第54話 未来へ

文字数 3,280文字

 北斎さんを見舞ってからセンターに帰って来た。転送装置のオペレーターに尋ねると、さきはまだ帰って来ていないとの事だった。行った年が年だからその任務が気になった。仕方ないのでセンター長に尋ねに行くと
「まあ、帰って来れば判る事だが、実は目的は二つある。一つは、広重さんの事だ」
 センター長は俺に椅子を進めながら慎重な口振りで話出した。
「君も知っての通り、広重さんは安政五年にコレラで亡くなっている。あれだけの絵師だ。組織の力で治して未来世界でその後も描いて貰うと言う事も出来ると考えて、さき君に広重さんにその意志があるかどうかを尋ねるのが、まずひとつ」
 要するに蔦屋さんのような処理をすると言う事だ。これは一種の賭のようなもので、広重さん自体もう幕末の江戸には帰れない。蔦屋さんも正式には亡くなった時代には帰っていない。それはその人物を知っている人が余りにも多いからだ。だからこの前の任務では蔦屋さんは時代を遡っただけだったのだ。これはその時代の人物と出会わなければ事が済む。
「それでもう一つはどんな任務なのですか?」
 秘書がお茶を運んで来てくれた。そう言えば喉が乾いていたのを思い出した。それを一口飲むとセンター長は
「もうひとつはお栄さんの事だ」
「お栄さんの事ですか?」
「ああ、歴史的にはこの頃から行方が判らなくなってるが、それには理由がある」
 センター長の言葉で俺は、お栄さんの事に関する任務と言うのが何となく判って来た。
「まさか、連れて来ると言うのですか?」
「そう、その通り。本人の希望でもあるからな」
「希望ですか?」
「ああ、北斎さんが亡くなって、後片づけも終わった。それなら江戸に住まいを構える事もない。と言う事らしい」
「蔦屋さんは何と?」
「蔦屋さんも同意だ。転送すれば自由に江戸に行ける。二人して、これから物騒になる街に居続ける事もない」
 確かに、組織の仕事なら何処の世界に住んでいても一向に構わない。
「それで、二人の希望は?」
「君やさき君が住んでる時代より先の世界だそうだ。場所は日本。組織は既に家や土地も用意してある。二人の仮の戸籍も手配済みだ」
 組織は別な時代の人間を別な時代に住まわせる時にその人物の戸籍を偽造する。俺とさきが結婚する時にもやって貰った。
「何だ、もう終わってる事なんですね」
 面白そうな仕事だから俺も一枚噛みたかった。
「まあ、君にはまだ色々な仕事が残っている」
 センター長はそう言ってニヤリとした。
「何ですか?」
「向こうでも時代が進んでいるから言ってしまうが、君とさき君と蔦屋殿には北斎さんの葬儀に参列して欲しい」
「確か嘉永二年でしたよね」
「そうだ。お栄さんの事もあるから、明日にでも行って欲しい。蔦屋殿にも連絡済みだから、明日の朝に向こうで落ち合って欲しい」
「分かりました」
 そう返事をした所に、さきが戻って来た。
「光彩さき、ただ今戻りました」
 さきは俺の姿を確認すると、ニコッと笑ってみせた。
「ご苦労さま。それで、どうなった?」
 センター長が結果を急ぐ。それは俺も同じで、さきの返事次第では日本画の歴史が未来世界では変わる可能性があるからだ。
 さきは、進められた椅子に座ると、やはり出されたお茶を一口飲み
「結論として、広重さんは寿命を全うすると言う事でした」
 しっかりとそう言った。
「では、こちらには来ないと言う事なのだね」
「はい、広重さんは、『自分の寿命がそうなっているなら、それに逆らいはしませぬ。それが神から与えられた寿命ですから。それにあの世で北斎殿を初め諸先輩方に逢えるのも楽しみでございます。唯一の心残りの【江戸百景色】も弟子の重宣が完成させてくれるなら、何もありませぬ』と言う事でした」
 さきは落ち着いていた。俺は多分、そのように選択するとは思っていたが、それでも、もしかしたらと思っていたのだった。
「仕方ないな。何より本人の意志が最優先だからな。それでもう一つの方はどうなった」
 それについてさきは
「それも準備が整い次第、移転する手筈になっています」
「それで移転するのはいつ頃の年代なんだ?」
 俺は思わずさきに尋ねてしまった。
「わたしとあなたが住んでる世界より百年後の二十二世紀初頭です。まだ人類は時間の転送には成功していませんが、世界は争いの無い時代へと変わりつつあります。そんな躍動的な時代に身を置きたいのだそうです」
「二十二世紀かあ……」
 俺とセンター長が同時に呟くと
「二人とも何を言ってるのですか、我々にとっては時代を登るのも下るのも思いのままではありませんか。隣街に住んでるような物ですよ」
 さきの言った言葉が全てだと思った。

 北斎さんの葬儀はそれは見事なものだった。江戸の名士が続々と列席したし、見物人も物凄かった。俺たち三人は一般の人間として葬儀に参列した。組織からと各個人の香典を持って行ったのは言う間でもない。蔦屋さんは事実上の夫婦だが、江戸の人別帳では、お栄さんは独身となってるので身内として並ぶ訳には行かなかった。それと、あらぬ誤解を受けない為だった。
 この時の蔦屋さんはこの時代に住んでいる蔦屋さんで、別の時代から転送して来た訳では無かった。それなりに歳を取っていた。
 葬儀が終わると蔦屋さんは
「実は、未来世界へ移る事ですが、もう移ろうかと思っております。用事がある時だけ江戸に来れば良いと思っております」
 確かに、合理的に考えれば、その方が便利だし無理はない。
「繋ぎは、坂崎殿がやってくれると言う事ですし、それなら江戸に留まる必要もありませぬし」
「そうですね。それは自分も賛成です。さきはどう思う?」
 俺に振られてさきは
「そうですね。組織としては既に何時でも移って構わないと準備も出来ていますからね」
 これも、そう言って納得した。
 結果的には色々な事を整理出来次第、移転する事になった。

 それから二ヶ月はこれらの仕事に関わって忙しくしていた。そんなある日だった。珍しく、さきが起きられずに居た。俺は心配しながらも
「どうする、休むか? 医者に行けるか?」
 等と本人に訊いていた。すると
「医者に行って診断して貰いますから、もしかしたら今日は仕事にならないかも知れないので、休むと伝えて於いて下さい」
 そんな返事が返って来た。
「判った」
 こちらもそんな返事をして出勤した。勤務先は八重洲の事務所兼ギャラリーだ。
 その日は特別な事もなく定時で仕事を終えて帰宅する。玄関を開けると、さきが玄関先で待っていた。
「あれ、どうした? 具合はどうなの?」
 俺の質問にさきは、下を向いたまま
「病気ではありませんでした。この前から何かだるくて食欲も余り無い状態でしたので、風邪かと思ったのですが……やっと宿ったみたいです」
 真っ赤になりながらも嬉しそうに言う。俺は、直ぐには言葉も出ず。言葉より先に目から涙が溢れ出していた。それを見たさきも涙を流す。
「そうか……ありがとう!」
 それしか言葉が出なかった。そっと、さきを抱きしめた。
 後の世で世界を救うと言われている子かも知れなかった。

 その後、さきは産休を取り、無事に子供が産まれた。元気な女の子だった。この子がどんな子になるのかは判らないが、俺たちはこの子をちゃんと育てる義務がある。それは親としてだけでは無く、社会の先輩としても同じなのだ。
 蔦屋さんとお栄さんは未来の世界で上手くやっているらしい。用事があると江戸にやって来る。仕事でたまに逢うが、未来でもお栄さんの絵は評価が高いと言う事だった。
 思えばひょんな事からこの世界に入った俺だが、何とかここまでやって来られた。それは周りの人のサポートがあったからだ。それを忘れてはならないと思う。ひとまずこれで俺の話を終えたいと思う。

                 <了>
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