第五章(四) 霊能式猿拳 対 筋力特化陰陽道

文字数 3,428文字

 白虎を睨みつけていると、龍禅が口を開いた。
「鴨川君にも、わかる? この、明確なほど邪悪な気配が」
 龍禅が一枚がっちり噛んでいながら、邪悪とか、よく言えるなと思った。

 龍禅に対して、当て付けるように発言した。
「ここまで、あからさまだと、鈍い俺にだって、わかりますよ。悪霊って言いましたけど、ほんと、人の顔をした猿ですね。ただ、猿ならよかったのに」

 龍禅が驚いたように郷田を見た。
 郷田は龍禅の顔を見たくなかったので、白虎を睨みつけたまま、腕組みして動かなかった。
 五分後に、事態が動いた。壱が鈴を落としたかと思うと、蹲った。
「いけない」と叫んで、龍禅が壱に向かって走り出した。

 壱が地面でのたうつと、立ち上がって、着物の前をはだけて、奇声を上げた。
 二階の窓を見ると、またチラリと人影が見えた。
「やりやがった」
 除霊が難航した行為を見せ付ける、さらなる演出だ。視界を前方に移すと、壱が暴れ回って注連縄を千切った。

 白虎たち三人と龍禅が取り押さえようとするが、うまくいかない。
 壱は体格がよくない。身長にして百六十センチ、体重五十キロもないだろう。それが、大の男が三人懸かりで、抑えられないはずがない。

 演出が見え見えなので、捕り物に参加する気には全然ならなかった。
 壱が龍禅を突き飛ばした。壱はそのまま、郷田に向かってきた。
 郷田は壱の迂闊(うかつ)さを心の中で笑った。

 龍禅を突き飛ばした以上は、裏を知らない郷田には、壱に手を出す立派な大義名分ができた。
 ここで、壱を倒して除霊完了を宣言すれば、二階から見ている依頼人も、納得するだろう。
 壱は体を鍛えているように見えなかった。軽く一発でKOできる。

 壱が突っ込んできた。タイミングを合わせて右ストレートを放った。壱が郷田のストレートを回避した。壱が掌底を放った。掌底がカウンターとして、郷田の顎に入った。
 カウンターが入っても体重差が二十キロも違えば、たいして応えないと思った。
 けれども、壱のカウンターは重たかった。すぐに、郷田は左手で捕まえようとした。

 壱が、人間とは思えない速度で飛びのいた。壱は手足を広げて、獣のように四つん這いになった。ただの四つ這いではなかった。攻撃にも移動にも対応できる姿勢だ。人間技ではない。
 猿が威嚇するような「キー」という奇声を壱が上げた。

 郷田は心の内で理解した。
「これが噂に聞く、中国の象形拳の一つ。猿拳か」
 郷田は悟った。どうやら、前回の活躍で、金蔓を一つ枯らして龍禅を怒らせたらしい。とはいえ、形上は郷田が問題を解決したので、表立って郷田を排除できない。

 そこで、龍禅は一計を案じた。除霊に格好付けて、二度と逆らわないように仲間の手を借りて制裁を加える気だ。目の前の壱は、郷田を潰すために雇われた刺客と見て間違いない。
 白虎と龍禅はグルだ。二人の悪徳霊能者は、あたかも壱が悪霊に憑依されたように芝居を打ち、報酬を吊り上げる。同時に、邪魔者を排除する一石二鳥を狙っている。

 顔を見られないようにと注文を付けたのも、壱がやり過ぎた場合に、身代わりを出頭させるためだろう。
 龍禅が大声で叫んだ。
「鴨川、逃げなさい。お前の手に負える相手ではないわ」

 久々に闘争心に火が着いた。降伏勧告だと、小癪(こしゃく)なセリフを吐く。
 龍禅のいわんとする内容は、わかる。
「逃げ帰って、もう二度と姿を見せないなら、見逃してやる。だが、これ以上しつこく邪魔するなら、タダでは済まさない」

 中国拳法と戦った経験はなかった。けれども、壱の動きを見ればわかる。壱は猿そのものになりきれるほどの熟練者だ。
 だが、戦わずして逃げる態度を、郷田はよしとしなかった。

 壱を睨みながら、上着を乱暴に脱ぎ捨てて、Tシャツ一枚になった。
「先生、舐めてもらっては困ります。いいでしょう。俺の本気を見せてあげましょう」

 柔術独特の調息法を取った。丹田から出る気と、肺で取り込む気を合わせた。気と酸素を全身の筋肉に流すイメージをする。最後に筋、血、骨を奮い立たせるように大声を上げた。

 大声に壱が怯んだ。郷田の筋肉に力を入れると、Tシャツが弾け飛んだ。
 調息法をして実際に筋力測定をした経験は、ある。調息法で上がる能力は数値的には誤差の範囲だった。

 とはいえ、調息法からの雄叫びを上げてから戦うと、対戦相手は大抵「強くなった」と評価していた。なので、ここ一番という時には使った。

 壱に向かって、軸をぶらさないように悠然と歩いて行った。
 壱が低い姿勢のままで素早く近寄ってきた。間合いに入って、壱が掌底を繰り出した。
 郷田も殴り返した。壱が流れるような動きで郷田の攻撃を捌いた。次いで掌底を入れてきた。

 一方的に、郷田は壱の攻撃を浴び続けた。一分ほどの攻防戦の後、壱が飛び退いた。
 壱の顔に余裕が浮かんでいた。

 壱を見下ろして、両手を挙げてアピールして、郷田は凄んだ。
「好きなだけ打って、避けろよ、お猿さん。俺のスタイルは、プロレスだ。プロレスは、逃げない、避けない、倒れない、だ」

 壱の顔から余裕が消えて、怒りの顔が浮かんだ。
 避けないは、半分は嘘だ。戦った経験のない、完成された猿拳の速さには、従いていけなかった。
 壱の攻撃は体重に似合わず、重い。だが、最初から受ける気なら、耐えられない攻撃ではなかった。もっとも、このまま攻撃を受け続ければ、いずれは倒れる。

 郷田は左腕を後ろに回して挑発してみせた。
「お猿さん、力比べは嫌いかい?」
 相手は力比べに乗ってこないと思った。だが、プレッシャーには一応なる。ゆっくり右手を挙げて歩いて行く。

 右手を壱の頭の上に置くように体勢を採った。
 壱が両手で郷田の右手を掴んだ。
 予想に反して、力比べに乗ってきた。もっと賢い奴だと思ったが、動物並みに単純だった。

 郷田は右手一本で押さえつけようとした。
 壱が両手で押し返す。体格に似合わず、力があった。拳が重い原因も頷ける。
 正直、片手では辛い。だが、片手宣言をした以上、意地の張り合いで負けるわけにはいかなかった。負けては断固いけない気がした。

 壱の仮面に隠れた目が「どうした小僧?」といっている気がしたので、「やるじゃないか、お猿さん」と言い返した。
 歯を喰い縛って、顔を近づけるように力を込めていった。

 郷田の手が徐々に壱の頭に近づいていった。壱の頭に指が触れたところで宣言した。
「捕まえたぜ、お猿さん」
 相手の手をしっかりと掴む。壱の体ごと、一気に上に振り上げた。
 相手の体が持ち上がったところで、両手で壱の両手を掴んで、円を描くように回転を付けて振り回し、上空に投げた。

 壱の落下に合わせて、走り込んだ。ボディ・プレスで追撃を試みた。寝技に持ち込めれば、猿拳に勝てる気がした。
 ところが、獣のような身のこなしで、壱が落下から受け身をとった。そのまま、反動に合わせて壱が転がった。壱は見事に郷田のボディ・プレスを回避した。

 壱は体が小さい利点を確実に活かしている。落下に対しても、天性の受け身をとった。
 これは困った。郷田の決め手が欠く。長期戦なればスタミナで勝つかもしれないが、苦しい戦いになる。

 郷田は土を掴んで立ち上がった。
 龍禅の大きな声がした。
「相手の仮面を外すのよ。そうすれば、憑依は解けるわ」

 龍禅が壱の仮面を外せと命令してきた動機は不明。けれども、壱の仮面を外せば勝ちらしい。なら、やってみるか。
 囮のタックルを試みた。壱が躱した。
 ここまでは予想通り。郷田は壱が躱すタイミングで、両手に掴んだ土を左右に撒いた。左に避けた壱の顔に、土が飛んだ。

 壱の視界がそれたタイミングで、思いっきり壱の足を踏んだ。
 足を踏まれて、目が見えず、壱が狼狽するのがわかった。
 郷田は悠然と宣言した。
「お猿さん、覚えておきな。プロレスじゃあ五カウント以内なら、反則はありなんだぜ」

 壱の顔が郷田を向いたときに思いっきり拳で殴った。壱の体が外に引っ張られた時に、踏んでいた足はどけた。壱の仮面が割れて、壱が転がった。 
 郷田は右手を挙げて、声高らかに宣言した。
「これにて、除霊完了」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み