第17話:家庭教師とオイルショック

文字数 2,133文字

 間違えると、あなたらしくないね、こんな所で間違えるとはと言うと山下の企みを見透した様に、先生、随分、前と違った教え方になったね、なんかあったのという始末だった。そこで何か英語を習いたくなる様な方法はないかと考えるようにした。そのうち彼女がディズニー大好き少女という事がわかりピーターパンなど英語の絵本を買い与えた。

 そして、その短文を暗記する様に言った。もともと記憶力が良い事も手伝って、どんどん覚えていった。それを英語の長文に応用して、とにかく覚える事を優先させた。英文法は後回しにする方法を取る事にした。それからは砂が水を吸う様に急速に成績が向上してきた。数学の方も順調に伸びてきて、高校受験に間に合いそうだった。

 彼女は最初、私立の女子高にでも、入れればと思っていた様だが、成績が上がるに従って目標を上げていき、最終的には、地区の一番、二番の高校を目指す様になった。最後の受験校の選定で、助言を求められた時に、確実に二番目の高校に入るべきだと答えた。高校は確実に入学し、その後、努力して希望する大学に入学する方が良いではないかと伝えた。

 そして、その地区二番目の普通高校に合格。高校に入っても家庭教師を継続して頼まれ山下が会社を辞めるまで続ける。さて次女の方であるが、中二に上がるとクラスで三番の成績まで上がってきた。そこで御両親が数学も、お願いしたいと山下先輩に頼んできた。快諾して私と共に教える事になった。数学は元々、得意であり家庭教師を始めて半年でクラストップ学年でも五番以内になった。

 そんな良い子風の彼女にも問題があった。それは中二になり、急に体が女性らしい体形になるに従い、たまに変な目で、こちらを見たりして集中力が落ちてきた。独身の山下としても目の置き場に困るほどだった。それをからかう様に、わざと胸をゆすったり、モーションをかけるような、仕草をしてからかってきた。そして小さな事件が起きた。

 その日は普通、通りに勉強を始めたのだが、少して、急に、お腹が痛いと言いだした。そこで大丈夫と言うと、ここよ、ここが痛いのと白いブラウスを上げてのきたので豊かな胸に目が行って困ってしまった。そこで彼女の母親を呼んで彼女が腹痛だと伝えて終了した。翌週も、勉強に身が入らない様で困ってしまった。そこで受験のため頑張らなきゃ駄目だろと言うと、あんまり興味がないと言った。

 中学校で、恋人同士が増えて、それに乗り遅れまいと焦っている様子だった。それは高校に入ってからという言葉も耳に入らない様であり、ついには先生セックスした事あると言う始末で全く先生と思われていない様で怒りを覚えた。まー女って動物は扱いにくい。人の弱みを見つけて、そこを攻めてくる、全く性悪だ。その後、1973年の夏には家庭教師を辞めた。

 そして、秋を迎えた10月6日、エジプト軍はシナイ半島でシリア軍はゴラン高原で一斉にイスラエル軍に攻撃を開始した。不意をつかれたイスラエル軍は後退を余儀なくされた。エジプト大統領サダトの主導した奇襲作戦は成功を収め中東戦争で初めてアラブ側が勝利を占めたかに見えた。しかし、ようやく体制を整えたイスラエル軍は反撃に転じシナイ半島中間で踏みとどまった。

 その時点でアメリカが停戦を提案、開戦後ほぼ1ヶ月で停戦となった。十月戦争、ラマダン戦争、ヨム・キプール戦争、アラブ側ではこの戦争を「十月戦争」または「ラマダン戦争」と言いイスラエル側はちょうど開戦の日がユダヤ教の祝祭日、ヨム・キプール「贖罪の日」だったので、「ヨム・キプール戦争」と言った。

この戦争でイスラエル軍不敗の神話が崩れエジプト大統領サダトはこれを有利な材料としてシナイ半島の返還をイスラエルに迫った。またサウジアラビアをはじめとするアラブ諸国の産油国の組織であるアラブ石油輸出国機構「OAPEC」はイスラエル支援国に対するアラブ原油の販売停止又は制限をするという石油戦略をとった。

 さらに石油輸出国機構「OPEC」は原油価格を4倍にすることを声明した。これはイスラエルを支援する欧米や日本に大きな打撃を与え第1次石油危機「オイル・ショック」と言われている。第1次オイルショック前5.7%だった日本の一般消費者物価上昇率は1973年「昭和48年」には15.6%、1974年「昭和49年」は20.9%と急伸した。

 鉱工業生産指数については、第1次オイルショック前の昭和46~48年度の平均が8.1%だったのに対して、昭和49~50年度の平均はマイナス7.2%となった。このショックの激震ぶりがうかがわれる。この激震を乗り切るべく政府はさまざまな対策を実施。「石油節約運動」として、国民には、日曜ドライブの自粛、高速道路での低速運転、暖房の設定温度調整などを呼びかけた。

 ちなみに資源エネルギー庁が当時の通商産業省内に設置されたのも1973年のことだった。1970年代末から1980年代初頭にかけて原油価格は再び高騰した。OPEC「石油輸出国機構」が1973年「昭和53年」末以降段階的に大幅値上げを実施、これに1974年2月のイラン革命や1975年9月に勃発したイラン・イラク戦争の影響が重なった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み