第37話 東海道五十三次

文字数 3,424文字

 上野の山の一番奥とも言うべき場所に国立博物館は立っている。向かって右が本館。そして左が企画展などをやる平成館だ。今日は右の本館に入って行く。
 本館は一階は彫刻が多い。それも仏像がかなりの割合を占める。お栄さんは、それらも熱心に見ていたが、階段を登り二階の「東海道五十三次」の浮世絵が一同に揃った所に来ると顔つきが変わった。
 浮世絵が置いてある場所は薄暗く、ガラスのショーケースの中だけが灯りが点いている。「東海道五十三次」は江戸から順番に飾られていて、お栄さんはそれらを一枚一枚丁寧に見ていた。俺はさきに小声で
「なあ、後で調べて判ったのだが、俺が最初に江戸に行ったのは確か嘉永六年だったと記憶してるが、広重の保永堂版「東海道五十三次」は天保三年から出ていたじゃないか。この前お栄さんも途中までは見ていたと言っていたし、何故あの時代にわざわざタイムスリップしたんだ? 買い付けは保永堂版の蒲原だけじゃ無かったのじゃないか?」
 俺がこの仕事に慣れてから常に疑問に思っていた事だった。広重は自分だけも都合三回ほど「東海道五十三次」を書いている。その中で一番有名なのが今ここに展示されている「保永堂版東海道五十三次」なのだ。
 俺の疑問にさきは嬉しそうな表情をして
「結婚してから三年経ちました。いつ、それを尋ねてくれるのか待っていたのですよ」
 そう口を開いた。そして
「嘉永六年は、村市版の「東海道五十三次」が出た年です。それが欲しくて、その翌年に買い付けに行ったのですよ。勿論本命は保永堂版の蒲原ですから両方が買える年と言う訳なんです」
「おい、市村版って確か『人物東海道』と呼ばれている奴じゃないか。それも買い付けたのか」
「はい、そうです。あの時あなたに詳しい事を言っても判らないと思い、その事は言わなかったのですよ」
「では『蒲原』の他にも何か買ったのか」
「そうです。でもやはり『蒲原』ですけどね。「人物東海道」の蒲原ですよ。所謂『蒲原』のコレクターだったのです」
 そうか、そんな訳だったのかと納得した。ちなみに、広重は他の絵師とも共同で東海道五十三次は何作か書いている。主なものを上げると、佐野喜版「東海道五十三次」ー「狂歌入東海道」、江崎屋版「東海道五十三次」ー行書東海道、伊場仙版「東海道五十三対」 、丸清版「東海道五十三次」ー「隷書東海道」、藤慶版「東海道五十三図会」ー「美人東海道」、有田屋版「東海道五十三次」、丸久版「双筆五十三次」ー「双筆東海道」、蔦屋版「東海道五拾三次名所図絵」ー竪絵東海道」などがある。このうち蔦屋版には蔦屋重三郎さんが絡んでいるのだが、それはまた……。

 見終わったお栄さんと俺とさきは同じ階にあるラウンジの椅子に腰掛けた。さきが自販機でお茶を買ってそれぞれに配る。この本館には喫茶室は無いからだ。喫茶室のある館まで行ってもよいが、お栄さんも少し疲れが見えたからだ。無理もない慣れない環境に居れば疲れは倍増する。
「ありがとうございます! これの飲み方は教わりました。蓋をしておけば持ち運びも出来るので便利だと思いました」
 お栄さんはペットボトルのお茶を一口飲むと
「実は鉄蔵も『東海道五十三次』は書いてるのですが、全く話題にもなりませんでした。時期が悪かったと版元も言っていましたが、正直、あたしの目から見ても広重さんの作より劣っていたとは思いませんが時期が良くなかったのでしょうね。だから鉄蔵は『富嶽三十六景』を書いたのだと思います」
 お栄さんは遠くを見つめる目をしていた。もしかしたらその見つめる先は江戸の父親だったのかも知れない。
「後の研究者によると、この『保永堂版東海道五十三次』はお父さんの『富嶽三十六景』の影響を大分受けたと言う事なのですが、その辺はどうご覧になられました?」
 俺は素直な気持ちで尋ねてみた。するとお栄さんは
「確かに鉄蔵の影響はあると思いました。構図とか色々な所にそれは伺えます。でも絵師は影響し合う間柄ですから。あたしも色々な絵師の影響を受けて自分の画風を確立させて行きますから、それで良いのでは無いでしょうか」
 広重の絵には他の絵師の構図を参考にしたと思われる絵も多く存在する。まあ、それに一々反応する訳にも行かない。
 博物館の表では、春の風に乗って桜の花びらが舞っている。今日はもうこれでおしまいの予定だ。お栄さんがこちらに泊まれば、未だ時間はあるが本人の希望で一度江戸に帰りたいのだそうだ。八重洲の事務所兼ギャラリーに車を向ける。お栄さんは相変わらず窓から外を眺めて
「本当に変わってしまったのね」
 そう呟いたのが印象的だった。
 帰ると、すぐに着物に着替えた。髪はどうするかと思ったら
「この髪型もちょっといい感じなので、このまま帰ります」
 そう言う本人の希望なので、それを尊重した。江戸の人は着物にポニーテールを見てどう思うだろうか?
 同行するのは誰かと思ったら、さきが一緒に行くと言う。
「あなただったら一旦センターに出向いて、カツラやら着物やらに変えませんとなりません。わたしなら、着物に着替えるだけでも行けますからね」
 確かに、髷にならないと駄目な俺に対して、さきならば着物に着替えるだけで何とかなる。それにさきは普段、ここに自宅から着物一式を持って来て置いてあるのだ。
 さきは髪の毛を纏めると、柘植の櫛で後ろに留めて江戸時代でも可笑しくない髪型にした。それを見たお栄さんは
「あら、素敵。今度自分もやろうかしら」
 そんな事を言って周りを笑わせた。
 技術者の用意が出来たとの知らせに頷いて、転送室に行く二人に
「お栄さん。この次はもっと色々な場所に行きましょう。西洋画を見て回るのも良いですしね。何なら先程言っていたお父さんの『東海道五十三次』も『すみだ北斎美術館』で見る事が出来ますよ」
 俺がそう言うとお栄さんは
「鉄蔵の作品より西洋画が見たいですね。だから必ずまた来ます」
 そう言って転送室に消えて行った。

 今日、一つだけお栄さんには言わなかった事がある。それは彼女の書いた「吉原格子先之図」の事を一切言わなかった事だ。それはタイムスリップをする者として、言ってはいけない事なのだ。今の彼女には恐らくあの絵は書けない。西洋画を見ていない彼女には書けない作品でもあるのだ。我々タイムスリップを行う者は、過去の者にむやみに未来の己の事を教えてはならないのだ。例えば江戸南町奉行所の同心、坂崎さんは、大凡の歴史は知っていても、自分の行く末は知らない。ちなみに何時寿命が尽きるかも、知らされてはいないのだ。それは俺も同じで、漠然と今の世が続いて行くと言うことは知っていても、来年や再来年に何があるかは知らないのだ。それは、さきも同じで、知っているのは、そのうち俺たち夫婦に子供が出来る事だけなのだ。
 未来においては多少の変化はあるみたいだ。確定している部分もあるが、未確定の部分もあると言う事だった。
 この場合、お栄さんが先に「吉原格子先之図」を見てしまうことによりパラドックスに落ちてしまうからだ。だから一切触れなかったのだった。

 さきはこちらの時間では小一時間で帰って来た。帰って来ると五月雨さんに
「向こうでの処理は上手く行きました。次の予定も決めてきました」
 そう報告をしていた。
「そうか、ご苦労さま。それで次は何時なんだ?」
「来週の木曜です。わたしと夫の二人で迎えに行きます」
「坂崎は都合悪いのか?」
 五月雨さんがそう尋ねると
「坂崎さん。実は今度結婚するんです」
 それには五月雨さんや、その場に居た女子社員や俺も驚いた。
「この前、お栄さんを送って来て、すぐに帰ってしまったのは、それがあったからなんです。何でも先輩同心の娘さんで、とても可愛い人でした」
 さきの報告を聞いた五月雨さんは
「そうか、目出度いな。何か皆でお祝いをしたいものだな。それで、その娘さんは幾つなんだ?」
「十八だと言っていましたね」
 坂崎さんは確か三十か三十一だったはずだ。で本来は嘉永の人だから……と考えて頭が痛くなったので止めた。要するに一回り歳下と言う事だと理解した。
「だから、この前も、そそくさと帰ったのですよ」
 それを聞いて納得したのだった。来週には江戸に行くと思うと心が逸る俺だった。
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