第10話 平安京へ

文字数 6,940文字

 センターに帰ってきて、俺は俺で色々と誘拐された時の状況を訊かれていた。質問には正直に言うしかないのだが、あそこに居た白人は何人だったのだろう? 俺は完全に敵の組織のイギリス人だと思っていたが、本当にそうだったのだろうか。こちらみたいに、あの時代の駐在員だったかも知れないと思った。いずれにせよ、もうすぐ判る事だと思い直した。
 さきは、センターに帰って来てから一度も顔を見ていない。この前もそうだった。江戸から帰って来ると色々と報告書を書くのだろう。そんな事を思っていると、食堂でコーヒーを飲んでる俺の前にさきが突然やって来た。
「光彩さん、今回の事件の取調べが終わるまでは、江戸に買い付けに行く事は出来ません。敵の行動が今回のようにエスカレートして来て危険がつきまとうからです。それに対して我々も対策を考えないとなりません。いずれ組織から色々と指示が来ると思いますけど、それまで暇なので、私と一緒に、買い付けとは関係ない時代に「タイムワープ」しませんか?」
 さきの提案は面白そうだった。だが、俺達も関係した事件が解明されていない段階で、何処かの時代に飛んで行くのは不味いのではないかと思った。
「それは大丈夫です。今回のは意識だけ飛んで行く方法ですから。未来の世界では観光として盛んだそうですよ。我々はただ、その世界を覗き見るだけなんです。その時代の物に触れもしませんし、その時代の人には認識されません。如何ですか?」
 それなら面白そうだ。歴史的な現場に立ち会ってみたい気は前からあった。
「どの時代でも大丈夫なのかい?」
「そうですね。まず幕末は駄目ですね。それから、危険を伴う場所も駄目です」
「だって、意識だけなら構わないんじゃないのかい?」
 俺の疑問にさきは
「例えば、その時代の人物が光彩さんの後ろの人物目掛けて鉄砲を打ったとします。弾は光彩さんの体を抜けて行きます。具体的な被害はありませんが、光彩さん自身は『打たれた』という感じを伴います。痛くありませんが、心臓に悪いです。ショックを伴いますからね。それでショック死した方も未来では居ます。それで、場所と時間帯に制限が設けられました」
 なるほど、さきの言う事も一理あると思った。ならば何処が良いかこれは考えなくてはならない
「今日行く訳じゃないんだろう?」
「そうですね。ここ二~三日なら何時でも大丈夫ですよ」
「なら、明日にしよう! 場所と時代は明日の朝迄には決めておくよ」
「そうですか、じゃあ、明日楽しみにしています」
 さきは、そう言うと俺の手を握ってから去って行った。明日の分の仕事を今日してしまうのだそうだ。でも今まで手なんか握った事なかったのだが、やはり悪くないと思った。

 その日、俺はセンターの色々な情報を漁って、俺なりに興味のある時代を調べた。本当は関ヶ原の合戦の場所に行き、山の上から見物と洒落てみたかった。小早川秀秋の裏切りぶりもこの目で見たかったが、戦場では危険だから駄目だと判った。
 平和な時代ならば、いっそ家康入府前の江戸が見てみたかった。田舎の一地方でしかない江戸だ。家康によって埋めたてられたり、河川の付け替えが行われる前の江戸だ。物の本に依ると「江戸湾で鯨が塩を吹いていた」とあるのでそれも見たかった。それならば許可も降りるだろう。俺はそう考えた。
 翌朝、朝食を採っていると、さきがやって来た。訊けば今日一日空ける為に昨日は書類を数多くこなしたという。
「ご苦労様だったね」
 コーヒーをさきの分と一緒に貰って来てねぎらいながら言うと
「何処に行くか決めましたか? 私も楽しみにしているんですよ」
 果たして俺の選択は、さきが喜ぶであろうか、少し心配になる。
「あのな、家康入府前の江戸が見たいんだ」
 俺の言う内容を訊いて明らかにさきの表情に不満な感じが見てとれる。頬が膨らんでいる。その表情も悪くない。
「家康入府前の江戸って何も無いですよ。そんな所に行って何が見たいんですか? それより、平安京に行きませんか? 私が隅々まで案内してあげますよ」
「いや、だって俺が行きたい場所って言っていたじゃないか」
「でも何もない所に行っても詰まらないですよ。それよりわたしが詳しく案内出来る平安の都に行きましょう!」
 どうにか、俺は江戸に行く事に話を進めたのだが、さきは平安京を譲らなかった。
「じゃあ次は、家康入府前の江戸にして、今日は平安京に行きましょう」
 俺はとうとう押し切られてしまい、今日は平安京に行く事になってしまった。
 それにしても平安京と言っても時代的に何時なのか、それが判らない。さきはそんな事もお構いなしに機嫌よく朝食を食べている。
「なあ、何時の時代に行くんだ? まさか、さきの生まれた時代なのかい」
 俺の質問にさきは、含み笑いをしながら
「そうですね西暦九百年を越すと平安京も荒れて来ますから八百年代の終わり頃が良いですね。ちなみに私が生まれたのはもっと後ですよ」
 そのような訳で俺とさきは八百年代の終わり頃の平安京を見物しに行くと事なった。
 実際どのようにして意識だけを飛ばすのか、俺にはさっぱり判らないが、さきが言うには
「カプセルの様なものに入って貰って後は、係の者が外から操作します。ここでは必要が余りないので、使わないのですが、何か立ち会うとか確認しなければならない時に使います。たまに使わないと、機械ですから。まあ、正直に言いますとメンテナンス代わりと言う事で」
 やはり、そうだと思った。気軽にそんな事を俺にさせてくれる訳が無かったのだ。
「でも、私が仕事抜きで光彩さんと何処かへ行きたかったのは事実ですよ」
 何だか、さらっと重大な事を言った気がするが、まあ、よしとしよう。
「こちらですよ」
 さきが俺を先導して行く。今日の格好は普通の格好だ。俺は上下とも組織のジャージ姿だし、さきも基本的に同じのを着ているが「同行員」なので、そのマークが胸に着いている。そう言えば坂崎さんは何時も同心の格好だった。丁髷でジャージだったら今ならさしづめ相撲取りだと思った。
『転送室』と書かれた部屋に、さきが入って行く
「ここですよ。この部屋に転送のカプセルがあります」
 さきが開けてくれたドアの中を覗くと、転送を制御する装置が置かれていて、ガラスの向こうに、人が二人程入れる透明な蓋の付いた、楕円形のカプセルが二台置かれていた。
「やあ、連れて来てくれましたね。僕は楽しみにしていたのですよ」
 制御装置の所に居た若い男、恐らく俺とそう変わらない歳だと思うが、彼が握手を求めて右手を差し出した。
「転送装置の管理をしている小鳥遊覚(たかなしさとる)です」
「光彩孝です、初めまして」
「実は今日は装置のメンテナンスを兼ねて、桂君が是非、転送装置を使ってみたいと言いましてね。詳しく訊けば、先日イギリスの組織相手に活躍して話題になってる方だと言うじゃありませんか。僕は是非とも貴方に会ってみたかったのです」
 そう言うものなのか。俺としては実感が湧かない。
「光彩さんは、今ここではちょっとした話題の人物なんですよ」
 さきが言ってるのだから確かなのだろう。

「それじゃ、装置の説明をします。まあ、行かれる方は特別何もしなくて良いのですが、この装置には時間制限があります。最大で2時間経つと自動で元の時限に呼び戻されます。向こうでどんな面白いものを見ていても、時間が来れば戻されます。
 それから、向こうでは物に触ったり、向こうの世界の人物とは会話することが出来ないばかりか、認識さえされません。それを覚えておいて下さい」
 小鳥遊さんはそう説明してくれた。つまり、現実世界には違いないが、俺達は幽霊のような存在と理解した。
「それじゃ、お二人カプセルに入って下さい」
 小鳥遊さんが、そう言うとカプセルの片方の透明の蓋が開いた。向こうに行くのは二人なのにカプセルが一個とはどういう事だろう。まさか、二人で一緒に入ると言う事か?
 疑問に思ってる俺をよそに、さきは先にカプセルに入って行った。
「光彩さんも早く来て下さい」
 やはりそうだった。あの狭い中に一緒に入るのだ。これは、正直困る。だが仕方ないのだろう。観念して、俺もさきの脇に体を滑らせて潜り込んだ。丁度さきを俺が包み込むような感じになった。
「今日はひとつしか動かせないので、密着しないとなりません。だから他の人とは嫌だったのです」
 さきの言葉が俺の胸元に響く。さきの息で俺の胸のあたりが温かくなっている。
「それじゃ蓋を閉めます」
 小鳥遊さんの言葉で蓋が閉められた。
「時代は西暦八百九十年の平安京です。それではカウント始めます」
 今まで見えていた景色が真っ暗に変わって俺は意識が遠くなるのを感じた。

 気がついたら空に漂っていた。脇にはさきが同じように漂っている。
「光彩さん。ほら見て下さい。これが平安京ですよ」
 さきに言われて下を見ると確かに碁盤の目のような街がそこに横たわっている。
「あれが、内裏でおおきみのおわします所です」
 おおきみ? ああ天皇陛下の事か、そう言えば昔は何と呼んでいたのだろう。
 さきが指差した先には朱色の大きな神殿が幾つも建っていた。そこからまっすぐ道路が伸びていて突き当りに大きな門があった。
「あれが羅城門です」
「羅城門? 羅生門の間違いじゃないか」
 俺の疑問にさきは笑って
「羅生門は芥川龍之介の小説です。事実は羅城門です。羅城とは大きな城にめぐらした城郭と言う意味ですからね。あそこまでが都で、その先は城外です」
 さきに言われて見た羅城門は立派で二層になっており、柱は朱で、壁は漆喰で真っ白に塗られていてとても美しかった。
「綺麗ですよね。私が生まれた頃はもう、かなり酷くなっていました。だから綺麗な門を見たかったのです」
 俺は、これはさきにとっては、まさに里帰り的な意味を持つと同時に、俺に自分のアイデンティティを紹介する為だったと理解した。さきは俺に自分の事を詳しく知って欲しいと考えていたのだと悟った。
 意識だけなので空中に浮いてる状態なのだが、思うように移動出来ないと思っていると、さきが
「目的の場所を見つめて『あそこに行きたいと』念じればそこに行けます」そう教えてくれた。
 なるほど、体が無いのだから、体ごと移動しようとしても無駄なのだと理解した。
「もっと良く羅城門も見たいし、出来れば内裏も見たいな」
「大丈夫ですよ。ただし、見るだけですからね」
 さきは、笑っている。考えて見れば意識だけなのにお互いの姿を感じ、会話も出来るのを不思議だと思う。
「じゃあ、羅城門から見に行きましょう」
 さきに言われて、意識を少し先に見える羅城門に集中すると、いつの間にか、羅城門の上空に居た。
 間近で見る羅城門は漆喰にひびが入り、修復が必要な感じだ。それに柱の朱塗り物も剥げかかっている部分がある。
 そんな事を思っている俺の事が気になるのか、さきは
「この頃はもう藤原北家の支配が進んでいて、そろそろ荘園なども出始めています。今後は都は荒れるばかりになって行くんです。私が生まれた頃の羅城門は人が近寄らないほど荒れていました」
 俺は物悲しく言うさきの言葉を聞いていたが、荘園と羅城門が荒れるのはどういう関係があるのだろうと思った。
「さき、荘園が増えると朝廷は困るのか?」
 俺の質問にさきは、半分笑いながら
「荘園には税がかけられないのです。だから荘園が増えると税収が落ち込んでしまうのです。だから修復の費用も捻出出来ずにいるのです。各寺院はその荘園の収入や何かで自分のお寺を修復出来るでしょうけど、こういう公共の建物は朝廷がその費用を出さねばなりません。でも、税収が減ると放置された儘になってしまうのです」
 さきの説明に何も知らない俺は恥ずかしくなった。荘園が増える事によって国家の基板が揺らいで行った事実を俺は知らなかった。後でセンターの図書室で調べたところ、荘園は、小規模な免税農地からなる免田寄人型荘園が発達し、その後、皇室や摂関家・大寺社など権力者へ寄進する寄進地系荘園が主流を占めたのだそうだ、このため朝廷は税を掛けられなかった訳だ。法の抜け穴を利用したのだ。

「内裏に行ってみましょう!」
 さきの案内で羅城門からまっすぐ伸びている朱雀大路を北に登って行く。平安京の街は所々空き地があり荒れるに任せている状態だ。その間に粗末な小屋が立ち並んでいる。庶民の住んでいる家なのだろう。最下層の住民はもっと酷いのだろうな。
 やがて左側に大きな御殿が見えて来た。かなり立派で屋根以外は朱色の柱と漆喰で固められている。
「朱雀院です。上皇が政務を取る御殿です」
 さきの説明に頷き、前を見ると朱雀院よりも数倍大きな城郭で括られた一角が見えて来た
「あれが内裏です。あそこにおおきみがおわします」
 今で言えば皇居だ、後にさきに教えて貰ったのだが、城郭全てを指して「大内裏」というそうだ。
「内裏の手前から「紫宸殿」「仁寿殿」「承香殿」と続いて建っています。紫宸殿でおおきみが執務をなさいます」
 さきに言われて見た内裏の建物の数々はそれは見事だった。ものの本によれば、戦国時代はここも疲弊して修理の費用も賄えず荒れていたそうだ。見かねた信長が多額の寄進をしてあちこちと修復したという。今は綺麗に保たれていて、見事な美しさを俺に見せてくれていた。
 その他にも色々な神殿みたいな建物があり、人々が行き交っていた。

「今度は鴨川の方に行ってみましょう」
 さきの案内で俺達は鴨川を見に行く事にした。
「ほら、光彩さんの時代の鴨川と違うでしょう」
 さきに言われて見下ろすと、確かに俺が知っている鴨川とは川の幅も流れも違う。流れは急で水量も多く川幅も広い。
「随分大きな川の感じがするが、これが鴨川なんだ」
「この頃の鴨川は暴れ川ですからね。年中洪水を起こしていました。だから、川の傍にはこの頃は余り人も住んでいませんでした」
 確かに言われて川の両岸を見ても満足な家は立っていない。後で知った事だが昭和の初め頃までは度々鴨川は氾濫していたそうだ。
「あと五~六十年も経つとこの辺は住むのに便利なので人々が住み始めますが、度々の洪水で皆流されてしまいます」
 それでも人は住んだのだ。人って、昔から環境より便利を優先させていたんだな。俺は流れの早い鴨川を眺めてそんな事を感じた。

 気がつくと、カプセルの中でさきと抱き合っていた。すぐに蓋が開けられ先にさきが飛び出す。続いて俺もカプセルから飛び出した。
 モニタールームのガラスの向こうから小鳥遊さんが
「点検を兼ねてですので今日はここまでです。また機会があればお願いします。ご苦労様でした」
 マイクを通してそう言ってねぎらってくれた。俺もガラスに向かって
「お世話になりました」
 そう言って頭を下げた。さきはと見ると既にモニタールームに居て、点検の作業表にチェックを入れている。
 そうか、平安京に居た時でも、さきは色々と点検をしていたのだと理解した。

 小鳥遊さんにお礼を言って、自室に帰ると直ぐにさきが顔を出した。
「随分行っていた感じもしたけど時計を見ると二十分ほどなんだな」
 初めての事にそう感想を言うとさきは
「精神だけですからね。感覚が違うんですよ」
「さきは、色々な時代に行った事があるのだろう?」
「そうですね。アートディレクターの同行員の教育を受けると、実技としては最初にあれで色々な時代を巡ります。そして授業を受けて知識を身につけてから、実際にタイムワープして色々な時代に行ってまたそこで勉強します。光彩さんはわたし達の仕事に興味を持たれたのですか?」
 さきは頭の回転が速い。それは普段の会話でも判る。時代が時代なら社会に出て出世しただろうと思う。だから俺が興味を持った事が判ったのだろう。
「俺なんかがなれるとは思わないが、今俺がやってる仕事よりはやりがいがありそうだな」
 確かにそう思っていたのだ。でも、この時はそう思っていたに過ぎない。出来れば、ぐらいの想いだった。
「光彩さん。借金の返済が終わったら、アートディレクターに転身する希望を出しておきますか?」
 希望か、まさか……。
「光彩さんがわたし達の仲間になる事ですよ。実は組織から光彩さんはアートディレクター同行員として適性があるのではないかと言われているのです。全く新しい環境の元でもすぐに対応出来、馴染んでしまう。そうデーターとして出ているそうです。完済したら考えておいてくださいね」
 さきは、そう言うと部屋から出て行く、その時に
「そうそう、完済したら、私もあの事を考えますからね」
 そう言って後ろも見ずにドアっを閉めた。これって良い方に考えてもよいのだろうか?
 俺はぼやっとしながら、そんな事を想うのだった。
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