第33話 大団円

文字数 3,203文字

 所長のアイリーンは支部の駐車場に俺たちを招いた。
「どうぞお乗りください。すぐにオークション会場に直行します」
 そこに停まっていたのはシルバーのジャガーXJだった。
「いい趣味をしていますね」
 浅田さんが半分感心した感じで眺めていると、アイリーンが
「4.2リットルです。日本車ほど故障知らずではありませんし、少し気難し屋ですが気に入っています」
 そう言って後ろの席のドアを開いた。さきと一緒に皮のシートに身を滑らせる。
「私は前で」
 浅田さんはそう言って助手席に座った。その感じから車好きなんだと思った。
 「ニュー・ボンド・ストリートにあるオークションの会場に直接乗り込みます」
 アイリーンはそう言うと静かに車を走らせた。
 乗り心地はさすがに良い。皮のシートもやはり国産とは違うと思った。そんなことを考えていると、さきが耳元で
「アイリーンさんは女性ですね。男装をしているのですね」
 そう俺に告げて来た。その言葉に一瞬驚いて声が出そうになる。俺もさきの耳元で
「全く判らなかった。髭がない人だとは思っていたがな。よく判ったな」
「だって、アイリーンという名は女性の名ですよ」
 確かに言われて見ればそうなのだ。「美人鑑賞図」のことばかり考えていて、そんな事は思いもしなかった。そう言えば握手した手が何となく女性ぽかったと思い出した。
 車はニュー・ボンド・ストリートにあるオークション会社の会場に横付けされた。警備員がすぐに近寄って来たが、アイリーンの顔を見ると表情が変わり、無線で誰かを呼んだ。
 間もなく中からオークション会社の者が出て来てアイリーンの顔を見ると
「今日は何か?」
 不安げな表情で尋ねる
「本日行われるオークションに日本の浮世絵の「美人鑑賞図」が出されるとの情報が入った。真贋に疑いがあるので鑑定員を伴って調査にやって来た次第だ」
 アイリーンは相手が物事を挟む余地のない言い方をして、そのまま建物の中に入って行った。完全に顔パスなんだと理解した。歩きながら
「今まで、我が組織がこの会社にどれほどの恩恵をもたらしたか。それを考えれば、我々を阻むことなぞ出来はしません」
 アイリーンは「美人鑑賞図」を出品する者の控え室に案内させた。
「ここです」
 そのドアを軽くノックして返事を待たずにいきなり開けた。ドアの向こうには紺のスーツを身にまとったお栄が座っていた。髪は長く伸ばしていて、背中まであった。傍らにはグレーのスーツの春信が居た。春信は髷を切ったのだろう。何だか明治維新の侍が髷を切った頭に似ていた。
「どうしてここが!」
 俺たちの姿を見て相当驚いたらしい。表情でそれが判る。舐めて貰っては困る。俺たちの組織の情報網は誰が何処に居るのかぐらいは簡単に割り出せるのだ。
「お栄さん。その絵を鑑定しましょう。今日は鑑定員を連れて来ました。そして、あなたの知らない、その絵の秘密を教えましょう」
 俺は静かにお栄に告げる。ここまで来て彼女も悪あがきをしても仕方ないと思ったのかも知れない。あるいは、本物と寸分たがわぬと思っているのかも知れなかった。
「見たければ見れば良いよ。但し傷は願い下げだよ」
 そのお栄の言葉に浅田さんが自信たっぷりに言い返す。
「そんなへまはしません。もう一枚の「美人鑑賞図」が本当はどうなのか、私も興味があります。この前は薄暗い場所でしたから鑑定が難しかったのですが、今日は違います」
 お栄が絵の入った筒から、この前春信が春章から盗んだ絵を取り出して俺たちの前に広げた。早速、浅田さんがルーペを出して眺めて行く
「やはり、そうです。一番右の女性の顔が出光に飾ってある本物と違います」
 浅田さんの言葉にお栄と春信は言葉を無くして
「そんな馬鹿な。師匠は同じ下絵を数枚描いていたはずだ。違う訳がない!」
 春信がそう言って否定するので、俺はタブレットを出して、出光美術館にある本物の「美人鑑賞図」を写して見せた。
「一番右の掛け軸を飾っている女性の顔を見比べて御覧なさい」
 俺の言葉に両方を見比べたお栄と春信だが、見終わって顔色が蒼白になっていた。
「まさか……信じられない。違うなんて……」
 春信が崩れ落ちるように座り込むとお栄も
「そうか、あんたらがワザと違う下絵を書かせたのだね。全く余計なことをしてくれたお陰でこっちの計画がおじゃんになったじゃないか」
 怒りに任せて自分で犯行を認めるような事を口にしていたので、俺は真実を告げる事にした。
「お栄さん。絵の一番左の女性を良く御覧なさい。見覚えがありませんか?」
 俺に言われてお栄はもう一度絵をしみじみと眺めて
「まさか……いや、そんな訳があるはずが無い。お母さんは捨てられたんだ。わたいと一緒に……」
 お栄は泣き崩れるように座り込む
「ならば、その隣の小さな顔を見せない子供が誰だかはお判りでしょう。春章さんは逢えないあなたがたに絵の中で再会していたのですよ。それがこの『美人鑑賞図』の本当の秘密なのです」
 俺と、さきと、浅田さんとアイリーンが見守る中でお栄は声を上げて泣き崩れるのだった。控え室の中にはいつまでもお栄の鳴き声が響いていた。
 その時、一瞬の隙を見て、春信がさきに体当たりをするようにしてドアを開けて出て行った。後を追おうとするとアイリーンが
「放おっておきなさい。この国に居れば必ず我々が捕まえます。それより彼女は如何するのですか?」
 既にオークションの出品は取り消されていて、俺たちは当初の目的は達成していた。
「帰ります……この絵を持って父の元に帰ります。長くないという話もあります。ならば少しでも父の傍に居てやりたいです。私が罰せられるならば、潔く刑に服します。でも、その前にこの絵を見せながら親子でひとときを過ごしたいと思うようになりました」
 これはお栄の本心だろう。俺は人が良いかも知れないが、そう思ったのだった。後から判ったのだが、絵の中の子供が着ていた着物の柄はお栄が子供の頃に父がなけなしのお金の中から拵えてくれた着物の柄と同じだったと言う。それも一瞬でお栄が理解した理由の一つだった。

 俺たちはお栄を伴ってイギリス支部に戻って来た。これからセンターに向かう。
「日本の江戸も面白そうですな。一度行ってみたいものですね」
 アイリーンがそんな冗談を言うので、さきも応える
「幕末なら大丈夫ですよ。アイリーンさんなら人気者になるでしょうねえ」
「ではいずれ」
 アイリーンのその声を聞いてセンターに戻って来た。
 その後のことを簡単に記しておく……
 お栄が持っていた「美人鑑賞図」の最初の下絵はお栄が完成させていた。例の、さきの一件がなければ浅田さんも鑑定に苦労する出来だったという。やはり親子なのだろう。春章のDNAを受け継いたお栄は絵師としても有能だったのだ。
 逃げ出した春信と違って、美術マフィアに戻れないお栄は希望通り江戸に戻ることになった。当分は山城さんや春朗の監視の元でになるだろうが、父親の春章と一緒に暮らす事になった。春信は美術マフィアに戻ったが組織に消されたという噂を聞いた。真贋は判らない。

 俺たちの家のリビングには、春章が下絵を描いて春朗が色を付けたさきの肖像画が、額に入れて飾ってある。いつぞやの写楽が描いてくれた絵は寝室に飾ってある。偶然かも知れないが、本来なら歴史的な価値のある絵が二枚も我が家にあるのが妙におかしかった。
 山城さんが伝えてくれたところによると、お栄は春章の最後をきちんと看取ったという。その後名を変えて、同じく名を変えた春朗と一緒になったという。これの真実はやがてこの目で見られると期待している。


        浮世絵美人は時間溯及の旅をする    <了>

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