第2話:死産後、長男出産と家出、上京後の流行病

文字数 2,019文字

 しかし1945年は、ご承知の通り終戦の年であり貧しく食べるのに困った。翌年の1947年8月に奥さんの絹恵さんの妊娠がわかり予定日が、1948年1月下旬と知らされた。しかし、山下家は貧しい農家であり妊婦でも農作業を休むことができなかった。また、この時代、食事も充分に取れるはずもなく栄養がとれず苦労した。

「1948年1月25日の寒い夜に女の子を出産した」
「しかし、助産婦さんを呼んだと時、鳴き声が小さく、ほとんど聞こえなかった」
「やはり低栄養の未熟児で、ほとんど死産、同様だった」
「これに、母の山下絹恵は、気が狂わんばかりに泣き叫んだ!」
「一日中、ふさぎ込んでしまい、何もかもが嫌になってしまった!」

 この事件以来、山下敬一と小百合さんは、実家に居づらくなった。それでも、どこに行く当てもなかった。その後、1950年、また、妊娠がわかり、今回は、以前の死産もあり、山下家でも充分な休養と栄養を取らせてもらえた。1950年6月9日、長男、山下治を無事出産することができた。本家でも初孫と言うことで赤ん坊の山下治は、みんなに可愛がられた。

 しかし、山下敬一と小百合さんは、6人の異母兄弟と、どうしてもうまくいかなかった。また貧しい農家の大家族12人分の食料が確保できなったので家を出る決心をした。1050年の12月10日、朝早く置き手紙を残して山下敬一夫妻は赤ん坊を連れて家を出た。1950年7月、父の山下敬一が10キロの米を背負い母の小百合さんが子供を負ぶった。

 そして、見知らぬ都会、横浜の地を踏んだ。横浜駅から横須賀に向かい京浜急行に乗り換え30分、停車駅からバスで20分程の所にある親戚を訪ねた。その後、納屋を手直した部屋を借りた。そこは家畜臭のする部屋で簡易コンロと粗末な外便所。冬には隙間風が入る粗末な納屋だった。そこでテープを使い隙間風を止めた。

 父は、職を求め職安を訪ねる日々を重ねた。そして、桜木町に有る小さな船会社に臨時社員として職を見つける事が出来た。その会社は日本石油関連の港湾運送の会社で、そこでの仕事は主に橫浜港に入船する大型船から荷物を下ろす事だった。父は、元々、海軍上がりで力仕事に向いている頑健な体の持ち主で、この仕事には向いていたのかも知れない。

 しかし夏の台風の時期は、船の破損を防ぐため、猛烈な風の中、船を固定するため、大型船を港にくくりつける仕事を一晩中、寝ずに仕事する日もあった。父は、酒と女が大好きで、家に帰る途中、屋台で飲むのが、唯一の楽しみ。他人には、愛想良く、見ず知らずの女に、おだてられ、その女の勘定まで支払ってしまう始末だった。

 そんな事で、家に帰れば、母との喧嘩が絶えなかった。母は、乳呑み児がいて仕事には出られず、家で内職をし、家計の足しにしていた。貧乏な生活のため、おかずも買えず、昼間に、近くの野山、田畑のあぜ道で山菜、野草を採り、天ぷらにしたり、味噌汁や煮物にして食べた。山下治が1954年7月、4歳の夏、幼稚園に入園した。

 しかし、この時代、ジフテリアが流行し生まれつき丈夫でなかった山下治も運悪く、それに感染した。この地域でも流行し数人の幼稚園の仲間も感染したが、一週間程度で回復する子供がほとんどだった。しかし、山下治は、症状がひどくなるばかりで、遂に近くのM共済病院の隔離病棟に入院した。
入院しても一向に症状は改善しなかった。

「母親が24時間、付き添い看護する事になった」
「毎晩、喉に偽膜でき呼吸ができないので母は寝ずに山下治の喉にできる偽膜を指で破った」
「これにより命をつなげることができた。しかし数週間も、それが続いた」
「その後、喉に穴をあけてプラスチックの小ラッパ状の物を取り付け呼吸できる様にした」
「数ヶ月しても症状が悪くなりばかりで食事も取れなかった」

「それどころか、遂に心臓停止を何回も起こす状態まで悪化した」
「その度に医師が緊急蘇生処置で生き返るぎりぎりの状態で一進一退を繰り返した」
「それでも少しずつ回復して入院後半年を過ぎる頃から食事を取れる様になった」
「そうすると、顔に赤みがさし、やっと回復してきた」
「当時ジフテリアが流行し重症化した場合、ほとんど死亡していた」

「その中で、これだけの重症例で回復したという症例は珍しかった」
「そのためか先生達が学会で発表することになり毎日、尿と血液と痰を採取された」
「一年の入院で奇跡的に命を取り留める事が出来たのは神様のお陰かもしれない」
「その年の3月に、ついに退院できた」
「退院後は自宅療養。元気になる頃は、もう既に小学生」

 小学校は自宅から徒歩30分。貧乏暮らしは、変わらなかった。しかし、毎朝、山下治のために牛乳が配達された。山下の身体を気遣って特別に飲ませてくれたが、牛乳を好きになれなく、その代わりに弟が手をつけない牛乳を飲んで大きく育った。また小学校の体育授業は参加できず、遠くから眺めだけだった。
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