第六章(三) 式神とはなんぞや

文字数 1,749文字

 相談しに行った龍禅が冷たい顔で開口一番に「無理ね」と発言した。
 平身低頭で懐柔を試みた。
「式神を修得できたら、纏った金額を寄進するように社長にも頼みますから」

 龍禅が呆れた顔で、否定的な口調で発言した。
「お金がどうこうではないのよ。式神を自在に使役できる陰陽師なんて、そうそう存在しないのよ。きちんとした師匠について長年ずーっと修行を積んだ陰陽師でもできない結果に終るのは、ざら」
「つまり、ろくでもない師匠を持った俺には無理だ、と」

 龍禅が頬を引き攣らせた。
「よく、そんなこと言えるわね。といいたいところだけど――」
 龍禅の顔がいつもの顔に戻って、突き放すように発言した。
「式神については私も素人同然だから、大きな口は叩けないわ。諦めて、コツコツ修行しなさい。二十年もやったら、どうにかなるかもよ」

「それでは遅すぎます。二十年も待ったら、社長が死にますよ。社長が死んだら、褒美が出ないでしょう」
 龍禅が目を吊り上げて、断固とした口調で拒絶した。
「呆れた人ね。でも、こればかりは、どうしようもないわよ。式神から頼み込んできたら別だけど、そんな特殊な事例が起きるのは、特別な血統の持ち主だけなのよ。いわば、陰陽道のサラブレッドだよ。昨日今日で陰陽師を始めた一般人には、無理よ」

 郷田自身、サラブレッドではなく農耕馬だと思う。
「わかりましたよ。まずは、独学で勉強してみせますよ。ですから、古書の翻訳をしてくれる人を教えてください。本は綺麗ですけど、昔の字は、同じ日本人でも読めないんで」
 龍禅が自然に「いくら出せるの」と聞いてきた。
 大学で論文代筆業のアルバイトをしている人間の話を思い出して返事をした。
「翻訳料としてページ当り六千円まで出します。八十四ページあるので、五十万四千円でやってください」

 龍禅が「ちょっと本を見せて」と頼んだので、本を渡した。龍禅が鋭い目で、中身をざっと確認して、本の最後のページまで捲って閉じた。
 龍禅が軽い口調で承諾した。
「この内容なら、妥当な値段ね。いいわよ、翻訳だけなら、やってあげるわ。そっちは、本業だから」

 龍禅はほとんど家にいた。なので、働いておらず怪しい霊感商法で生計を立てていると想像していたが、違った。
 確かに翻訳の仕事が本業なら、いつも家にいても納得できる。

 興味を持つと、龍禅が教えてくれた。
「ヒンディー語やサンスクリット語で書かれた昔の書物を、現代でも通用するヒンディー語や英語に翻訳する仕事をしているのよ。宗教色のある日本の古書の現代語訳もやっているわよ」
 古代インド宗教の翻訳なんて、かなり特殊な仕事だ。下世話だが、収入が気になった。
「そんな特殊な翻訳って、儲かるんですか?」と聞くと、普通に教えてくれた。

「この家を維持するくらいには、稼げているわよ。最近はインドに進出した日本企業から商業的なヒンディー語の和訳や、手紙や商品の説明文をヒンディー語にする仕事も多く入るようなったから、結構な余裕ができたわ」
「翻訳家なんて意外だな」と、しみじみと口にした。

 龍禅が当然といわんばかりに強い口調で発言した。
「霊能者業界のパイは、大きくないのよ。大きくないのに、宗教家と占い師が我先にと、パイを口にする。霊能者一本でまともにやっていこうとしたら、金持ちのパトロンか組織の後ろ盾がないと、本当に詐欺でもやらないと、やっていけないわよ」

 となると、当然、疑問も湧いた。
「先生はなんで、霊能者をやっているんですか」
 龍禅が思案するような顔で答えた。
「龍禅の家に生まれた事情もあるけど。やはり、人助けを兼ねた趣味かしら。でも、本気の趣味だから、手は抜かないわ。趣味だから、お金にならなくても仕事を請けられる」

 会社の仕事なら手を抜くが、趣味になると妥協しない人は、珍しくない。むしろ、芸術関連なら、下手なプロよりずっといい仕事をする人間もいる。
 最後に少し曇った顔で龍禅が忠告した。
「余計なお世話かもしれないけど、郷田君も陰陽師をやりたいなら、新影の社長さんを手放したらだめよ。それが駄目なら、なにか本業を持ったほうがいいわよ。でないと、簡単に転落するわよ」
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