第80話 物の弾みとは恐ろしい

文字数 1,789文字

 天十郎が僕を見ている…。


【お前】

 僕は思わず天十郎に声をかけた。天十郎は、落ち着いた様子で夏梅を抱きしめたまま「塁か?」と僕に訊ねた。「ああ」僕は答えた。

 天十郎はため息をつき、観念したように「拒絶しなければ、なんでも見えるのだな。夏梅の気持ちも、蒲の思惑も、お前の姿も」
「驚いたか?」僕は静かに天十郎に聞いた。いつかこんな日が来るような気がしていた。

「そう言えばそうかも知れない。いやそうでもない。本当はお前が俺の中に入って来るのを薄々感づいていた。だけど拒絶していた。見たくなかった、信じたくなかったというのが正解だろな。だけどもう一方で俺は知りたかった。同じように俺が夏梅にSEXしているのに、なにが違うのか、どう違うのか知りたかった」
「そうか」僕は頷いた。
「お前って誰だ」
「僕かい?夏梅の幼馴染の前夫。知っているだろ」
「随分、簡潔だな」
「もう少し、詳しく話せば、蒲と夏梅と僕は両隣三件とも家族事仲良しで、親同志も信頼していた。偶然にも三人同じ歳の事もあり、夏梅のからだの凹凸に、親たちが気が付くまで、三人いつも寝食を共にしている状態で育った」
「ひとつ聞いていいいか?」


【お前は死んでいるのか?】

「からだを捨てて、生き残った」
「はっ?どういうことだ」
「あの日、二階の窓から蒲の首にぶる下がった格好になった時に、蒲をとめるにはからだを捨てるしかないと思った」
「つまり、幽体離脱ってやつ?」
「わからない。夏梅が見た通り、からだだけ落ちた」
「どうやったら出来る?」
「計画して出来る物でもなくて、しいて言えば物の弾みかな?」
「あー?物の弾みか…?うーん!物の弾みとは恐ろしいな…。でもさ、おおよそ話をまとめると、蒲がお前を殺した事になるのでは?」
「そうかな?そうかもしれない。蒲の言う、おふざけで夏梅を殺したいと思わなければ、こんな事態になっていないだろな。人を殺したという罪悪感を背負うのは相当の覚悟が必要だが、蒲にはそれが欠落している。あいつは考えていなかった。人を殺したら死ぬまで罪悪感と戦う事を。自ら死を選ぶ思考もない。あいつの人生は無我夢中で暴れ続けるだけだから、君と夏梅がスッポン体質で助かったよ」


【僕は穏やかに答えた】

 天十郎は蒲の話しより、体質の話に興味を持った。
「スッポン体質って何だよ」
「二人共、スッポンのように一度、掴んだものは放さないからさ。おかげで誰も泣かずに地獄に落ちることなく、諦めずに来られたよ。とかく、相手の為とか言って身を引くこともおおいけど、掴んだものを放さないって、大切なんだな。お前たちに教わったよ」
「そうか?褒められているのだろ、俺たち?」
「ああ」僕は返事に感謝を込めた。天十郎は嬉しそうに笑った。

「おい、そういえば、褒められるといえば、塁、夏梅の話を聞いていたのか?」
「ああ」僕は少しテンションが落ちた。出来るならこの話題には触れたくない。
「二十年経ってもあそこまで言われたら、やっぱり嬉しかっただろうな。少しだけでも救われた気分だろ?」
「僕は複雑だ。この話をしなくても、いいのではないのか?」
「そうかもしれないけど、やっぱり気になる」
「確かに、優劣は気になるな。女のあいつの気持ちを理解することは出来ないけど、ひとつだけ、はっきりしている事がある。ベビースマイルだ」


【?】

「天十郎が最初に来た頃、夏梅に「どうしていつも笑顔なの?」と聞いていたろう?」
「ああ」天十郎は思い出したようだ。

「最近、あのベビースマイルを夏梅は君に投げかけたか?」
「いえ、最近は記憶にない…」
「そうだろ?」
「それが何か?」
「あれは、他人と向き合うとき、緊張で、口角が一ミリほど上がるから、見る側の印象が自分に微笑んでいるように見える。だから釣られて向き合った方も笑顔になるのだが、本人は他人に声をかけられることが嫌いだから、尚更、緊張してベビースマイルが消えない。いつも笑顔って事になるのだ」
「…?」
「スキャンダルにもなったが、蒲に対してもベビースマイルだろ?だからお前も疑ったよな?」
「ああ」天十郎は居心地が悪そうだ。
「違う。逆だ。天十郎、お前があのベビースマイルを見なくなったというのなら、夏梅はお前を他人として見ていない。緊張しない相手として見ているという事だ。そしていまだに、夏梅は蒲に、緊張しているということだ」
「俺が思っている事と、違うのか?」
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登場人物紹介

夏梅(なつめ)…フリーライター。

亜麻 天十郎(あま てんじゅうろう)…精悍な顔立ちのイケメン俳優。

真間 塁(まま るい)…夏梅の家で暮らしている僕。

蒲 征貴(かば まさたか)…夏梅の同居人。可愛い童顔に似合わない行動を起こす。

黒川 典文(くろかわ のりふみ)…だてメガネの黒川氏 夫婦で美容室を経営 僕たちのよき先輩。

黒川 日美子(くろかわ ひみこ)…黒川氏の奥さん 幼い頃から夏梅をみている。

積只 吉江(つみた だよしえ)…黒川氏の美容室スタッフ。夏梅と極端に反発しあう。

立花 孝之(たちばな たかゆき)…釣り仲間の先輩。雑誌編集長。

紅谷 和樹(べにや かずき)…メークアップアーティスト。僕らの関係に興味を持つ。

茂呂 鈴里(もろ すずり)…化粧品メーカーの社長。天十郎に固執している。

梶原 美来(かじわら みらい)…天十郎の元カノ。美術館で騒ぎを起こす。

吉岡 修史(よしおか しゅうし)…編集記者。夏梅達の関係を暴露しようとする。

亜麻 日咲(あま にこ)…20歳 別名ニコラッチ

亜麻 禾一(あま かいち)…19歳 早々に結婚して芸能界へ

亜麻 玉実(あま たまみ)…17歳 夏梅二世

亜麻 叶一(あま きょういち)…15歳 全寮制の男子校に通っている。大物

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