第四章(六) 除霊は、技術にあらず、力にもあらず、芸術である

文字数 2,534文字

 龍禅が突然「ファイト」と叫んだ。
 理由はわからないが、ファイトと言われたので、ファイティング・ポーズをとった。ポーズを取ったが、ビニール・テープで囲われた空間には、誰もいなかった。
 誰もいない中、一人でファイティング・ポーズをとる行為は間抜けなので、いもしない相手を、とりあえず殴って見た

 奇妙な感覚に陥った。空間の中には郷田しかいない。されど、ビニール・テープで囲われたリングの中に、もう一人がいる気配がした。
 姿形は見えないが、何かがいる気配がした。近藤を見ると、近藤にも誰かが見えているようだった。
 どう対処していいかわからないので、両手を挙げて力比べをするスタイルをとった。

 そのまま、見えない相手の周りを、大きくゆっくりと周ってみる。周りながら観察すると、近藤と龍禅だけでなく、ケリーにも相手が見えているかのように、視線を動かしていた。

 郷田は理解した。
「これが、集団催眠状態と呼ばれる現象か。単調な音楽の繰り返しと、眠くなる祭文が、まずかった」
 テープの外の人間は、催眠状態に掛かっていて、いもしない存在が見えているらしい。でも、霊を信じていない郷田は中途半端に掛かったので姿が見えない状況下にあると結論付けた。

 まずい。どうやったら集団催眠が解けるのかがわからない。かといって、いつまでも、相手の周りを廻っているのも、芸がない。
 相手が殴り掛かってきた感じがしたので避けた。
 避けると、近藤から「避けてんじゃねえよ」の罵声が飛んだ。

 罵声にはムッとしたが、近藤に向かっていくわけにはいかない。代わりに、八つ当たりに、見えない相手に回し蹴を放った。
 見えない相手は避けなかった。見えない相手なので、避けたかどうか本来ならわからないだが、相手は確実に受けた気がした。

 集団催眠に掛かった三人を元に戻し、なおかつ除霊を終らせる方法がわかった。
 答は、プロレスをすればいい。もっと端的にいえば、エア・プロレスといえるかもしれない。エア・プロレスで、いない相手を倒せばいい。
 同時に思った。
「果たして、俺にはできるだろうか」

 エア・プロレスは簡単に思えるが、難易度が高い。
「俺は(ほうき)相手でもプロレスができる」の名言を残した、名プロレスラーはいる。だが、名プロレスラーだからこそ、箒が相手でも試合ができるのであり、一般人がやれば、下手糞なパントマイム・モドキの域を一歩も出ない。

 迷っていると、見えない相手に組み付かれてヘッド・ロックを掛けられた気がした。それらしい体勢を取って、耐える姿勢を維持した。
「固くなるなよ、新人。プロレスするのは、お前じゃない。俺なんだ」

 見えない相手が耳打ちしたように言葉が聞こえた。とりあえず、苦しんでみると、苦しい気がした。
 ふと、相手が力を抜いた瞬間に反撃に出た。見えない相手の足を踏んで、怯んだ相手を抱えて、一緒に後ろに倒れる。

 立ち上がると、見えない相手が、間を作ってから、飛び蹴りを浴びせてきた。蹴りを受けて倒れる動作をした。自然に体が動いた。
 見えない相手は、すぐには立ち上がらなかった。郷田はすぐに立ち上がり、倒れ込むような体勢で肘を打ちつけた。

 郷田の頭の中だけかもしれないが、見えない相手は存在した。見えない相手は襲い掛かっているが、防御のタイミングと攻撃のタイミングを、間で指示している。
「プロレスするのは、お前じゃない」の意味がわかった。
 郷田は守り、攻める。けれども、あくまでも主導権を持っているのは相手だ。郷田はレスラーとしては、プロではない。けれども、見えない相手は、確実にプロレスラーだ。プロだからこそ、新人相手でも試合になる。

 近藤が「いけ、鰐淵」と叫んだ。鰐淵と呼ばれた見えない相手が立ち上がった。
 見えなかった相手が、半透明で見えた。黒いマスクに棺をあしらったマークをつけて、舌を出して、両手の中指を立てた。鰐淵の姿が見えた。

 鰐淵と戦っているのなら、試合運びは、だいだいわかる。鰐淵にリードされながら戦った。
 鰐淵は非常に優秀な悪役だった。確実に郷田を追いつめ、反撃の隙を教えて、郷田の返しでピンチに陥って立ち上がる。
 十分が経過した段階で、鰐淵が急速に弱っていくのを感じた。どうやら、鰐淵は体調がよくないらしい。なら、試合を終らせよう。

 お互いに反対に走って、反転して腕を伸ばして、ラリアットの体勢で、中央でぶつかる。お互いに受身を取ったが、鰐淵が立ち上がらないので、すぐにフォールした。
 フォールして気が付いた。
「この試合、レフリーがいない」

 フォールされている鰐淵も、カウントが聞こえてこなくて動揺していた。
 おそらく、鰐淵も「おい、これどうすんだよ」と思っているだろう。
 近藤がテープを潜って入ってきて、大声で「ワン・ツー」とカウントを入れてくれた。
「これで終れる」と思ったところで、気が緩んだ。思わず少し早く体を起した。

 すかさず近藤が「カウント・二・九九九」と叫んだ。
 スリー・カウントが入らなかった。郷田は抗議しようとしたが、下で鰐淵の怒りの気配がした。存在しない鰐淵に蹴飛ばされた。
 鰐淵の怒涛のラッシュが始まった。相手は存在しないので、痛くはない。されど、郷田は身を固くして耐えるしかなかった。完全な失態だ。鰐淵が怒るのも、無理ない。

 ラッシュを仕掛けているが、体が辛いのは鰐淵のほうだ。鰐淵には平身低頭で謝りたいが、リングの上で悪役レスラーに謝るわけにはいかない。
 悪いと思うのなら、早く鰐淵を倒さなければいけなかった。郷田は身を守る行為をやめて、高速での殴り合いに切り替えた。郷田の六度目の手刀が鰐淵の首に入ったところで、鰐淵の行動が止まった。

 すぐに、鰐淵の頭に手を掛けて、頭突きを入れる。鰐淵の体が倒れたところで、気合と共に膝を入れた。鰐淵が倒れたので、すかさず、フォールに入った。
 近藤のカウントが響いた。
「スリー」のカウントが響いたところで、下になっている鰐淵の声が確かに聞こえた。
「はー、しょっぱい試合、だったなー」
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