第19話「最終話」:製薬企業への転職と現在の勤め先から退職

文字数 2,081文字

 1ケ月、2ケ月、3ケ月、こうして1975年が明け、2月中旬、大阪の未上場の中堅製薬メーカーM社で中途採用の募集が工業系の新聞に載った。それを見て受験してみたらと言われた。ついては、現在の会社でなく、私個人、工場長として君の推薦状を書いてやると言ってくれた。こうして、1時間ほどして推薦状と書いた封筒を渡してくれた。

 2月20日にその会社の東京支店で1次試験と東京支店での面接があり、その後、25日に大阪の本社で最終面接があると言う。こうして、翌週、有給休暇を使って2月20日に1次試験と東京支店での面接に出かけた。面接のとき面接官が推薦状を見て驚いた。実践で頑張ってきたことについて書いてあったが新製品開発したのと驚いたように言われた。

 面接終えると、その工場長の推薦状を返してくれた。千葉の工場に帰って工場にお礼を言った。数日後、1次試験合格と2次試験の日時、大阪の試験場の場所と時間を書いた封筒が届いた。そして、24日に千葉を出て25日の大阪本社での試験と面接に出かけた。24日の夕方、大阪の工場に行くと食堂と今日泊まるホテルの宿泊券を渡してくれた。

 明日、10時から筆記試験をして午後13時から面接で終了が15時と言われた。その日は、少し興奮したが、ホテル部屋でビールを飲んで早めに床についた。翌朝7時に起き朝食を食べて9時前に会社に行くと入り口案内の女性が、あなたが、一番ですよと笑顔で言った。そして試験会場に入ると、少しして次々と20人程の受験者がやってきた。

 そして9時半から30分の筆記試験を行った。10時半頃、人事課の女性が山下治に合格ですと告げた。そして、昼食は食堂で食べてと昼食券を渡してくれた。その後、昼食会場に行くと背広の男性が8人いた。しかし、山下は彼らに声をかけることをせずにいた。食堂を出ると13時、小会議室で個別面接を行いますと人事課の女性に言われた。

 13時に行くと、まだ、誰も来ていなかった。そして13時になると山下さんどうぞと言われ面接会場に入った。そこには5人の面接官がいた。最初に笑顔で君が山下治君かと眼鏡をかけたと老齢の男性が言った。今どき、工場長の推薦状を持って来たのは、君が初めてだと笑顔になった。そして、どんな仕事していたのかと聞かれ商品開発の話をした。

 その話を興味深げに聞いていた。鉄って1300℃以上で安全靴の革もたまらんだろとその老紳士が笑顔で語った。溶けた鉄が安全靴にかかることは、まずありませんからと告げた。発熱断熱材って、どんなものが入ってるのと聞かれ、正直に発熱は、酸化鉄とアルミ粉末のテルミット反応ですと答えた。
2千度超えることもあると答えた。

 色はと聞かれ、低温ではオレンジ色、高温になると白色になると答え2千℃では白いと答えると熱いだろうというので、えー、とても熱く、大変で、塩をなめて水を飲みますと言うと、そりゃー大変だわーと笑いながら言った。体力いるわねと言うともちろんですと笑顔で答えた。つまり、毎回命懸けだという事だねと言うとその通りですと笑顔で答えた。

 その社長と思しき人が、他に質問はと聞くと何もなく終了ですと言われた。席と立つとき、君、懸命に働いてくれるねと、その人が言うと自分の人生をかけて頑張りますと言うと頼もしいわと笑顔になった。こうして会場を後にした。すると廊下にいた女性が会社の喫茶室でゆっくりしていただいて結構です。14時半にまた、ここに戻ってきてくださいねと言われた。

 了解ですと言い食堂の喫茶コーナーへ行き持参した文庫本を読みながら珈琲を飲んだ。するとあっという間に14時が過ぎ14時15分に面接会場へ向かった。すると、さっきの女性がここで待っていた下さいと言われた。その後、数人が集まってきた。こうして、14時半になると10人が集まった。その時、お集りに10名が採用ですと言い各自の名前を言った。

 最初に山下治さんと呼ばれ、ハイと返事をした。すると封筒を渡してくれ、このに書いてある日時に集まっていただいて、社内研修となりますと言われた。合格と考えてよいのですねと確認すると、にこやかに採用ですと答えた。15時の新幹線に乗って18時過ぎに橫浜の実家に帰り転職先に合格したことを伝えると両親が喜んでくれた。

 その晩、風呂には行って早めに床についた。翌朝、9時に千葉の会社の工場長に合格した話をすると喜んでくれた。そして、午後に千葉の工場に着くと連絡して実家を後にした。13時前に千葉の工場に着いて採用できたことを工場長に報告した。今月末に退職願を出すように言われた。それまで絶対にこの件は、口外するなと言われ了解した。

 そして、翌日から何もなかったように勤務に就いた。こうして、3月20日、工場長に言われたように実家の両親の体調悪化により退職したいと書いた退職願を書いて提出した。すると1975年3月25日付けで退職する事ができた。もちろん、以前の仲間4Hクラブの友人たちにも事前に伝えていたので仲間の一人が一番近い駅まで車で20分かけ送ってくれた。「完結」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み