらえるか、考える時間はたくさんあった。散々頭の中でシミュレーションまでしたのにそれすらうまくできなくて、結局今も、うまく伝えられたかはわからない。
 ルイスの中から、怖さは消えなかった。しかし、自分も彼と同じ気持ちでいるのになぜ全てを預けきれないのか。それを彼が知らないままこの世からいなくなってしまう可能性があることに気付いたとき、ようやく踏み切る決心がついたのだった。
 ルイスの背を押してくれたのは、アリーシア社のメンバーたちだった。
 『それでいい! ぐだぐだ考えるな! あたしたちがついてる!』というエリーのメッセージは、実はこっそり永久保存にしている。
「ルイス」
 ソファに並んで互いに体重を預け合いながら、そろそろ何か言ってくれ、とルイスの緊張が頂点に達しかけた頃に、ようやくリフェールが口を開いた。正面には大型のモニターが、真っ暗なままぼんやりとふたりの影を映している。
「まだ俺が好きで、離れたくないか」
 念を押すような声に、ルイスは心臓を掴まれる。だからそれは言うなというのに、と思いつつ返事ができないでいると、リフェールは考えながら続けた。
「思うんだが、キスやセックスはそんなに大事か」
「え」
 思ってもみなかったことを言われたルイスがぎこちなく身体を起こして、固まっていた片足をぎしぎしとソファに乗せリフェールに向き直った。
「大事…なんじゃないか。普通、付き合ってたらするもんだろう? こんなこと言いたくないが、お前だって今まであったろう、そういうこと」
 リフェールもルイスの方を向き、握り合う手をそっと外して右手に変えると、ソファの背もたれに左の肘をついて拳で頭を支えるようにして足を組んだ。
「普通とはなんだ、ルイス。もっと早くにこういう話をすべきだったが、俺は、キスもセックスもなくてもいい。今まで好きだと思ったのはお前だけだし、お前とだってあのときだけだった。そのあと試してはみたが、男とも女とも、全くその気になれなくてな。好きだと思えない。反応しない。お前だけなのだ、本当に。恋愛ということに関しては、現実と世間で言うのとはだいぶ違うものだと思ったが、俺にはそういうものだった。ならば、俺たちには必要ない。ちょうどいい」
 冗談を言っているようではないリフェールの話し方とその内容に、ルイスは目を(しばたた)かせる。
「ちょうどよくなんか、ないじゃないか。お前は、やっぱり、その、したいんだろう、オレと。でもオレは」
 お前となら、とも、我慢する、とも、少しも妥協することができずに唇を噛むルイスを、リフェールがじっと見つめる。
「反応する、というだけの話だ。そんなもの、放っておけばおさまる。そうでなければ、自分で何とかする。俺には、ただそれだけのことだ。そんなことより、セックスをしないということが障害になってまたお前との関係が途切れる方が、俺にとっても大問題だ。ルイス、お前が好きだ。離れたくない。何もしなくていい。ただこうして、手をつないで一緒にいよう。時々、抱きしめさせてくれたら嬉しい。その特権を、生涯俺だけにくれないか」
 正面から目を覗き込まれ、静かにそう告げられ、ルイスの顔がかっと熱くなる。胸を打つ鼓動が急に強くなり、喘ぐようにルイスは口を開いた。
「特権だなんて、お前は、何でそういう…オレは全然、ダメじゃないか。好きなのに好きな人に身体的に惹かれないなんて、それで好きだなんて言っていいのか」
 それをしたいかどうかは、好きの基準ではない。頭ではわかっているが、自分のこととなると、どうしても割り切ることができない。
「お前、不安なのか」
「決まってる! だってオレは…オレだってお前のこと、好きなのに」
 リフェールと触れ合いたいとは思うのに、キス以上のこととなると逆に心が冷めて​いくような気にすらなるのだ。​
「病気では、ないのだろう」
「そう、言われた」
 ならば、なぜ。
 自分がリフェールを好きだと思うこの気持ちは、ほかの人が感じている「好き」と違うのではないか。本当の「好き」というのは、一体どの気持ちのことを言うのか。ルイスには、いつまで経っても自信が持てないのだ。
 リフェールは、絡まった糸を解すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「言葉は悪いが、好きではなくても手当たり次第に寝るという奴もいる。好きかどうかということとセックスをしたいしたくないは、必ずしもイコールではないということではないか。俺はお前が好きだが、それはなくてもいい。しないと信じないというならしてもいいが、お前がしたいと思わないことはしたくない。大体あのときだって、俺ばかりが夢中になってお前を置き去りにして、後味はすごく悪かったのだ」
 そこでリフェールはソファに突いた肘を外して身体を起こすと、両手でルイスの手を握った。
「今更だが、謝る。すまなかった」
 ルイスは遠い昔にたった一度だけふたりが互いに素肌に触れ合った夜のことを思い出し、それをリフェールも忘れてはいないことを知って、落ち着かない気分になる。何と言えばいいのかわからないまま、ルイスはただ頭を横に振った。
「なあルイス。俺はお前が好きだ。だが俺がお前に手を出さなかったら、お前は俺を信じないのか」
 そう聞かれて、ルイスはむきになってさらに強く首を横に振った。
「そうじゃない。お前のことじゃないんだ。お前のことは信じるよ。お前がそう言ってくれるのだって、オレのことを考えて言ってくれてるんだって、ちゃんとわかったから。でもオレだって、信じてもらいたい。オレも、信じてもらえるようにお前に何かしてやりたい。好きなんだ。本当にお前を好きだって、どうやって証明したらいいんだ」
 ルイスは半ば泣きそうになりながら視線を落とし、握られた手の上にもう片方の手を重ねた。
 リフェールはいつだって、ルイスの気持ちをただ受け止める。それがまたルイスの心を満たしていく。そういう丸ごと包み込まれる感覚を、幸せを、どうしたらリフェールに感じてもらえるのか、ルイスにはまるでわからない。普通の人たちは、互いに肌を重ね合うことでそれを感じ、伝えるのだろうに。
 しかしリフェールは、一度目を丸くしてからおかしそうに笑った。
「証明か。お前ほどわかりやすい奴は、いないがな。この手を振り払われたら、終わりということだろう?」
 え、と顔を上げたルイスは、もう一度自分の手を見下ろしてかっと頬を赤くすると咄嗟に手を引き抜こうとした。
 リフェールはそれを許さずすかさず強く両手で握り込むと、真顔でルイスの顔を覗き込む。
「嫌なのか」
「い…っ」
 嫌なわけはない。けれど本当に、こんなことでいいのか。確かにリフェールになら、触れることも触れられることもできる。でも、それだけでいいのか。こんな些細なことで、彼は自分を信じるというのか。ルイスは、キスすらできない。まして己を丸ごと差し出すことは、できないというのに。
「言ったろう。こうしてお前に触れることができる特権は、この先俺だけにくれと。それだけで俺がどんなに嬉しいか、幸せか、わからないのか。お前の特別でいられるということが、俺をどんなに有頂天にさせているか。それに、いいか。俺は、ほとんど人を好きだと思うことがない。だから、唯一好きだと思える人間と一緒にいられるということは、もうそれだけで俺にとって幸せなのだ。俺も、人を好きになれるのだと思える。好きな人に好きだと言われ、一緒にいることができて、こうして触れることができる。これ以上の幸せがあるか」
 きつく閉じたルイスの瞳から、とうとう涙が溢れた。親指の腹で、リフェールがそっとそれを拭い取る。
「リフェール」
「なんだ」
「好きだ」
「ああ」
「お前だけだ」
「俺も、お前だけだ」
「好きだ。好きだ。好きだ。好きだ」
 俯いて涙を流しながら搾り出すように何度もそう繰り返すルイスの背を、リフェールは満足そうに笑いながら抱き寄せた。ルイスも、しがみつくようにリフェールの背に腕を回す。
「大丈夫だ、ルイス。信じている。けれどもし、お前がまだ伝え足りないと思うなら、こうして何度でも抱きしめて好きだと言ってくれ。何度でもだ。俺も、同じだけ返そう。好きだ、ルイス。好きだ。好きだ。好きだ」
 そうして柔らかい髪に鼻を埋め、まるで子どもをあやすようにリフェールは、ルイスの頭を撫でながら好きだと言い続けた。
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