第2話:株、競馬と結婚

文字数 1,546文字

 1968年が明けると、1月29日、東大医学部で医師法改正に反対、無期限ストに突入した。その後、東大紛争が開始された。6月17日、東大、当局に反対し安田講堂など占拠の医学部学生に対し機動隊を導入した。その後、1972年2月中旬の証券会社の担当者から刀根達男に電話が入り積水ハウスの株価が90円と安い言われた。

 そこで5千株成り行き注文を出すと45万円で買え残金が5万円となった。1972年3月、小山高専を卒業すると刀根道場の師範代となり柔道の普及と道場に通う若者を集める仕事をした。その後、柔道場で知り合った5年先輩の三枝さんに競馬場に連れて行ってもらうと競馬のわくわく感と緊張感が好きになった。自分でパドックの競馬馬を見て、その綺麗な姿に見ほれた。

 その後、じっくりと馬を見ていると馬の気合いを感じられるようになった。そのため、どの馬が一番、気合いが入っているのか漠然とわかるような気がした。また、集中して、競馬を見ていると、2分後、3分後のレースの様子がビデオの早送りのように見えるようになった。しかし、こんな事を他言すると、おかしな奴だと思われるので黙っていた。その後も競馬レースが好きになり頻繁に出かけた。

 すると悪天候の時、偶然、穴馬券を当てることが出来た。この時もパドックで馬の様子を見てやる気のある馬を見つけた。そして、競馬レースを想像した。その後、レースの結果を見ると1から3着の馬が自分の見たと同じだった。しかし、4位、以降は、霧のような物に隠れて全く見えなかった。4月24日、この頃、国労や動労の順法闘争で満員の電車が定時運転が出来ないことが頻繁に起きた。

 それに腹を立てた通勤客ら首都圏の大きな駅で暴動化し駅員室や駅の売店などを襲撃する暴動が起きた。1974年、オイルショックで1月16日、電力・石油消費規制が行われた。それで国鉄による昼間の暖房停止や百貨店の照明の間引きなどが実施された。3月7日、日本テレビ「ユリ・ゲラーの超能力放映」スプーン曲げで、反響の電話殺到した。その結果、多くの電話局の交換機パンクする騒動が起きた。

 5月11日、足尾における鉱毒事件に対しての補償問題が80年ぶり解決した。5月15日、江東区にセブン・イレブン一号店が開店した。10月22日、立花隆「田中角栄研究-その金脈と人脈」文春の記事で田中金脈問題につき田中首相が外人記者クラブで釈明した。1975年が明けると3月10日、山陽新幹線、博多まで開通。6月11日、東京都で初の公害患者57人を認定された。

 この年、刀根達男は昔からつき合っている幼なじみで近くの喫茶店の娘で同じ年の室岡幸子さんとの結婚を決めた。そして、6月25日の日曜日、結婚式をあげることにした。6月24日に上野のホテルに入り、夕食後、ビールを飲みながら昔話をなつかしそうに思い出した。
しばらくして眠りについた。翌朝、6時半に起きて不忍池を散歩して7時過ぎに朝食を食べに行った。

 9時から幸子さんが着物の着付けに出かけた。10時に刀根達男も和装に着替えるために出かけた。11時から和装の結婚式が始まり型どおり進んだ。参加者は、学生自体の友人が多く和気あいあいの雰囲気で終了した。その後、披露宴会場に場所を移し新郎新婦が参列者のテーブルを回り挨拶して回った。披露宴では学生時代の話や流行歌を歌ったりして盛り上がった。

 そして、両親から挨拶と新郎新婦からの話が終わると披露宴も終了し参列者一人一人にお礼のあいさつをして結婚式が終了した。その日は、上野ビアホールで夕食をとってホテルに帰り、早めに床についた。翌朝、上野から東北線で仙台へ行き青葉城を見学し夜は牛タンを食べた。その翌日は、那須へ向かい、那須の牧場を見学して回った。
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