第49話 蔦屋の狙い

文字数 3,324文字

 天保六年の江戸本所の片隅にある葛飾北斎の新居。そこに俺と蔦屋さん。そして、やはり天才の名を欲しいままにした歌川広重さんが居る。偶然では無かった。蔦屋さんが二人を引き合わせたのだ。蔦屋さんはこの頃実家の耕書堂に出入りをしていて、一種のアドバイザー的な事を行っていた。その縁で広重さんと知り合ったらしい。
 俺はこの時、長年疑問に思っていた事を直接訊いてみる良い機会だと感じていた。それは、俺が最初にさきに連れられて江戸に来て購入した「東海道五十三次」の蒲原の事についてだった。雪なぞ殆ど降る事がない温暖な蒲原の構図が何故雪になっていたのか、その疑問、謎をどうしても訊いてみたくなった。
 北斎さんと広重さんの会話が途切れたので、お茶を差し替える。そのついでに軽い感じで訊いてみた。
「私なぞ、あの蒲原の絵が雪だったのが意外に思ってたのでございますよ」
 広重さんは俺の入れた新しいお茶に口を着けてから
「ああ、あれでございますか、なんの真実は、雪が降っていたのでございますよ」
 いや、それは無いだろうと考えた。実際記録を調べても静岡の蒲原地方で雪が降った記録があるのはかなり遡らないと無い。後は、千八百五十六年つまり安政三年に雪が降っている。この年は天候がおかしく、江戸でも八月に雪が舞っている。天保の飢饉の年でもある。
 北斎さんは黙ってお茶を啜っているだけだし、広重さんは僅かに口角を上げた。
『何かある!』
 直感的にそう感じた。
 それ以上は問えなかった。実際に広重さんが蒲原で雪を見たと言ってる以上、それ以上は突っ込めない。珍しく北斎さんが貰い物の菓子を茶箪笥から出して来て広重さんに振る舞った。俺と蔦屋さんもお相伴に与った。
 その後、時間も時間となったので広重さんが帰る事になった。この頃は未だ日本橋大鋸町に住んでいたはずだ。晩年は常磐町に移転したとも言われている。転居の理由がはっきりしないし、その理由が後で判った次第だ。
 礼を言って北斎さんの新居を後にする。俺も用事は済んだのでこのままセンターに帰っても良いのだが、蔦屋さんが
「少し話がありまするので、ご一緒に」
 そんな事を言う。この時俺は、蔦屋さんが何かを考えているのでは無いかと思った。素知らぬ振りで
「そうですか、では」
 そんな返事をして一緒に歩き出した。俺、蔦屋さん、そして広重さんと三人一緒に歩いていると、どう見ても、蔦屋さんが主、俺が使用人と言う感じだ。広重さんは隠居した武士に見えるだろうと思った。
「まず、私の家にお寄りくだされ。そこで考えを披露致しまする」
 蔦屋さんの言い方が普段とは違って固い言い方なので、これは俺だけでは無く、広重さんにも言っているのだと考えた。
 北斎さんの新居と蔦屋さんの吾妻橋の家とは、歩いても小半時。今の時間なら凡そ三十分ほどだった。
「今の時間はお栄は寺子屋に教えに行って留守なので、丁度良いのでございます」
 お栄さんには言えない事なのかと考える。何だろうか……。
 程なく蔦屋さんの家に着いた。こっちは綺麗に片付けられていた。俺は思わず
「お栄さんが掃除するのですか」
 そんな事を訊いてしまった。蔦屋さんは苦笑いしながら
「やりますよ。余り熱心ではありませぬがね。基本は、掃除をするより絵を書いていたいと言う考えでございますからね」
 そう言って家の格子戸を開けて俺と広重さんを中に入れてくれた。
「どうそ、お座りくだされ。今、茶でも沸かします」
「いや北斎さんの所で戴いたばかりですから」
 広重さんはそう言って遠慮した。俺も喉は渇いていない。
「考えとはどのような物でございますか?」
 俺もなるべく江戸言葉で話す。蔦屋さんは窓や戸が閉まっているのを確認すると、
「こうすけ殿いや光彩殿、組織のセンターには意識だけを別な次元に飛ばす装置がある事をご存知ですよね」
 そういきなり組織の秘密とも言える部分の事を口にした。横目で広重さんを見ると、全く表情を変えずにいた。俺はこの時に先程、蒲原の事で広重さんが雪を見たと語っていた事と無関係では無いような気がした。
「確かにセンターには、そのような装置はあります」
 さきと一緒になる前の事だった。その装置のメンテナンスを兼ねて俺とさきは意識だけを平安の都に飛ばせたのだった。同じカプセルに一緒に入って狭い思いをしたが、後から判った事だが、カプセルは幾つもあり、別に同じカプセルに入る必要は無かったと後で知った。確か責任者は小鳥遊と言う人だと覚えている。確か今でもエンジニアの責任者としてセンターに居るはずだった。
「それで……」
「先ほど、北斎さんの家で、光彩さんが広重殿に質問した事を覚えておいででございますか?」
「無論です、長年の疑問でしたから」
 俺は当然の答えを言う
「実は、広重殿には私の転送装置で安政三年に一度転送しているのでございます」
 何という事だ。転送には本来、組織の許可が必要で、誰でも無夜間みに転送しても良い訳ではない。
「秘密裏にですか? でも組織には判ってしまうでしょう?」
「無論でございます。許可は得ました。特例と言う事で許可して貰いました。」
「では、その時に我々の事も?」
「細部は語っていませぬ。我々は江戸の美術を保護する時空を越えた組織の一員であると名乗っています」
 ある程度の事は知っていると言う事だと理解した。
「それで、今度はあの意識だけ転送する装置に広重さんを乗せると言う事ですか?」
 それしか理由は無いと思った。
「結論だけを申せば、その通りでございます。光彩さんは鳥瞰図と言うのをご存知でございますか?」
 知っていて当然だ。空から見た景色を描いたものだ。
「それが、どうしたのですか?」
「広重殿の絵には少しずつでございますが、西洋画の技法が混入してきているのでございます。やがてはこの描いたものが海を渡って西洋に伝えられます。その西洋の絵を我々日本の絵師が見て更に影響し合って行く。これが正しい形だと思うのです。私は、組織から光彩さんのように買い付けの仕事もありませんし、江戸の駐在員でもありませぬ。仕事は広く日本の絵を発展させ保存することでございます。その一環としてお栄さんを現代に連れて来て色々な西洋画を学ばせたりしたのでございます」
 蔦屋さんの仕事の内容は大体は判っていたつもりだった。しかし、影響が大きすぎると言う事は無いのだろうか?
「影響は最小限で済みますか?」
「済ませる所存でございます」
 俺はここで広重さんに直接尋ねてみる事にした。実はこれが一番大事だと考えた
「広重殿、どうですか、空から江戸を眺めて見たいと思いますか?」
 俺の質問に広重さんは、少し考えてから
「そうでございますね。この前、安政三年前後の蒲原に行き、驚きました。それまで蒲原は幾度か行った事がありましたから、正直蔦屋殿の申し出も最初は興味が薄かったのでございます。でも実際に行ってみて、衝撃をうけたのでございます。あの絵の空が暗いのは夜だからでは無いのでございます。あれは富士山の噴火で空が暗くなっていた時期なのでございます。噴火した塵が空に舞って光を遮っていたのでございます。私はあの光景を見て、これは記録しなくてはと思いました。そして、蔦屋殿が私にその光景を見せたのも、そこにあると考えたのでございます。それが真相なのでございます」
 真実は俺の全く想像外の事だった。安政地震は、嘉永七年(安政元年)に東地方で起こった大地震で、この後富士山も小規模ながら噴火を繰り返して灰が空を覆ったという。その記録だったなんて……。
「ご理解戴けましたかな? だから今度はあの装置で意識だけでも江戸の空に舞って欲しいのでございますよ」
 蔦屋さんはそう言ってにこやかな目をした。俺の頭の中で「名所江戸百景」の「深川州崎十万坪」が頭に浮かんだ。いや、それ以外にもあのシリーズは空から眺望した景色が多くある。俺はもう一度蔦屋さんの顔を見た。その表情には
「もう、お判りでございましょう」
 そんな事が読み取れたのだった。
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