主人公、城を追い出される 1

文字数 3,252文字


 いつも通りに、朝日が出ると同時に目を覚まして、身支度を整える。
 日の出とともに起き出して、日の入り後に早々と眠りにつく生活は、そろそろ一年になろうとしていた。
 ……まぁ周囲にとっては半年ちょっと、というところだろうけども。
 相変わらず微妙に違う価値観を面倒に思うことは止められないが、ある程度は慣れたものだ。
 当初こそ、会話などはきっちり訳されていると思っていたものの、生活をして会話を重ねていくと違和感が出てきたのだ。
 特に顕著なのが、単位や尺度の微妙な違いだった。
 例えば暦であれば、一年、一月、一日、一時間などの区切りというものはある。だから、会話や文字の上では問題ない。しかし、その中身が若干違うのだ。つまり、一年は三百六十五日ではないし、一月は三十日というわけでもないということであり、端的にいえば進数が違うということである。
 それら細かな違いは色々なものに、当然のように存在していたわけだが――学ぶ気があればそれなりにどうとでもなるレベルではあった。
 そもそも、一番の障壁となるはずの言葉――これは文字、音声どちらに対してもであるが――については既にクリアされているので、留意しておくべき点が増えたというだけの話でしかない。意識するべきは最初の内だけで、慣れてしまえばなんということもなかった。
 もっとも、この恩恵がいつまで続くものかわからないものである以上は、日々の勉強は必須だ。文字や発声、聞き取りなどの言葉の問題に限らず、慣習や文化、生きていくための術など全般も含めて学ぶことは山積していた。
 そこまで必死に生きるつもりはなかったが、ほどほどの暮らしはしたいと思うのは人の性だ。そのための努力は惜しむべきではないだろう。
 だから、この一年は、今まで生きてきた中でもっとも熱心に学んだ時期だったと言っても過言ではなかった、とそう思う。まだ十全ではないので、これからも続けていかなければならないことではあるのだが。
 成果が出ているのかわからない努力を続けることは、結構根気がいる。特に、既に不自由していない状態であればなおさらだ。
 ああサボりたいと考えつつ、身支度を整えた後で部屋を出た。
 今日は平日。いつも通りに訓練が始まる。
 午前中は走り込みなどの基礎訓練が主だ。
 当初こそ尋常でない量だと感じたものだが、一年もすれば面倒な日課のようなものだった。辛いか辛くないかで言えば勿論辛いが、続けることには意味がある。一人で生きていくためには体が頑健であるに越したことは無い、というのも理由のひとつだが、一番大きな理由は、用意された訓練量をこなせている要因が自身の努力とは別にあるということだ。つまり、この訓練が行えなくなるということは何かしらの異常が発生しているという判断ができるということである。単なる体調不良の可能性もあるが、継続できる運動量が急激に変化すれば、それはすなわち勇者とやらの恩恵もなくなったと考えるのが一番自然だからだ。
 まぁその前に意思疎通が行えなくなりそうなものだけど、と考えなくもなかったが、続ける理由を増やす意味でもそこは無視することにした。続けなくてもいい理由は増やす必要もない。
 基礎訓練は楽しいものではないが、慣れれば考える余裕は出来る。
 ここ最近考えることは、この状況はいつまで続くのだろうかということだった。
 自分にとっては一年、この世界の尺度で言えば半年という時間は、決して短いものではない。たかだか一人の処遇を決定するのに随分と時間を使うものだ、なんて疑問に思うのは変なことじゃないはずだ。それだけ勇者という看板が重要であるということなのかもしれないが、改めて呼ぶという選択肢もおそらくあるはずで――なんて色々と考えを巡らせるものの、結局はよくわからないし出来ることを続けるしかないな、という結論に落ち着く。
 考えることは大切だ。出てくる結論が何の意味を持たないとしても、現実に行動に移すことをしないでいても、考えないよりは考えている方がずっといい。

 少なくとも、何も考えないまま、事態が一変する状況に至るよりは幾分マシなようだと、そう実感できたのは今日の午後、戦闘訓練に入る直前のことだった。

 にわかに、城の中が騒がしくなったのだ。
 ここに来てから、こんな状態になったことは殆どない。祭りの時期などは忙しくなった人間がひいひい言ってるような感じで忙しなく、騒がしいこともあったけれど、今のこれとは様子が違う。
 なにより、時間が経つにつれて自分に向けられる視線が変化していくのが大きな違いだ。
 こちらを見る視線に含まれる感情は哀れみか、あるいは嘲りか。
 なんにせよ、自分の立場が変わったことを認識するには十分な情報だった。
 おそらくだが、新しい勇者でも現れたのだろう。盛り上がるには十分な理由だし、同じ立場だった自分への反応が変わるのも納得できる。
 ……となると、確認しなきゃならんことがあるな。
 そう思って、近くを通る誰かに声をかける。聞くのは何があったのかということだけだ。返答が返って来る。よく知らないということだった。回答の中身にはそもそも期待していないのでどうでもいい。それを悟られないよう、表情などに気をつけつつ、ありがとうと言ってその場を離れた。
 どうやら言葉はまだ通じるようだった。
 文字が読めるかどうかは、部屋に戻ってから確認しても遅くはない。先に確認するべきは、自分の体がどの程度動くのかということだ。
 そう考えた結果、午後の訓練を戦闘訓練から基礎訓練に変更することにした。訓練担当者を説得するのに多少苦労したが、まぁ、結果として変更できたのだからよしとしよう。
 午後の基礎訓練に移る。
 午前とまったく同じことを行うのは苦痛で仕方なかったが、結果として、通常の訓練量を問題なくこなすことができることがわかった。
 勇者としての恩恵は、新しい勇者が現れても受けた恩恵が消えることはない――のかもしれなかった。本当に新しい勇者とやらが現れたかどうかはわからないので断言することは難しい。杞憂と断じることが出来れば気が楽になるというのに、相変わらず情報が少なくて判断に困るばかりである。
 ひとまずは、まだ言葉はわかるし、体も動くということがわかればそれでいいということにしておいた。
 自分の状態は変わらないのなら、変化があるのは現状だと周囲の状況だけだろう。
 近いうちに話をする場が用意されるだろうなぁと考えつつ、部屋に戻る。
 寝台に横になって本を開き、文字を追う。相変わらず文字の形には慣れないが、意味は理解できたので、文字も問題なく訳される状態は続いているらしかった。
 少しだけほっとする。まだ文字も言葉も習得したとは言い難い状態だから、わからなくなったら生活できなくなってしまうのだ。言葉がわからなければ街で暮らすことは難しい。言語は他者と関わる上で必要不可欠なツールなのだから当然のことだ。
 それでも死にたくないというのなら、そうなったらそうなったでなんとか生きていくしかないのだが――できれば、それなりに人らしい生活をしたいと思う。こちらに来て随分と野蛮な生活にも慣れたが、これでも便利なものに慣れきった駄目人間だ。せめて、雨露が凌げる場所で料理らしい料理を三食摂れる生活をしたいと考えるのは自然なことだろう。
 もう少し真面目に勉強しないとな、と考えてから目を閉じる。
 流石に、基礎訓練を一日通してやると多少は疲れを感じる。目を閉じてからやってきた眠気に抗うことなくまどろむ。
 そのまま眠ってしまう、そんな直前になって、そういえば夕食を摂っていないという事実に気付いたが、一食抜いたくらいで死ぬような柔な体じゃないことはこの一年でよくわかっている。
 自覚した途端に沸いて来た空腹感を無視することに決めて、そのまま眠りに就いた。

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