第八章(三) 刮目(かつもく)して、しかと見よ

文字数 2,320文字

 普通なら、シャイニング・マスクを応援する「シャイン」コールが、そろそろあっても良い気がする。
 だが、コールはなかった。今日の客は乗りがいまいちだと感じた。
 二号が鵺に捕まり、吊し上げられた。郷田は鵺の死角からスライディングをした。
 鵺が前のめりに倒れた。すかさず、鵺の背に乗って、首から顎を掴んでキャメル・クラッチに持って行く。

 鵺の下にいる二号が、両手で鵺の両手を取った。次に、二号が両足で鵺の胸を押してキャメル・クラッチを補強する。この体勢は、ちょっと鵺が危険かもと思った。ところが、鵺は鍛え方が違った。
 郷田が上から鵺の上半身を引っ張り、二号が下から足で押しているのに、少しでも手を緩めると、郷田の体が前に持っていかれそうになる。
 鵺が腕力で、二号に掴まれていた両腕を自由にした。鵺はどんな鍛え方をしているのか、筋力だけでなく、柔軟性も凄かった。

 鵺が両腕で郷田の両腕を取ると、郷田を投げた。体が宙を舞って叩きつけられる。即座に受け身を取った。
 すぐに、二号も腕力だけで投げ飛ばされて、横に落ちてきた。
 鵺が見せ付けるよう仁王立ちした。
「どけやー、こらー」とドスの利いた、聞き覚えのない女性の声がした。

 郷田、二号、鵺が、声のした方向を見た。強烈な光の中、神々しいまでに煌びやかな平安貴族のような格好をした女性が立っていた。
 女性の周りには、貧弱な半裸の男たちがいた。されど、女性が半裸の男を次々と掴んでは投げ、掴んでは投げ飛ばして、リングに向かって突進してくる。
 どうしたら、そんな格好でそんなに早く動けるのか、疑問だった。

 女性がリングに上ってきた。まずい。興奮した客がリングに上がってきた。
 鵺が女性を止めようと、立ちはだかった。だが、鵺は女性のラリアットを喰らうと、郷田を飛び越して、場外に飛んだ。
 鵺ほどの体格を吹き飛ばすなんて、神様でもなければ無理。きっと、鵺が観客に考慮して、演出して飛んだのだろう。

 女性が郷田の前に来た。女性の目は、とても活き活きとしていた。女性が興奮した口調で、口を開いた。
「ねえ、こ、これ、相撲でしょ。そうでしょう。そうでしょう。私、相撲には目がないのよ」
 よくわからないが、「これはプロレス、洋相撲。OK? OK?」と聞くと、女性がわかったようなわからない顔で「洋相撲? わかった、わかった、OK OK」と首を縦に振った。

 二号が改まった口調で女性に話しかけた。
「山の神様、申し訳ありません。ここは危険なので、土俵の外で見ていてくれませんか?」
 土俵と言われて、女性が気まずそうな顔をして、リングの外へすぐに出て行った。どうやら、二号は女性について何か知っていそうなので、「今の女性は誰?」と小声で聞いてみた。

 二号が視線を数秒ほど泳がせてから、教えてくれた。
「タイアップ企業のプロダクションから来た演歌歌手さんだよ」
 確かに一般の人が試合に来るのに、平安貴族の格好はしない。だが、タイアップの演歌歌手なら、理解できる。演歌の世界も、歌だけでなくビジュアルで差別化しないとやっていけない時代に入ったのだろう。

 二号がそっと親指と人差し指で丸を作って言い切った。
「鵺さんほどのレスラーを外から呼ぶとなると、ギャラが高いんだよ。だから、興行主が持ち出しを少なくするために、タイアップしてくれそうな企業のスポンサーを探してきたのよ。今回は、音楽プロダクションだった。それだけだよ」

 試合にスポンサー企業が付いてくれたほうが良い選手を呼べる。会場探しも格闘技団体単独で探すより、定期的に地方を回る音楽プロダクションが協力してくれれば、有利になる。

 でも、気になる言葉もあった。
「さっき、お前、山の神様が、とか言わなかったか」
「き、聞き違いだよ。あの女性は山之上(やまのかみ)優香さん、だから、山之上様と呼んだんだよ。有名人だよ。今、もっとも勢いのある演歌歌手さん。スポンサーが力を入れて売り出している人なんだから、様をつけないと、失礼だろう。スポンサーには金を出して貰っているんだから」

 そうか、山の神様ではなく、山之上様と呼んでいたのか。納得した。
 有名人と言われても、演歌は全く聴かないので、知らなくても無理はない。されど、二号の言葉は本当だろう。山之上は一般人にはないオーラがあった。

 鵺も山之上を知っていたと見て良い。そうすると、全て説明が付く。
 先ほどの山之上に投げられた幽鬼のように痩せた人間は、仕込みのパフォーマーだ。場外に飛んだ鵺も、事前に山之上と打ち合わせていたのだろう。
 なんのことはない。勘違いしてリングに上ってきた客だと思った人間は、シナリオが頭から飛んでいた郷田だけだった訳だ

 下手に動かなくて良かった。危なく、タイアップ・スポンサーの演出を潰すところだった。
 そんな行為をしたら、大目玉を食らう。
 二号が軽く手の甲で、郷田の腹を叩いて発言した。
「見ろよ。山之上さんのファンが大勢、会場に入ってきているだろう」

 会場を見ると、確かに客がさっきより増えていた。最初は百人もいなかったが、いつのまにか夜の野外会場に、五百人近い人が入っていた。
 会場の客には高齢の人間が多かった。普段は見ない昔の服装の人もいる。おそらく普段はプロレスを見ない人が、山之上さん目当てで見に来たのだろう。

 今日の客はノリが悪いわけが、ようやっと、わかった。プロレスを初めて見る人が多いのだろう。
 ならば、積極的に盛り上げなければならない。盛り上げて、次も見たいと思わせねばダメだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み