四 最も大切な存在

文字数 1,678文字

「明日、はとバスに乗って観光巡りする?」
 リビングで夕食を食べながら、久美は省吾を見つめてほほえんだ。久美は錦糸町のマンションに住むようになって以来、都内を観光巡りする機会はあったが、独りで観光巡りする気になれなかった。でも今はちがう。省吾がいる。

「久美さん巡りをしたい」
「あたしの仕事先を見たいの?」
 久美は省吾を見つめて笑った。省吾はあたしの仕事先を見学したいのか・・・。

「そうでなくて、久美さんのことを全て知りたい」
 省吾も久美を見つめる。想像で埋めてきた過去は真実とちがう。久美からじかに久美のことを知りたい。そして自分の五感でそれを確かめたい・・・。

「明日、一日でいいの?」
 久美は省吾と一つになれたことを思い、顔を赤らめて省吾を見つめた。省吾の思いが永遠につづけばいい。できることなら、今この時が永遠につづけば、省吾の思いも私の思いも永遠になる。久美は省吾の返答を期待した。

「これからずっと、久美さんといっしょにいたい」
「うん・・・」
 ビールの酔いもあって久美は首筋まで赤くなった。期待通りの返答だった。
「夏休みの間、ずっとここにいて、久美さんのことを知りたい。
 夏休みが終っても、いつまでも久美さんと過ごしたい」
 省吾は久美を見つめている。

「わかった・・・。
 あたし、見合いの相手に、断るよう、連絡してもらう。
 あなたのこと、家に伝える。
 いいよね?」
 久美は真顔だ。久美の両親は省吾のことも省吾の家族も知っている。何か問題があるとは思えない。あとは省吾しだいだ。

「もちろんいいよ!」
 省吾は久美を抱きよせた。
 久美が顔を離して省吾を見つめる。
「でも・・・、あなた、本当にそれでいいの?」
 省吾の年齢が気になる。これからいろいろ体験する年頃だ。四つ年上のあたしがいて、じゃまにならないだろうか・・・。

「久美さんといっしょにいたい。小さいときから久美さんを好きだったし、これからも変らないよ」
 省吾は久美を見つめた。
 ぼくは駆け引きめいたことは嫌いだ。人はよく、愛を育むなんていうが、愛ははじめから存在してる。それを維持し守り、存続させようとするか否かだ。
 ぼくにとって、愛は思い出や知識や親しい人々や家族など、ぼくを存続させて維持してきた全てだ。その中で、久美さんが最も大切な存在になった。ぼくはこれからずっと久美さんを守りつづける。ふたりの世界がずっとつづくことを願ってる・・・。
 省吾はそう思っていた。

「わかった。電話するね・・・」
 久美は実家へ電話した。電話中の久美から笑いが絶えない。久美の笑顔と久美の実家の母との楽しい会話がしばらくつづいた。


 食卓がビールだけになった。
「お腹、足りる?何か作ろうか?」
「何か簡単な物をつくるよ。久美さん、野菜とインスタントラーメン、ある?」
「あるよ。出すね・・・」
 久美は材料を調理台にそろえて、台所に立った省吾の作業を見た。

 省吾はラーメンを固めに茹でた。野菜炒めを作りラーメンを入れて炒める。
 塩分は、肉の代わりに入れたハムの塩分だ。ラーメンの固形スープ少々と、調味料、コショウで味を整え、できあがり。大皿に盛りつけ、食卓に置いた。
「さあ、できた。塩分控えめ焼きそばだよ」

「おいしい!こういう作り方、考えたことなかったよ。他にも何かある?」
 久美は興味津々だ。
 興味を抱いた子どものような久美の顔は少しも昔と変らないと省吾は思った。
「これから、いろんな物を作るよ。
 レパートリーは豊富じゃない。いろいろ手抜きしたものばかりだよ。効率化して調理してると思ってるんだ」
「おいしくできればそれでいいの。いろんな余計なものがあるから・・・」
 久美はファッション関係の仕事をしている。婦人物の衣料品はアクセントと称して不要な付属品がたくさんある。そのことで久美はずいぶん悩まされている。
「久美さん、何が好き?ぼくは野菜と魚だよ。肉類は嫌いじゃないけど、脂肪で胃もたれする。嫌いな物はないよ」
「あたしもそうよ。あたしも、嫌いな物はないよ」
 久美の好みは省吾と同じだ。そのことを久美は幼いときから知っている。
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