第5話 事件発生

文字数 2,469文字

 結局、五軒ほど回って「蒲原」の目的の絵は買えた。それを見た坂崎同心は
「じゃあな。達者で帰れよ。次はいつ頃だ?」
「多分明後日になるでござんす」
「そうか、同じ時間だな」
「そうでござんす」
「こういう時はお前に貰ったクオーツが役に立つ。何時も正確だからの」
 そうか、坂崎同心は、俺の世界の事も知ってるんだよな。その辺の感想をもっと訊いてみたかった。時計などは、ないと逆に困るだろうな、と思った。
「じゃあな!」
 そう言って坂崎同心は増上寺の方へ向かって歩いて行った。さきに尋ねると、増上寺を抜けて裏側の町家や麻布の方へ見回りに行ったのだと言う。一日三十キロは歩くそうだから、これから大変だ。
「さあ、わたし達も帰りましょう」
 さきにそう言われて歩き出したが、実は先程から左足の親指の内側、つまり鼻緒が当たってる部分が擦れて痛くなって来たのだ。歩く速さが遅くなって来て、遂には歩けなくなってしまった。これは困った。
「ちょっと、どこかで一休みしていかないか?」
 何とも情けないが、慣れない雪駄で歩いていたからだと思う。
「あれまあ、仕方ありんせんね。そこの茶店で休んで行きましょう」
 さきが少し嬉しそうな顔をする。それに『ありんせんね』ってどこの言葉だ?
 俺とさきはすぐ目の前の茶店に入って「団子とお茶」を注文した。勿論さきが注文してくれた。
「おまちどうさま」
 そう言って小柄な少女がお茶と団子を持って来てくれた。俺は喉が渇いていたこともあり、湯のみ茶碗を手に取ると口に持って行った。その時だった、いきなり人がぶつかって来た。
 ぶつかった勢いで、茶碗は俺の手を離れ、お茶が溢れてしまった。もう少しでお茶が浮世絵が入った筒を包んだ風呂敷に掛かるところだった。茶碗は地面に落ちたが割れたり欠けたりすることは無かった。
「おい!」
 俺はぶつかって来た男にそう声を掛けると、男は俺の方を振り向き、小さく「チッ」と声を出して、走り去って行ってしまった。その瞬間に俺は、あいつは、わざと今日買った浮世絵を台無しにするのが目的ではないかと思った。
 そんな事を俺が考えていると、さきが尋ねて来た。
「こうすけさん、大丈夫でしたか、怪我はござんせんか?」
「ああ、何ともないが、あれはワザとだ。絵が濡れなかったので『チッ』と睨んで去って行ったからな」
 俺の言葉を聴いたさきは、顔色を変えて
「それは本当でござんすね?」
 と念を押した。俺が頷くと
「少しの間、これを大事に持っていて欲しいでござんす」
 そう言って俺に絵の入った風呂包をよこした。
「坂崎の旦那に繋ぎをつけるでござんすから」
 そう言ったかと思うと茶店の娘にどうやら厠の場所を尋ねたらしい。
「無線で連絡を取りますが、人に見られると困るざんすからねえ」
 無線なんてものがあるのか、と疑問に思ってると
「非常用でござんすよ。それだけ一大事という訳でござんす」
 そう言いながら店の裏手に消えて行った。しかし、無線で繋ぎをつけるということは、向こうも無線機器を持っていると言うことだ。さっきはそんな素振りを見せなかったのに。俺まで完全に騙されたと思った。アートディレクターって以外と大変かも知れない。

 程なくさきは帰って来て
「すぐに、こちらに戻ると言っていたでござんす」
 そう伝えてくれたが、俺は無線機器のことを尋ねてしまった。だって、さきは判るが坂崎同心はこの時代の人だ。無線機器なら充電などはどうするのだろうか。
「基本的には太陽光発電で充電しているでござんす」
 なるほど、ソーラーパワーか、納得した。
「最もバッテリーごとこちらから持って来る場合もあるでござんすよ」
 そんなことを話しているうちに坂崎同心が戻って来た。俺は茶店の娘が代わりのお茶を入れてくれたのでそれを飲んでいた。お茶も水が良いのか旨い。ほんのりとした甘みがあった。
 坂崎同心もお茶を頼み、それを飲んで一息つくと、さきに
「こうすけにぶつかって来たのは、もしかしてアイツラか?」
 そう尋ね、さきは
「多分、そうだと思うでござんす。今回は『蒲原』でしたから、イギリスの奴らだと思うでござんす」
「イギリスか、全くいつの時代でも嫌らしいことをやりよるわい」
 俺は二人の言っている意味が良く判らなかった。そこでさきに尋ねると
「イギリスに我々と敵対、つまり競合する組織があるでござんす。あいつら普段はヨーロッパの美術品ばかり狙っていたのに、最近はこっちにも手を出してきたのでござんすよ」
 そんなことになってたのか。でも、時間管理局はどうなってるんだろう?
「どちらも組織の管理の下部組織じゃ。だから始末に悪い。きっと、あいつらも「蒲原」を買ってどこかの時代で売るつもりなんじゃろう。さきとお前に売られると値が下がるので、妨害したんじゃろ。こちらでも調べておくから、今日の所はもう引き上げなさい」
「でも、長屋までまだかなりありますよ」
「心配ない今すぐ向こうへ帰ればよい」」
「え、今すぐですか?」
 この時、俺はあの長屋でなければならないと思っていたが、そんなことは無かったのだ。タイムワープをするには安全な場所ならどこでも良かったのだ。この場合は現地の人間に見られない場所だ。
 坂崎同心は、俺とさきを連れて茶店を出ると裏長屋の方に俺達を連れて行った。
「ここだ、ここも組織が借りている場所だ。ここなら誰にも見つからずに転移出来る」
 どうやら、何箇所かこういった場所を組織は借りてるらしい。でも思えばこちらの方が絵草紙屋に近いではないか。俺はさきに尋ねてみた。
「それは、最初でしたから、こうすけさんに江戸の街を見て欲しかったのでござんす」
 そうか、じゃ次回からはここに転移するのか……ならば足も痛くはならないだろう。
「では行きます」
 坂崎同心も一緒にカウントダウンしてくれて、ゼロになった。その瞬間俺とさきの周りの空間が歪んで見えて、やがて何も見えなくなった。
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