第1話:苦学し予科練へ、結婚、出産

文字数 2,081文字

 主人公、山下治の祖父の山下一郎は1906年12月2日、今の千葉県香取市の郊外の農家の長男として生まれて、小さい時から算数の計算の速さと手先の器用な子で、農機具の修理が大好きな少年だった。尋常小学校でも算数の成績は主席であったが実家が貧しく尋常小学校を卒業時、実家のお金で高等小学校へ通えなかった。

 しかし、尋常小学校6年の時、首席卒業と言うことで地元の役場から奨学金をもらって高等小学校2年まで進み14歳にで卒業した。その後、霞ヶ浦飛行場から飛び立つ飛行機に憧れ海軍飛行予科練習生、いわゆる予科練に志願して受験して見事合格した。そうして、霞ヶ浦の寮に入り猛勉強の日々を過ごし晴れて1922年3月16日に卒業して霞ヶ浦海軍航空隊に入隊した。

 その後、4月23日に、かねてから付き合っていた同じ村の杵築小百合さんと結婚式を挙げた。その後、海軍の飛行学校でも優秀な成績だったので第3航空隊・飛行船の機関士の勉強を命ぜられ飛行船の特性などを徹底的に教え込まれ、1922年から飛行船の機関士に抜擢された。大正時代、日本海軍は飛行船を何機か保有していた。

 飛行船にはSS・エスエスという頭文字が付けられていた。これは潜水艦探査「サブマリン・スカウト」、または海上探査「シー・スカウト」のことだといわれている。SS二号は同年フランスのニューポール・アストラ社から購入したものだった。これをもとにして横須賀長浦の造兵部で新しく建造したものが海軍1号型飛行船、通称SS3号飛行船であった。

 この飛行船に山下治が1923年・大正12年6月に横須賀~大阪間往復飛行に成功した。そうして日本の飛行船実用化に踏み出したと霞ヶ浦海軍航空隊でも大喜びされた。そうして1923年に忙しい日々が終わり1924年を迎えた。1月のある日、山下一郎の奥さんの小百合さんの妊娠がわかった。これには一郎と山下家では大喜びだった。

 出産予定は6月20日頃と医者に言われた。しかし運命とは時として厳しい試練を与えるもので山下一郎も、その試練を受ける事となった。1924年「大正13年」3月19日、飛行船SS三号は霞ヶ浦海軍航空隊の基地を飛び立ち横須賀で演習をした。演習後、霞ヶ浦基地へ帰航する途中、0時50分、稲戸井村「現在の取手市戸頭」の上空で突然爆発した。

 そのため、猛火に包まれつつ墜落し飛行船には山下一郎を含む5名の隊員が乗船していた。稲戸井村の村民らは、まっさかさまに墜落する飛行船を見て、すぐに集まり隊員を救助しようとしたが猛烈な火炎の前に、なすすべが無かった。しばらくして霞ヶ浦航空隊の救援隊が到着し近隣の村民らと共に猛火を冒して飛行船の中から隊員5名を発見しようとした。

 しかし、船体は焼失が激しく5名は既に殉職をしていて個々の判別もできなかった。この報告を聞いた山下家では意気消沈して葬儀を行い奥さんの山下小百合は、あまりのショックで寝込んでしまった。そうして6月21日に体重、約2.7キロの立派な男の子が生まれ、山下敬一と名付けた。山下敬一は身体はがっちりしていたが勉強が苦手であった。

 そこで、山下家で牛の世話の担当していたが仕事を終えると近くの川で泳いだりした。その他、山芋掘りに行ったりして勉強をせず尋常小学校を出て、実家の農家を手伝った。その後、母の山下小百合は山下家の嫁として山下一郎の亡き後、次男の山下次男の嫁になった。現在の感覚では考えられない様な事であるが、当時、こう言うケースもあった。

 この太平洋戦争の逼迫した経済状態で食糧難では少人数で生きていくことができなかった。さらに山下家でも子孫を絶やすことができないという理由から何としても嫁さんを手放したくなかった。山下小百合も本意ではないが仕方がないと観念してこの選択を受け入れざるをえなかった。実際に地方の貧しい農村ではこう言うケースが、かなりあった。

 しかし山下敬一は育っていくうちに義兄弟ばかりの環境に随分、苦しんで何もかもが嫌になった。そのため、物事に対し熱心に取り組めなくなった。その後、尋常小学校を卒業して12歳から自宅の農作業の担い手として朝から晩まで働くだけの退屈な青春時代となった。それでも戦時中1943年8月18日、山下敬一が18歳の時に海軍からの召集令状が届いた。

 そのため、広島県の江田島の海軍兵学校に向かった。しかし、途中、岡山県で米軍の飛行機の爆撃を受けて右足に大きな怪我をした。その結果、1ヶ月ほど入院して再び実家に戻ってきた。1、2ヶ月すると野良仕事の手伝いをした。その当時、有能な若者は召集令状が来て戦地に送られる光景を良く目にした。

 しかし、幸か不幸か、山下敬一の学歴は一番下で尋常小学校しか卒業していなかった。さらに海軍入隊したが負傷したと言うこともあって招集されないうちに1945年8月15日の終戦を迎えた。しかし山下敬一には、実の兄弟が1人もいなくて義兄弟が6人いたため山下家に居づらかった。それでも1945年11月11日、21歳の時、同じ村の池田絹恵と、お見合いして結婚した。
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