第六章(一) 式神とはなんぞや

文字数 2,460文字

 悪霊騒動が終ると、幸せな日々が戻ってきた。
 特に変わりはなったが、いつもよりトレーニングを強化した。
 いつまた、龍禅が賭試合じみた行動に出るか、皆目わからない。試合に勝てば、龍禅との友好的な関係は続く。負ければ関係は終る。

 八月になり、お盆も過ぎると、鴨川から呼び出しを受けた。
 久しぶりにスーツを着て『カツの新影』の本社に出向いた。久々に来る本社は、少し緊張した。
 社長室前の控え室で、秘書の女性に来訪を告げた。
 秘書が電話で確認してから「どうそ、お入りください」と一礼して告げた。
「失礼します」と社長室の扉を開けた。

 鴨川が社長机でパソコンのモニターを見ながら指示を出した。
「悪いが少し座って待っていてくれ。これ、終ったらそっちに行くから」
 予定の時刻に伺ったら、社長は手が離せなかった。普通なら、そう思う。
 だが、何か違うと感じた。先ほど、秘書の女性は社長室に電話を架けて鴨川に確認してから通した。
 仕事が残っている状況なら、社長室の外の社員を待たせるはずだ。

 ドアの付近から一歩も動かず、座るために用意された座布団の周囲に、さっと視線を走らせた。
 郷田の座布団の正面には鴨川が座る座椅子があった。座椅子の横には以前に見た刀置きはなかった。代わりに、肘を置く漆塗りの脇息があった。
 天井を見るが、上に仕掛けもなさそうだった。不穏なカメラやセンサーの類も確認できなった。

 靴を脱いで畳に上がった。警戒しながら、ゆっくりと足取りで進んで行く。万一の事態も想定して、畳の縁は踏まないように用心した。
 パソコン・モニターを鴨川が首を小さくて動かして見ていた。されど、手はマウスやキーボードを触っていなかった。
 画面をスクロールさせていない。何か、引っかかる。

 座布団に座った。座ってから、そっと、座布団の前の部分をはぐってみた。
 畳に幅一センチ、長さ三十センチほどの紙テープが貼ってあった。明らかに、何かの目印だ。
 頭を上げると、鴨川と目が合った。悪戯がばれた子供のように鴨川が笑った。郷田も釣られて笑った。危険を感じた。すぐに思いっきり身を屈めた。

 ビュンという音がして、頭上を矢が通り過ぎて行った。
 矢の飛んできた方向を見ると、襖に穴が空いていた。
 郷田は転がりながら立ち上がり、半身に構えて襖に向かった。

 鴨川が感心したように声を上げた。
「どうやら、少しはできるようになったじゃないか、郷田君」
 郷田は襖に構えたまま「ありがとうございます」とだけ返事をした。鴨川の策が終ったとは限らない。
 鴨川が椅子から立ち上がった。襖に向かって、鴨川が歩いていって襖の一枚を開けた。

 開いた襖から、台座に固定されたクロスボウが現れた。人に向かって遠隔操作で矢を放つクロスボウなんて、初めてお目に掛かった。
 鴨川がクロスボウを台座から外した。クロスボウを手に、笑顔で「冗談だ」と言わんばかりに鴨川が発言した。
「そう、怖い顔をするなよ。郷田君、こんなの玩具だよ。大して威力なんてないよ」

 郷田が安心すると、鴨川が目を細めて、郷田の座っていた先を見ていた。
 不審に思い、郷田は鴨川の視線の先を追った。郷田が屈んで避けた矢が、部屋にあった甲冑の胸に当って貫通し、深々と刺さっていた。

 甲冑を貫通する威力の矢は、洒落にならない。高校の歴史教師も教えてくれた。
「戦国時代、最も人を殺した武器は、刀や槍ではなく、弓矢だった」
 鴨川がクロスボウを置いて、大股でかつ早足で甲冑に近づいた。鴨川が矢を抜こうとしたが、深く刺さっていたのか、簡単には抜けなかった。鴨川が甲冑に足を掛けて矢を引き抜いた。

 鴨川が矢をじっくりと観察して、感心したように観想を漏らした。
「洋弓銃の威力って、思ったより凄いんだな。甲冑に穴が空くんだ」
 さすがに強い口調で抗議した。
「社長! 俺、死ぬところだったんですよ」

 矢を甲冑の横に置いて、鴨川が白々しく発言した。
「死にはしないよ。これは玩具の弓だし、甲冑も飾り用だからね」
 確認するために、甲冑に近づこうとした。
 鴨川が前に立ちはだかった。鴨川を避けて甲冑に近づこうとすると、鴨川が郷田の動きに合わせて、行く手を遮った。

 郷田は不機嫌な口調を隠さずに許可を求めた。
「飾り用かどうか、確認するだけですよ」
 強い口調で言いくるめるように、鴨川が拒否した。
「持ち主のワシが飾り用だと言うんだから、飾り用だよ。間違いないよ」

「確認させてくださいよ」と迫ると「ダメだよ、座りなさいよ」と鴨川が邪魔した。
 力を押しで通ろうとするが、鴨川がブロックした。鴨川を所詮は老人と思ったが、誤りだった。
 鴨川は郷田相手に、一歩も引かなかった。鴨川の力は同年代の男性より明らかに強く、足腰も強靭だった。なにより、重心移動が抜群に上手かった。

 押しても、引いても、軸が安定して崩れない。通れないとなると、意地でも通ってやりたくなった。鴨川もムキになり、絶対に遠さないと、張り合った。
 一瞬、チャンスができたと思って抜こうとすると、視界が大きく揺れた。柔道の払い腰しで、綺麗に鴨川に投げられた。

 郷田を投げた鴨川が、息を切らせながら発言した。
「どうだ、参ったか。私はね。これでも、柔道三段だよ。スポーツ・ジムにも毎日ね、通っているんだよ。わかったら、さっさと、座りなさいよ。これは、社長命令だよ」

 投げられた郷田は憎まれ口を叩いた。
「都合の良い時だけ、社長になりますね」
 鴨川が口端を上げて、指差して言い放った。
「馬鹿なセリフを言うんじゃないよ。都合の良いときだけなんて、社長をやってないよ。君が辞めるまで、ずっと私は君の雇用主だよ。君が給料を貰っている限り、この関係は、変えられないよ」

 言われれば、確かにそうだ。郷田は納得して、座布団に正座した。
 鴨川も向かい合って、座椅子に座った。
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