第二章(三) 陰陽師ってどうするの

文字数 3,409文字

 一週間後に鴨川から、陰陽道について書かれた本が五十冊ほど送られてきた。
 手始めにそれなりの厚さの本を開いたが、すぐに読む行為が嫌になった。
 漢字が読めない。古い本になると、見た覚えのない漢字が普通にある。読めない漢字なのに、当然の如くルビがないのだから、どうにもならない。

 中を見ながら、解読できそうな本だけ集めると、十冊を切った。
 こうなってくると、画や図解を多用した『サルでもわかる陰陽師入門』、『一週間でできる! 陰陽師』『これで、できないなら、陰陽師は辞めろ』みたいな本が欲しいと、本気で思った。

 けれども、送られてきた中に、そんな本は入ってなかった。
 読める本で努力はしてみた。だが、人類を有史以来ずっと悩ませ続けてきた「世の中、努力では解決できない問題がある」の難問が、行く手を阻んだ。

 体を鍛えて解決できる問題なら、どうにかできる気がする。誰かを倒せばゴールなら、まだ救いがある。でも、いくら筋力や持久力を付けても、陰陽道の学習には、歯が立たない。
 ゼロから学問を習うならまだしも、ゼロから学問を構築する行為は無理だ。
 陰陽師には不向きだと、思い知った。ほとほと困ったので、勉強は横に置いて体を鍛えると、資料は塩漬けになった。

 夏休みが終わりに近づき、そろそろ宿題をしないとマズイかな、と思う小学生と似たような心境になった。そんな時に鴨川に呼び出された。
 そろそろ、ではなく、完全にアウトだった。

 社長からの呼び出しを無視する行為は、さすがにできない。なので、社長室に向かった。
 鴨川が面白くなさそうな顔で待っていた。
 口に出さないが、陰陽師の勉強をしていなかった経緯を知っている雰囲気だ。
 郷田は用意された座布団を横に避けた。

 手を突いて、泣きを入れた。
「すいません。やっぱり、俺に陰陽道は無理みたいです」
 鴨川がムスッとした顔で、呆れた口調で言葉をぶつけた。
「ちょっと、君。諦めるの、早すぎるよ。いったん、やるって口にしたら、男なら途中で投げ出さずに、やりなさいよ」

 どうやら、簡単に辞めさせる気はないらしい。
 でも、無理なものは無理だ。どうにか、普通の職種に変更してもらいたい。とはいえ、陰陽師をやる条件での採用なので、簡単にはいかないだろう。
 簡単ではないが、可能性はゼロではないなら、挑戦しよう。うまくいけば、普通の社会人に戻れるかもしれない。

 誠意を見せるようにしつつ、畏まって申し出た。
「給与を貰えるので、嬉しいです。採用してもらえて、感謝もしています。けれど、成果が上がらない仕事にお金を使わせ続ける行為は正直、辛いんです。社長に申し訳が立ちません」
 真剣な表情を浮かべるように努力した。

 次いで、ゆっくりと頭を下げて、真摯な口調で発言してみる。
「俺が復興させようとしている陰陽道が社長の道楽なら、迷いませんでした。ですが、御両親へ孝行の一環だというのなら、見切りつけるように進言するのが、俺は礼儀だと思います。ですから、俺を陰陽師から外してください」

 鴨川は郷田の言葉を聞いて、静かに言葉を発した。
「そうかね。私の両親に対して誠意を見せたいか。なら、仕方ない」
 意外とすんなり認めてくれたと思った。明日から豚カツ屋の店員なら、気が楽だ。

 そう思った瞬間に、鴨川が怒鳴った。
「とでも、言うと思ったか。(たわ)けが! 私は、色々な人間を見て来ているんだよ。騙し騙されで、業界で登って来た男だよ。お前のような若造が嘘を吐いてもね。お見通しなんだよ。つべこべ言わず、働きなさいよ。働け。馬鹿もんが」
 相手は叩き上げの社長だ。考えが甘かった。完全に心の内を読まれている。

 ならばと、開き直って発言した。
「基本的な陰陽道が、わからないんですよ。細かい流派による違いなんて絶対わかりません。抹茶と烏龍茶の区別すらつかないのに、茶道やれって言うようなものですよ」

 鴨川がとても渋い顔をして、腕組みして発言した。
「わかったよ。こういう事態になる可能性も、考慮していたよ。もっとも、ずっと後になってから言おうと思ったんだけどね。まさか、君がここまで根性ないとは、予想外だったけどね」
 鴨川が本当に面白くないといった顔で言葉を切った。眉間に皴を寄せて腕組みしてから、不承不承といった口調で提案した。

「鴨川新影流派は資料がほとんどない。だから、開祖の勝綱の血を引く君なら、現代版陰陽道として新たに作ってくれてもいいよ。継ぎ接ぎだらけでおかしな陰陽道を再現するより、ゼロから新しい陰陽道を作ったほうが、まだ、まともな物ができる」

 さすがは競争激しい飲食業界を生き抜いてきた人間。中々の英断だ。現代版で好きに作っていいなら、なんとか形にできる。
 陶芸の素人が「縄文土器を復元しろ」と注文されれば無理だが、「なんでもいいから、壷を作れ」と命令されれば、下手でも不恰好でも、何かしらの成果は出る。

 郷田は気分も軽く確認した。
「では、もう本は読まなくてもいいんですか」
 鴨川が大きく膝を叩いて、怒った口調で注文を付けた。
「調子に乗るんじゃないよ、馬鹿たれめが。送った本は、きちんと読みなさいよ。基礎は押さえての上での創造だよ。君の場合は放っておくと、新影流忍法になるからね。忍術に金は出さないよ」

 郷田は正直に申告した。
「でも、俺、本が読めないんですけど」
 鴨川が全く予想外といった態度で、口を尖らせて発言した。
「なんで、なんで、読めないの。本は日本語で書いてあるでしょ。まさか、勝手に洋書の陰陽道の本を買ったとか、言わないでしょうね。君は蘭学式陰陽道とか、始める気かね」

 陰陽道に和式や洋式が存在するとは知らなかった。陰陽師って、てっきり日本だけのもだと思ったけど、違うかもしれない。菓子職人がパティシエと呼ばれる時代だ。陰陽師の洋式も別の呼び名であるのかもしれない。

 なら、和の陰陽師より、外国風のカタカナ名称のほうが格好いい。
 郷田は興味が出てきたので、お気楽に発言した。
「蘭学式。なんか、響きがいいですね。雪崩式ブレン・バスターみたいで」

 鴨川が、どうしようない奴だ、といわんばかりの顔で声を張り上げて、注意してきた。
「アホな言葉をいうんじゃないよ。オランダ発祥の陰陽道なんて、あるわけないでしょう」

「お言葉ですが、明治時代にイギリスに渡った柔道家が現地で柔術を基にバリツと呼ばれた格闘技を創設。その後、ホームズが修得した話がありますよね。なら、文明開化でオランダに渡った陰陽師が考案した蘭学式陰陽道があっても、いいと思いませんか?」

 鴨川が一度、下を向いてから、爪を噛むような仕草をする。こいつ、どこまで馬鹿なんだ、というような表情を浮かべて、怒りの声を上げた。
「いいわけ、ないだろう! おまえは勝手に、人の家の歴史を捏造するんじゃないよ。本当に心配になってきたよ。陰陽道の祭文なのに、エロイム・エッサイムとかで始まるじゃないだろうな」
「ロックバンドみたいで、なんかいい響きですね」

 鴨川が頬を引き攣らせて、立ち上がって凄みながら発言した。
「てめえ、いい加減にしないと、ほんとに、ド《ど》(たま)ぁかち割るぞ」
 どうやら、鴨川が洋式の陰陽道を嫌っているのは理解した。郷田は鴨川を不快にさせた発言を詫びた。
「すいません」

 鴨川が弱った顔をして、視線を中で大きく動かし、心配事を口にした。
「不安だなー。本当に、不安だよ。こんなに心配になった心境はね。豚インフルエンザで契約農家の養豚場が潰れた事態と、冷夏によるキャベツの高騰が重なった時以来だよ」

 お気楽な発言が、鴨川を追い込んだと理解した。非常に申し訳なくなった。
 問題は、かなり切実だ。豚カツ屋に入って、豚カツとキャベツが出なかったら、郷田だって怒る。つまり、事態はそこまで深刻なのだ。ただ、頭を下げるしかなかった。

 鴨川が苦渋の表情で決断をした。
「資料は漫画よりわかりやすいDVDも探すよ。あと、やりたくなかったけどね。心配だから、コンサルタントになってくれそうな人間にも、当たってみるよ。いっとくけど、コンサルタントに会う前に基本だけでも、覚えておいてよね」
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