【六十.なぎさの家族・四】

文字数 1,015文字

 今令和何年? 何月何日? 何曜日? 今何時? わたし何歳だっけ?
 お皿を割ったお母さんはそれから、どこかへ出かけた。しばらくぼーっと過ごしてみた。けれどお母さんは、何時間も帰らなかった。
 でもわたしは、構わなかった。うるさいお小言を聞くより、大きくなったお腹をさすっていた方が、ずっとずっと幸せだった。

 とん。

 あ、今、おなかを蹴った。もうすぐね、もうすぐ会えるんだね、かいちゃん。やっと、帰ってきてくれるんだね。勘違いだって、気づいてくれたんだね。お姉ちゃんの想いが通じたんだね。
 わたしは幸せで涙を零した。すると、お腹の中から声がした。

「おねえちゃん」
「なあに?」
「見せたいものがあるんだけど」
「いいよ」
「立てる?」
「もちろんよ、かいちゃんの為なら」
「それじゃあ、行こっか」

 よいしょっと。妊婦さんのお腹がこんなに重たいだなんて。かいちゃんが来てくれる前は、想像もつかなかった。ローファー履いて、気がつく。
 ……そうだ、もっと歩きやすい靴を買おう。転んで、かいちゃんに何かあったら大変だもの。

 わたしはかいちゃんの家を後にした。
 あ、鍵もらってなかった。……まあ、いっか。

 ……

 夜の、小平の幹線道路。
 サラリーマン。お年寄り。子ども。同い年くらいの子。たくさんのひとが通り過ぎた。すれ違う時、みんながわたしを振り返った。
 太ってるんじゃ、ない。明らかに痩せ型なのに、胸とお腹だけ、はち切れそうに出ている。どう見ても、妊婦だ。それが、高校生の制服を着て、歩いている。男のひとも女のひとも、お年寄りも子供も、みんな見てくる。ふたり以上いると、ひそひそ声まで聞こえてくる。

「みなさーん。わたし、世界で一番大切なおとうとを、身ごもってるんです。わたし、しあわせです! しあわせなんでーす! あっははは!」

 あるサラリーマンの群れとすれ違う時、大きな声で叫んでみた。驚いた顔をするひと。わたしの胸を見てるひと。顔をしかめるひと。みんなそれぞれだ。
 でも、わたしは、胸を張った。幸せだったから。

 ……

 武蔵野線の中でも、南武線の中でも、京王線の中でも。
 わたしはかいちゃんに呼びかけて、かいちゃんはそれに応えてくれる。女子高生の服を着たお腹の大きいおんなの子が、ぶつぶつ独り言を言って、優先席に座っている。
 傍から見たら、どれほど異常でも、幸せだったから関係なかった。

 そうして、かいちゃんに導かれるまま、わたしは南大沢の駅で降りた。
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