第1話 怪しい組織

文字数 7,054文字

 夜の帳がどっぷりと落ち、そろそろ日付が変わろうかと言う頃。俺はアパートの階段を音を立てずに登り、自分の部屋の前に立った。ドアには貸金業者の「金返せ!」とか「借金泥棒!」などと書かれた張り紙が何枚も貼ってある。
 毎日の事ながら、それらを一枚一枚剥がして、鍵穴に鍵を差し鍵を開ける……が開いていた。まさか誰か中にいるのか。もし居るのなら、それは誰なのだ? 俺の他に鍵を持っている人物は大家さん以外居ないはずだ。まさか、泥棒?
 そっとドアを開けると、確実に中に人がいる気配を感じる。これはマズイ、きっと借金取りが中で俺のことを待っているに違いない。いつの間に入ったのだろうか? 
 不法侵入で警察に連絡しようか、それとも逃げようか、と考えていると突然、中から声を掛けられた。
「光彩(こうさい)様おかえりなさいませ。お待ち申し上げておりました」
 事務的にも落ち着いた声に俺は思わず返事をしてしまう。
「え、中にいるのはどなたですか? 借金取りさんなら俺は無一文同然ですから借金は返済出来ませんよ」
 駄目なものは最初から駄目と言っておいた方が効果的だと思う。すると中の人間は
「借金取りに違いはありませんが、今日は光彩さんにお話があってお待ち申し上げておりました」
 お話って一体、今更どうするのだ。高額な親の借金の保証人になった俺には、自己破産しか残された道はないはずだ。
「光彩様、ドア越しではお話も難しいので、こちらにお入りになりませんか」
 ドアの向こうの男はあくまでも優しく言うので、俺は食われることはあるまい、と覚悟を決めて中に入った。それに元々俺の部屋じゃないか。何も遠慮することはない。
 見慣れた玄関を入って奥の六畳間に行くと、黒いスーツを着ていかにも金融機関で働いているという感じの男が座布団の上に座っていた。それ俺の座布団だぞと言う言葉は飲み込んだ。
「おかえりなさい! お待ち申し上げておりました」
 黒いスーツの男は、もう一度同じ事を言って、俺に名刺を差し出した。
『大東興産 資産管理部門 特別管理課 五月雨慶次』(さみだれ けいじ)
 そう書かれた名刺を読んでいる俺に向かって
「あなたが保証人になったお父様の借金は、我々大東興産が債権化して買い取りました。もう非合法な金融機関からの催促はありません。まあ、借金の一本化ですね。この上は返済について、今後は全て私供の指示に従って戴きます」
 正直、よく意味が判らなかった。理解出来たのは、あの乱暴な奴らからは逃れられたと言うことだけだ。
「指示に従うって一体どんなことですか?」
「詳しいことは後で紹介する者の指示に従って戴きますが、まず貴方は自己破産などとは考えませんようにしてください」
 先に言われてしまった。それしか方法は無いと思っていたのだがどうやら違うようで、俺に向かって
「あなたには特別な返済方法をご紹介します。あなたに拒否する権利はございません」
「はあ、それって臓器売買とか強制労働とかですか?」
 俺の言ったことがおかしかったのか、その五月雨という男は笑って
「光彩さん、時代は二十一世紀ですよ、そんなことはありません。もっと確実な方法で、あなたにも負担の無い方法で返済していただきます。それに貴方の背負わされた借金の額はそんなものでは返済出来ません」
 そう言って笑っている。そして鞄から書類を出すと、
「ここに拇印を押して下さい」
 そう言って大きめな朱肉を差し出した。
「大丈夫です、非合法なことは書いてありません。貴方が莫大な借金を無事に返済される為のプログラムに賛同する趣旨です。既に記名してありますので、拇印だけを押してくだされば結構です」
 五月雨は俺の右手首を軽く掴むと半強制的に書類に拇印を押させた。
「これで、全ての契約は終わりです」
 冗談じゃない、そっちは終わりでも、こっちはさっぱり判らない。
「冗談じゃないですよ。どうすれば良いのですか?」
 俺は五月雨にそう強く言うと
「まあ、ここまでは建前だと思って下さい。本当は今あなたに自己破産なぞされて露頭に迷られたら困るのです。今後の手段ををこれからお話しましょう。さきさん、どうぞ」
 五月雨がそう言ったかと思うといきなり目の前に着物姿の少女が現れた。一体どこから現れたのだろう。後で知ったのだが、その少女は黄八丈と呼ばれる黄色い着物を着ていた。そして朱色の帯に髪型は町娘風の日本髪をしていて、たまご型の輪郭をした目のパッチリとした美少女だった。なんだ物凄く可愛いじゃないか! モロ俺の好みだと思った。
「我が社の『時間管理局』の者で江戸時代担当の桂さきと申します。これから、光彩さんと暫くの間行動を共にして戴きます」
 唖然としている俺に黄八丈の着物を着た、桂さきと紹介された少女はこう俺に説明をする。
「これから、私と一緒に江戸時代にタイムスリップをして戴きます。目的は江戸時代の浮世絵を買って現代に戻り、それを売却して借金の返済に充てることです。言わば浮世絵専門のアートディーラーになるようなものですね」
 はあ、浮世絵専門のアートディーラー? まさか、そんな馬鹿な事が出来るはずが無いと思った。そう言えばこの娘「時間管理局」とか言っていたな。
「いったいどうやって、江戸時代に行くんですか? 馬鹿なこと言わないで下さい。出来る訳ないでしょう、そんなこと」
 いくら俺の頭が弱くたって、生身の人間が過去や未来に気軽に行ける訳がないのだ。タイムマシンでも無い限りは。
 俺の考えを判っていたのか、さきという娘は平然として
「大丈夫ですよ。過去には簡単に行かれます。我が社のシステムでは簡単に行けるのです。でも、本当の問題は行き来する事じゃないのです」
 そんな言をいい放って俺をけむにまく。俺はこのさきと紹介された少女は見かけによらずプロっぽいと思ったが一体何が問題なのだろうか。
「いいですか、私と一緒に過去に行っても、後世に変化のある事はしないで下さい。その影響が現代に出てきます。最悪、あなたが誕生しない世界になってしまうこともあります」
 何だか、さらっと大変な事を言った気がする。要するに、現代に影響するから決められた事以外はするな、という事なんだな。昔、SFの小説で読んだことがある。
「そうです。判って戴ければそれで良いのです。では今夜からある場所で、江戸時代について必要最低の知識を勉強して戴きます。それに着る物も必要ですね、ご心配無く、全てこちらで手配します。あなたは体だけで良いのです」
 簡単な説明をすると、さきは五月雨と一緒に俺について来るように言う。
「これから我々の訓練センターで江戸時代のことを勉強して貰います。そして、それから江戸時代に行き、現代で高価な値のついている浮世絵を買って貰います。さあ、どうぞ」
 にこやかに、さきはそういうとアパートのドアを開けた。前の道にはいつの間にか黒塗りの車が止まっていた。街灯に照らされたそれは俺には異世界に行く乗り物にも見える。
 だが俺は肝心な事を聞いていない感じがするのだが、そんな事を言う間もなかった。
 さきが助手席、俺と五月雨が後ろの席に座ると静かに車は動き出した。余りにも周りが静かなので、俺は時間が止まっているのかと思った。
「少し訊きたいのだが、こう見えても俺はサラリーマンなんだ。明日も会社があるんだが」
 俺としては至極まともな問題だと思ったのだが、さきも五月雨も笑っている。何がおかしいのだろうか。
「光彩さん、それはご心配無用です。全てが終わった時にあなたは今夜か明日の早朝に戻っていますから、何の問題もありません。それに今後、浮世絵専門のアートディーラーに転身するという選択もあります」
 そうか! 時間を調節する機能だか能力があるということは、全て終わって、また今夜に帰って来られるということなのか。それに職業としてもアートディーラーは面白いかも知れない。そう納得しかけたが、その訓練というのもこの時間軸で行われるのだろうか。それとも、どこかの時代で行われているのだろうか。
 そんなことを考えているうちに五月雨に何かを嗅がされ意識が遠くなった。

 目が覚めると医務室みたいな場所で医療ベッドに寝かされていた。周りを見てもさきや五月雨はいない。それどころか部屋には誰も居ないのだ。不意に部屋のスピーカーから声が聞こえる。
「光彩孝さんですね。ここは『時間管理局』の訓練センターの医療検査室です。あなたが眠っている間に採血させて戴きました」
 無機質な声でいともあっさりと言ってくれる。俺は注射が何より嫌いなんだ。その点では寝ている間に済ませてくれたのは良かった……じゃない、人が眠ってる間にそんなことするなよ!
 気弱な俺としては強く言ったつもりだったのだ、それに対して壁のスピーカーは
「全ては効率化の為です。今日はあなたを含め数人の方が検査を待っています。本人の都合は関係ありません。これから細部を検査します。そのままで良いですから、レールの上に乗っているベッドに寝て下さい」
 全く無駄な抵抗で、仕方がないので俺は言われた通りに、先程とは違うベッドに横になった。
 その途端、ベッドが動き出した。進行方向の壁が左右に割れ、何だかCTを思わせるトンネルに入って言った。すり抜けるのにどの位掛かっただろうか、そこを抜けると先程のスピーカーの声がして
「ご苦労様でした。検査は終了です。結果が出るのに一時間程掛かります。その間、講義室でレクチャーを受けて下さい」
 すると、先程のさきが姿を表した。今度は組織の制服なのだろうか上下ジャージ姿で飛び出した胸の位置に何かマークがしてあった。髪も日本髪ではなく肩までのストレートな髪型になっていた。これはこれで親しみやすく現代的で尚よく見えた。
「ご苦労様でした。ではこれから江戸時代の人間になる為のお勉強をしましょう」
 そんな事を言っている。俺は、こうなったら覚悟を決めた。だが、何故自己破産してはいけないのだ? 俺は肝心な事を未だ聞いていない。それに、そんなのは個人の自由じゃないのか、大体お前らは何者なんだ? それらを全て説明して貰うまでは俺は意のままにはならないと決めたのだった。
 さきは俺を検査室からレクチャーをする部屋、恐らく教室なのだろう。そこへ案内していく。俺はその後姿に向かって
「君達の組織は一体何なのだい? 大東興産なんて言ってるけど、国なのかい。それともCIAか何かかい」
 俺がそう言ったにも関わらずさきは振り向きもしないで
「そうですね。国でもアメリカさんでも、まして個人でもありませんね。部屋に着いたらきちんとお話します。でも、もう契約してしまいましたから、今更、破棄は出来ませんよ」
 何とも冷静な言葉で俺を案内して行く。こんなにカワイイ顔をしているのに……どこまで歩くのかと思ったら、左側の部屋の扉を開けて入って行く。
「光彩さんもそうぞ」
 言われて部屋に入ると大きなプロジェクターと幾つかの机と椅子が用意されていた。
「適当な場所に座って下さい」
 俺は一番プロジェクターが良く見えるであろう場所の椅子を引いて腰かけた。
「では、始めます。まず最初に、我々の組織の事をお話します。「大東興産」という名前は世を欺く仮の名です。我々は超組織とも言うべき存在で、あらゆる時間軸上に存在し、その時間関係の事柄をコントロールします」
 いったい何を言ってるのかさえ判らない。
「もっと判りやすく言ってくれ」
「では、この世の全てを管理する組織とも言い換えましょうか?」
「はあ? 益々判らないよ」
 俺の困惑する姿を見てさきは
「我々の本当の組織の本部は実は超未来にあります。今から二百年後人類は時間軸を自在に移動できる理論と装置を発明しました。つまり、タイムワープ出来るようになったのです。そこで、時間を舞台にした犯罪を防ぐ為に「時間管理局」が設けられたのです。ここまでお判りになりました?」
 俺は頷いた。そういう類の話は小説等でもある設定だからだ。だが、現実にそんなことが未来とは言え起こるなんてちょっと面白いと思ったし、そういう説明なら文系だった俺でも理解出来た。
「我々の『大東興産』は主に「時間管理局」の財政や人員の保護を請け負っています。つまり、今回のように光彩さんのような破産寸前の方に、破産させないように、色々な技術や方法を使って救済するのです」
 プロジェクターのスイッチが入り、今、さきが言ったことが図解されて行く。やはりこの方が判り易い。
「じゃあ、君達は全ての破産寸前の人間にこんな事をしているのかい?」
 その質問を、さきは待っていたようだ。
「まさか~ぁ、特別な方。言い換えれば、未来世界から見て、救済しなければならない方だけです」
「どうやって、それを判別するんだい」
 俺の疑問に、さきはニコリとした。今まで任務に忠実で冷血な感じがしていたが、その笑顔が正直とても俺には印象的だった。
「ここからが本音の部分です。五月雨が少し言ったかも知れませんが、あなたは時間管理局の『歴史的重要人物』に指定されているからです」
 はぁ、俺が「歴史的重要人物」だって、一体どういうことだ?
 混乱する俺にさきは
「実は、あなたは将来、地球を救う人物に繋がる人間なのだそうです。つまり、あなたの子孫が世界を救うのです。だから、あなたがこの先に生活苦でホームレスになり、栄養不良や疾病で死亡したりしては未来の世界が困るのです。と言うより未来世界が破綻してしまいます。よって特例百十七号条例によって、あなたの借金を短期間に返済する方法を採ったのです」
「俺がホームレスになる?」
 五月雨はそう言えば、俺が露頭に迷うと言っていた。確かに俺は両親に死なれ兄弟もいないから、そうならないとは否定出来ない。
「はい、まず、自己破産しますと会社ではあなたをクビにします。いきなりではないでしょうが、じわじわと退職を勧告します。やがて、あなたは一時金を貰って退職します。次の仕事を探そうにも破産した人間を信用して雇ってくれる所はありません。アパートも出なくてはならなくなり、ホームレスになります。そして……」
「判った。判ったよ、それは認めよう。でも俺が地球を救う人物に繋がるというのは、どういう事さ」
「それは、私も情報を貰っただけですが、具体的には、未来世界であなたの子孫が世界の組織のトップに立ち、世界を救うのだそうです。だから特別措置として未来社会からの要請であなたの借金を返済させると言う表向きの目的で身柄を保護したのです。お判りになりました?」
 そうか、ならばこれから先、俺はこの組織によって借金が返済され、まともな生活に戻れる。と言う事なのだと思った。ならば、悪くない。未来社会の要請だそうだが、未来の俺がどのような子孫を残すのかは知らないが、とりあえず山の様な借金が無くなるのなら、多少でも危険な橋ぐらいは渡ろうと言う気になった。それに、言われて気がついたのだが、俺には帰る場所なんか既に無いと気がついた。
 だが、具体的に収益を上げるというのはどのような仕組みなのだろうか。俺はそれも納得しないと利用されるだけ利用され、後で「嘘でした」と言われるのは嫌だ。
それに対してさきは
「浮世絵は、今に例えるとグラビア雑誌やポスターの様なものです。人々はこれが後の世に芸術になるとは思ってもいません。そうですね。今ならちょっと高価なグラビア写真集と言う感じですかね。よってこの時代から持ちだしても歴史に影響はありません」
 そう言うのだが、じゃあ、現代にそんな浮世絵を大量に持ち込んだら価値が下がると思うのだが、これにもさきは
「それも考えてあります。こういう極めて趣向的なモノは個人の収集家がほとんどを集めています。彼らは決して、自分のコレクション、それも最上のは公開していません。公開されるのは収集家が亡くなって相続対策として売却された時です。でもそれだって、普通は闇から闇に転売されます。よって価値は保たれるのです。それに、我々は収集家からの要請をも受けています」
「ということは、今回もその収集家から注文が入っているのか?」
「私はそこまで詳しいことは知りませんが、ありえますね。まあ我々は収集家から手数料を戴くのですがね」
「なら、君達が直接買いつければ良いじゃないか」
 俺がそう中腹で言うとさきは
「我々が直接買いつけるのは違法なのです。そんな事をしたら芸術の価値が変わってしまいます。あくまでも、将来の社会で有益なことに繋がることでなければ認められていません。だからこれは本当の目的の一部です。あくまでも重要な人物の保護が最優先なのです」
「じゃあ、俺を救うついでに自分達も利益を上げようと言うことか」
「そう思って貰って結構です。でも個人的な所蔵にする目的なら、若干ですが、個人の金銭で買えるものなら許されます。でも私が使う機器では大きなものは転送出来ませんけどね」
 さきは、そう言ってニコリと笑った。要するにお互い様と言う訳だと思った。ならば、俺もこの子と一緒に江戸時代に行ってみようと言う気になった。
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