第14話 再び江戸へ

エピソード文字数 6,436文字

 俺とさきが結婚して一年が過ぎていた。子供はまだ出来ないが、時間の問題だと思っている。こればかりは焦っても仕方がない。
 俺はアートディレクターとして組織の現代を担当している。上司は五月雨さんだ。仕事は未来の世界で人気が爆発する画家の作品を買い取ることと、その才能ある画家の発掘だ。将来有名になり売れっ子になるとしても今の時代では只の売れない画家でしかない。そこで俺達の組織が出来の良い作品を適正な価格で買い取るのだ。それによって若い画家は食べて生活することが出来る。そして組織は将来、その絵が高価で売れるという訳だ。組織の資金源は実はこんなところにもあったのだ。
 無論画家には、こちらは普通の画商を装っている。表向きは「大東興産」と名乗って普通の画商を営んでいることになっている。そう、俺が以前借金の返済時に世話になった組織だ。今では俺もその組織の一員という訳なのだ。

「それじゃ行って来るわね」
 さきが制服に着替えて出勤のバッグを肩にかけるとタブレットを取り出して操作し始めた。そのさきの唇に軽いキスをする。ニコッと笑顔をしてさきは姿を消した。行先は組織の訓練センター内にある養成所だ。さきはそこで講師をしているのだ。若いながらも経験が豊富なさきは俺と結婚したこともあり、危険が伴う実務ではなく新しい人材を育成する仕事に変わっていたのだ。
 さきを見送った後で俺も出勤することにする。俺の場合は都心にある「大東興産」の事務所だ。ギャラリーを兼ねており一見お洒落な建物だ。しかし、それは表面だけで奥には時間転送関係に使う組織の色々な機器が置いてある。人だけではなく大きな美術品などはここから過去や未来に転送するのだ。
 さきはタブレットで簡単に出勤出来るが、俺は満員電車に揺られて出勤する。勤務場所だけ比べれば、大昔の地球の何処かの大陸に通勤するさきと今の時代の都心、それも二十キロは離れていない場所に通勤するのでは俺の方が楽な感じだが現実はそうではない。

 東京駅で降りて八重洲口に出る。この先一帯にはギャラリーが数多く存在している。我が「大東興産」もそれを装っている訳なのだ。
 ビルの裏口から中に入ると事務室には既に所長の五月雨さんが来ていた。珍しいこともあるものだと感じる。
「おはうございます。今日は早いですね。何かありましたか?」
 そんなことを口にしたのは無論本気ではない。軽い気持だった。そう、ついでみたいな感覚ということだ。だが五月雨さんの返事は俺の予想外の内容だった。
「実は深夜にイギリスからとんでもない連絡が飛び込んで来てな」
 五月雨さんは冗談は言うが、仕事絡みでは絶対に言わない……つまり本当に大変なことがあったのだ。
「何があったのですか?」
自分のデスクに鞄を置くと、俺は五月雨さんのデスクに近寄った。もし、大事な内容なら大きな声ではうっかり言えないからだ。
「うん、深夜のことなのだが、イギリスの支部から先日、あるオークション会社の開催するオークションに、ある浮世絵が出品されたそうなんだ」
 浮世絵の出品は特別珍しいものではない。現に俺とさきが買って来た数多の浮世絵も個人的な収集家に売り渡した以外はオークションなどで売っている。
「その浮世絵が問題なんですね?」
「ああ、そうなんだ。あるはずの無い絵が出品されようとしたんだ」
 五月雨さんは黒縁の細いメガネを外してメガネクリーナーでレンズを拭いて
「何だと思う?」
 そう裸眼で俺を見つめた。
「版画じゃなくて肉筆画ですね……歌麿ですか?」
 俺の言葉に五月雨さんは頭を振った。
「勝川春章だ」
 勝川春章……俺が何回も飛んだ時代よりほんの僅か先の時代で活躍した絵師で、役者絵や美人画で特に有名で、その肉筆画は重要文化財級の価値がある。
「イギリスあたりなら、恐らく美人画ですね」
「そう、それも聞いて驚くなよ『美人鑑賞図』だ」
「なんですって! 『美人鑑賞図』は確かこの先の出光美術館に展示されているじゃありませんか」
 俺も浮世絵を扱うにあたって、国内の目ぼしい作品はちゃんと見て歩いたのだ。『美人鑑賞図』もちゃんとこの目で確認している。
『美人鑑賞図』は春章最晩年の作品で、それぞれに過ごす十一人の女性が描かれている。
屋外の庭園風景はかの柳沢吉保の下屋敷だった六義園だ。女性達が過ごす家屋には吉保の家紋がはっきりと描かれている。
 この作品は春章と昵懇だったとされる大和郡山藩主・柳沢信穐(やまぎさわのぶとき)の古稀のお祝いに書いたとされている。だから二つある訳がないのだ。
「どうゆうことですか?」
「さて、全く判らん! オークション会社も余りのことにイギリスの支部に相談したらしい。色々と検査したが、偽物とは断定出来なかったと言う。そこでこっちに連絡が来て、ウチの組織は出光美術館の学芸員にイギリスまで行って貰ったそうだ」
「その結果は出ているんですか?」
「ああ、本物だと結論付けるしかなかったそうだ」
 そんな馬鹿なことがあるはずが無い。本物が二枚あるなんて……
「出品者は判っているんですよね?」
「ああ、一応まともな美術商だ。だがその裏では『美術マフィア』と繋がっているらしい」
「それなら出品なんか受けつる必要がないじゃありませんか?」
「それがな、オークション側では犯罪に絡んでいることが証明されなければ、問題は無いとの事だそうだ」
「つまり、それが本物だけど本来のものでは無いと証明すれば良いのですね」
「さすが話が早い! そこで早速取り敢えずセンターに向かってくれ、君の最愛の奥さんが待っていると思う」
「え、俺が行くんですか?」
「当たり前じゃないか、浮世絵と江戸時代に通じていて、自由に動ける存在はそうは居ない。君とさき君にこの問題に就いて貰う。江戸に行き、勝川春章と接触して、どうして二枚描かれたのか調査して来るんだ。出来れば二枚目の制作を阻止して欲しい。向こうでは、坂崎君や山城君もサポートする手はずになっている」
 恐らくさきも今頃は俺と同じことを通告されているのだろうと思う。再び江戸に行けるのは嬉しい。坂崎さんや山城さんにも逢いたい。だが……。
「それから……」
「は、それから?」
「これは極秘任務だがら良く聴いて欲しい。これを一緒に持って行って山城君に渡して欲しい」
 五月雨さんはそう言って自分のデスクの引き出しから白い和紙に包まれた紙包を取り出した。
「なんですかこれ?」
「予め言っておくが、これは高濃度のビタミンB1だ」
「ビタミン剤……でも和紙に包まれていますが」
「江戸時代に持って行くのに瓶に入ったままの錠剤を持って行くことなぞ出来るかね。うっかり落として、それが時代を過ぎて現代に見つかったら一大事になる。和紙に包んでおけば落としても紙が腐り、地中に落とした錠剤も分解される」
 そうか、我々はそこまで気を使わないとならないのだと思いだした。最近は過去に転送することが余りなく、あってもセンターばかりだったので、そのあたりがボケていたのだ。
「細かい事はセンターで司令が出ると思う。準備なども向こうで行うのは以前と同じだ」
「判りました。では早速行って来ます」
 俺はそう言って取り敢えず私物が入っている鞄に先程のビタミン剤と自分用の時限タブレットを入れて事務室を出て奥の転送室に向かった。この錠剤を誰に飲ませるのかは、朧気ながら俺にも推測出来た。
 転送室ではエンジニアが既に待っていた。
「光彩さんお待ちしていました。頑張って下さいね。それからさきさんにも宜しく伝えて下さいね」
 そう言ってニッコリとした。そう言えば彼女とさきは同期だと言っていたけ。
「判った。伝えるよ。それじゃ早速お願いするよ」
 そう言って転送室のガラス張りになったボックスに入る。扉の鍵を確認してエンジニアが転送の装置のスイッチを入れた……数秒で目の前が一瞬真暗になり、直ぐに新しい景色が目に飛び込んで来た。センターの転送室だった。ガラスの窓の向こうにはさきが立っていた。つい今朝ほど別れたばかりなので不思議な感じだった。
「光彩さんようこそセンターへ。奥様がお待ちですよ」
 センターのエンジニアに迎えられて扉の外に出るとさきが真っ先に近づいて来て
「話は訊きました?」
 そう言って心配そうな顔をして俺を見たので
「ああ、大体は聴いた。細かい指示はここで訊いてくれと言われている」
 俺は最後に言われた秘密の指令の事はわざと黙っていた。ここにも「美術マフィア」の手先がいるとも限らないからだ。

 さきは俺に腕を絡ませると一緒に歩き出した。そうしたのは、こうやって近づいて歩くことで耳元で不自然ではなく話が出来るからだ。
「秘密の指令も?」
「ああ、ちゃんと鞄に入ってる」
「それは良かったです。向こうでは大事なものに変わりますからね」
 ビタミンB1剤という事で俺にも大体の察しがついていた。だがこれは歴史を変えることになるのではと思うのだった。
「まさかとは思うが、あの人に飲ませるのか?」
「そうだと思います。山城さんに考えがあるそうです」
 ビタミンB1剤が利く病と言えば脚気だ。江戸時代に特に江戸で猛威を振るった病だった。 確かに時代的にも山城さんの時代の人だし、この前のさきの一件で二人は仲が良くなったそうだ。俺とさきの結婚のパーティーにも来てくれたし……でも助けたりしたら歴史が変わるのはと俺は心配していた。
 センターの中は殆ど変わっておらず、懐かしい感じがした。ほんの一年前のことなのに……。
 俺とさきは会議室に入った。この部屋に入るのは初めてだ。入り口のドアを開けるとそこには坂崎さんと山城さんが座ってお茶を飲んでいた。
「坂崎さん! 山城さん!」
 俺は声を出して叫ぶと近寄って握手をしようとして手を出したが二人とも戸惑っている。後ろでさきが
「握手は明治以降ですよ」
 そう言って笑っている。そうだ、うっかりしていた。どんなに今の事を判っていても基本的に二人は江戸時代の人間なのだ。それを忘れてはならない。
「お久しぶりです! お元気でしたか?」
 そう声をかけると坂崎さんが
「おう、変わりなくやっておるわい」
 そう答えてくれ山城さんが
「歳を除けば元気じゃ」
 そう答えてくれた。二人共元気そうで何よりだと思った。

 席に座り、さきがお茶を注いでくれる。それに口をつけると山城さんが小声で
「例のものは持って来てくれたじゃろうな」
「大丈夫です。ちゃんと持って来ました。詳しいことは山城さんから訊くようにと言われているのですが、まさか、あの人に飲ませるのですか?」
 俺は心に思った名前を出さずに問かけると
「ああ、やはり判ったか……そうじゃあの人に飲ませる」
「歴史が変わりませんか? 死ぬ人間を生かしてしまっては……」
「大丈夫だ。その辺もちゃんと考えてある。それに今度のことではあの方の伝手や顔が無いとどうしようもないことも多くあるでな」
 山城さんの言葉を補うように坂崎さんが
「勝川春章は北斎の師匠でもあるしな。色々な人脈に繋がっている。つまり色々な絵師と繋がりのあるあのお方に一緒に動いて貰えばやりやすくなるのでな」
 確かに、そうだろう。浮世絵の出版に大きく関わったあの人が一緒に動いてくれればこんなに強いことはないと思った。
「で、具合はどうなのですか?」
 俺の質問に山城さんは
「もう店には出られない状態じゃ。奥の自室から殆ど出て来ない。来客も親しい者だけしか入れない状態じゃ」
「寝たきりなのですか?」
 俺は特に脚気に詳しい訳ではないが、あまり衰弱すると錠剤を飲めないこともあると思ったし、飲んでも消化吸収出来ない恐れもあると考えたのだ。
「いや、まだそこまでは行っていない。店の方は既に息子に任せてあるし、病さえ治ったら我々と一緒に行動してくれることに同意してくれている」
「歴史が変わりますよ」
「なに、表向きは亡くなったことにして葬式を出すそうだ。だから活動はそれからとなる」
「ちゃんと確認しておきますが、その人物とは蔦屋重三郎さんですよね?」
 俺の質問に山城さんは呆気にとられていたが、
「当たり前じゃろう。ワシは今度のことが上手く行けば、蔦屋殿にも我々の組織の一員になって貰おうかと思っているんじゃ。正式なメンバーというより顧問みたいな形で参加してくれたら良いと思っているんじゃ」
 その後、センター長が入って来て本題の『美人鑑賞図』の話になった。結果として、
「何時の時代で「美術マフィア」が勝川春章に接触をしたのか?」
「どのような形を取ったのか?」
「また、それを阻止出来るのか?」
「出来ればそれを実行する」
 そのように段階に分けて活動して行くことになった。

「まずは蔦屋殿に薬をのませねば」
 センターの食堂でレモンティーを飲みながら山城さんは病に冒されている蔦屋さんのことを思っていた。
「早いほうがいいですよね」
 坂崎さんがそう言うと山城さんが
「皆で行っても迷惑になるしな……坂崎は用事が残っているということじゃが?」
 氷を口に入れながら言うと坂崎さんは
「二日もあれば片付きます。明後日には戻って来ます」
 そう言って一緒には行けないことを言った。するとさきも
「わたしも、明日の講義は代われないので、それが終ってからです」
 そう言って申しわけなさそうな顔をした。
「じゃあ、ワシと光彩で行くか!?」
「そうですね。ならば早い方がいいですね」
「そうだな」
 結果として俺と山城さんの二人で蔦屋さんに逢いに行くことになった。
 休憩が終わると俺は自分用のカツラを被り着物を着て(この辺は以前のものがちゃんとしまってあった)早速二人は1796年(寛政8年)の江戸に転送した。今更だが、実に簡単なものだと思う。店の裏口に立って懐を確認する。ちゃんとビタミン剤の紙袋が確認できたのでほっとする。山城さんが裏木戸を軽く叩き
「ごめん、山城だがどなたかおらんかな」
 すると、やや間があって裏木戸が開いた。手代だと思う人物が出て来て
「これは山城さま、主に御用でござりますでしょうか?」
「いかにも。重三郎殿は如何かな」
「はい、ありがとうございます! 本日は幾分かよろしいようでございます」
「大事な要件なのだが逢わせて貰えるかな?」
「訊いて参ります。しばしお待ちを……」
 木戸の内側の裏庭に入って扉を閉める。同心と変な男が裏口でうろついては怪しまれるからだ。ほどなくして先ほどの手代がやって来て
「主はお逢いになるそうです。大層喜んでいました。さ、こちらにどうぞ」
 手代に案内されて裏口から家の中に上がらせて貰う。本来ならこの時代は人の家に上がる時は雑巾で足を拭くかひどく汚れている時は水桶に水を汲んでそれで足を洗ってから上がったものだった。だが二人はセンターの床の上から直接ここまで来たので全く足は汚れていなかった。
 長い廊下を歩いて行く、家の中は所々に明かり取りの小窓があり思ったより明るかった。俺は電気の無い頃の家の工夫を見て関心するばかりだった。
「こちらでございます。旦那様、山城殿とお連れの方がお見えになりました」
 手代がそう言って襖を引く
「さ、どうぞ」
 その声に山城さんに続いて部屋の中に入る。裏庭の見える部屋に敷かれた布団の上に蔦屋さんは脚を崩して座っていた。寝間のうえに袢天を肩からかけていた。
「脚が全く駄目なので正座も出来ませんが。ようこそ山城殿、それに光彩殿、センターでお祝いの時以来でございますな。お元気そうで何よりです」
 さすが蔦屋さんだった。病に冒されてもその存在感は相変わらずだった。
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