主人公、一人旅に出る 3

文字数 5,751文字


 訓練を終わらせて再び街を訪れた時には、もう昼時を過ぎてしまっていた。
 訓練に多少熱中し過ぎたようだ。
 何が原因かなどはわかっている。体を動かすこと、そしてそれに集中することは、不安を忘れるには都合が良かったからだ。お陰で大分気持ちが軽くなった感じはある。とは言え、それで行動予定がずれ込んでしまっては元も子もない。
 次からは注意しようと、そう心に決める。
 まぁやってしまったことは仕方が無いし、どうしようもない。当初の予定からは外れてしまっているけれど、最低限のやるべきことはやってしまおうと、思わず止まってしまった足を動かす。
 まず向かったのは、雑貨屋だ。
 目的は当然、旅に必要なものを買い揃えることである。
 元の世界であれば、店主がよっぽどの物臭だったりでもしない限りは物の用途毎に分類された上で整然と棚などに陳列されていたのだが、この世界ではそうもいかない。そのような綺麗な店は当たり前のようには存在せず、金を持った連中がよく使う場所として僅かに在るだけだ。庶民が使う店は、露店のように品数が少なく在庫が全部わかるものか、リサイクルショップのように――非常に良い表現をして、だが――雑然とただ物が並べられた混沌とした場所しかない。値段すらわからないことなどざらにある。勿論、店員が親切に商品について説明してくれるなんてこともない。
 まぁ流石に食品を扱う店はもうちょっとマシな状況ではあるのだが、それは置いといて。
 余裕があればそんな店で物を探すことに面白みも感じるかもしれないが、そこそこに切羽詰っている状況だと煩わしさしか感じないものだ。とは言え、その気持ちを何の関係もない相手にぶつけても仕方が無いし、仮にぶつけて一瞬だけ気分が晴れたとしても、後で思い返して更に気分が荒むだけだろう。溜息と一緒に吐き出して気を紛らわせるしかない。
 ――いくつかの店を回る羽目にはなったものの、目的の品の殆どを揃えることができた。
 ザックや飯盒といった旅をするために必要なものを始め、携帯食料もそれなりに揃えられたのは僥倖である。その代償として懐が大変寒くなってしまったことは、これからを考えると頭が痛くなる問題なのだが、必要な出費である以上は許容するほかない。
 ……これから行く先で、うまく働き口を見つけることが出来ればいいんだが。
 そう考えて、ひとつ当てにしてみようと思った場所に足を運ぶことにした。





 中世風のファンタジーでよくある舞台装置に、冒険者ギルドというものがある。
 冒険者と呼ばれる身元や素性が不明瞭な輩に仕事を斡旋してくれるという、よくよく考えれば不思議な組織なのだが、この世界にも似たような組合は存在しているらしいということは掴んでいる。もっとも、魔法に関する当ても外れた前例があるので大して期待はしていなかった。話に聞いていただけで実態がどうなのかを知る機会が無かったということもある。
 冒険者ギルドと呼ばれる場所は、城からはかなり離れた場所にあった。街の外周部近いということで、街の外から入ってくる人間も関わる場所であればさもありなんと、納得する。
 建物はかなり立派なものだった。立派過ぎて、なんかダメっぽいという予感をひしひしと感じたものの、入ってみなければわからないからなと自分を納得させてから中に入る。
 さて、どんなものかと覗いてみれば――やっぱりと言うべきか、どうやら簡単に所属できるようなものではないらしかった。
 これは制度的な意味でもそうだし、気持ちの面でも参加が躊躇われるという意味もある。
 例えば、ある街のギルドに所属するとそこ以外のギルドから仕事が請けられなくなるだとか、月極で上納金を納めなければならないとか、そういう世知辛い柵が多いようだった。それでも所属し続ける人間がいるということはそれ相応の利益があるのだろうけども、この世界の制度について詳しく知らない自分としてはピンと来ない上に、なんだかヤクザの地上げ代みたいで印象は良くない。
 そしてまぁ当然のことではあるが、そんな柵やら規則を以って運用されている組織が、身元が曖昧な輩を受け入れてくれるほど門戸が緩いはずもない。よほどの実績があるか、あるいは有力者の後見が無ければ申請は通らないと、窓口でも断言された。
 やはり現実は厳しいな、と思っていたのだが――相手もわざわざ働きたいという人間を見逃すほど間抜けでもないらしい。
 ギルドに所属するのは無理でも、互助会という下位組織に登録することで仕事を斡旋してもらえる場合があるとのことだった。登録証は身分証代わりにも使えるということなので、素直に登録しておくことにする。
 しかしまぁ、登録手続きが終わって登録証を受け取る際に、
「互助会で頑張ればギルドに転属できる可能性がありますから、是非頑張ってください」
 などと言われたときには、ポーカーフェイスを維持できた自分のことを我が事ながら褒めてやりたいと思ったものだ。
 相手が口にした言葉は単語を置き換えれば元の世界でいうブラック企業の謳い文句そのままなわけで、搾取する気満々だなこいつらと思ってしまうのは自然なことだろう。
 互助会に回ってくる仕事は、ギルド所属の連中が儲からないと判断して受けたがらないものばかりだろうし、支払われる報酬は結構がっつり抜かれているのも間違いない。
 とは言え、頼る相手も居ない身としては、その日暮らしにしかならない程度の金銭しか稼げないとしても、仕事ができて金が入るのであれば有り難いということもまた間違いない事実である。
 冒険者ギルドを出た後で、どうにかして生活を改善する術を見つけていかないといけないなと考えて――動けば動くほど解決しなければならない物事が増えていく現状に、思わず肩を落としながら溜息を吐いた。





 始動が遅かったせいもあるが、この街で行うことのできる準備を終えた頃にはもう日が傾き始めていた。
 本来であれば日が落ちそうになってから移動し始めることは避けるべきなのだが、追手が手配される可能性もゼロではない以上、この街にもう一日滞在するのは悪手だろう。ここは暗闇の中を進む危険を採るべきだと、そう思う。
 だから、物が揃ったならば早々に街を出るべきなのだが――一人だけ、街を離れる前に挨拶をしておきたい相手が居た。
 その相手とは、ある宿屋に長逗留している一人の女性である。
 この世界に来てから様々な人に世話になったが、彼女はその中でも一番世話になったと言っても過言ではない相手だ。その理由は色々あるが、一番大きいものを上げるのなら、彼女が自分に魔術を教えてくれた、云わば師匠であるからだろう。
 習得することはできないだろうと思われたものを、きちんと使える状態にしてくれたのだからその恩は計り知れないのだが――素直に感謝できる相手かと言うとそうでもなかったりする。
 恩はあるが、相手の思惑が読めないので素直に感謝できないとでも言えばいいのだろうか。それとも、単純に得体が知れない相手と言ってしまったほうが思うところが伝わるのだろうか。
 そもそも、だ。
 この世界の魔術は基本的に一種一属的な能力に近いという話である。それを他者に教えることが出来る人材となれば、どれほど希少な存在であるかは言うまでも無いことだろう。
 そして、他者に教えることが出来るということは、自ら学び習得することが出来るということであり、また、新しいものを作り出せる可能性も持っているということでもある。
 彼女と知り合ったきっかけは、彼女が自分の働いていた酒場でチンピラに絡まれて助けを求めてきたからなのだが――そんな稀有な素質を持った人物が、たかだか街の酒場で粋がっている程度のチンピラに絡まれて助けを求める必要があるのだろうか?
 考えるまでもない。答えは否だ。
 よほどのバカでもない限り、一人旅をするのなら自衛の手段は用意する。
 そして、魔術で人の命を奪うことは容易く、自分が彼女から使い方を学んだ魔術には暗示や催眠といったものもあった。それを使えば他者に助けを求めることなく、自力であの状況を解決できたはずなのだ。
 だから彼女がわざわざ自分に助けを求めたのは、こちらと接点を持とうとしたのではないかと考えてしまうのは自然なことだろうと、そう思う。もっとも、そんな可能性を考えてしまうのは、自分がこことは違う場所からやって来たという認識があった――すなわち自意識過剰によるものだという可能性も否定はできないのだけど。流石に、彼女があの宿屋に滞在し始めた時期と自分があの城に連れ込まれた時期がほぼ同じとなると、関連性を疑うことは止められなかった。
 しかし、そうまでして接点を持とうとしていたように見える彼女だが、助けてもらったお礼に何かしたいと言い出された時に魔術を教えてくれと返した際にも特別何かを要求されるようなこともなかったし、それ以後も何かを聞き出してくるような素振りもなかったのだ。
 これが不気味でなければ何だというのか。
 人は自分にとっての利益のために動くものである。
 その利益には大小や有形無形を含めて色々あるわけだが、相手が何を得に思っているかが想像できないのはやはり怖い。
 現状では自分にとっての利益が勝りすぎていて、天秤の釣り合いが取れていないように見えるのだ。彼女にとっての利益は何だったのか、それはまったくわからないが、それが自分にとっての害にならないことを祈ることしかできないのは精神衛生上あまりよろしいとは言えなかった。
 あるいは全部が全部自分の考えすぎで、彼女が単に人の良い性格をしているだけだという可能性もあるかもしれないが――そう考えてしまうのは些か楽観的に過ぎるだろうか。
 まぁ、不利益が出たならそれはその時になって考えればいい、というのも十分楽観的な思考だろうと今更ながらに感じるのだけれども、それはさておき。
 要するに、そんな背景というか考えがあって彼女が非常に胡散臭い相手だという認識は拭えないのだけれども、自分の都合で教わることを止めるわけだから、無碍にするには大きすぎる恩があるわけだし挨拶はしておこうと、そう考える故の行動というわけだった。
 彼女の居る宿はどちらかと言えば城に近い、町の中心部にある。
 今日一日でこの街をどれだけ歩き回っているのやらと、我が事ながら計画性のなさに呆れつつ、宿屋に向かう。
 軽く一言挨拶をして立ち去る、それだけのつもりだったのだが――
「……居ない?」
「ああ、今朝出て行ったよ」
 宿屋に入ってすぐに、すっかり顔馴染みになってしまった宿屋の従業員からそんな言葉を聞いて、かなり驚く羽目になった。
 そりゃそうだろう。いくらなんでもタイミングが良すぎる。しかも、だ。
「きっとあんたが来るだろうからって、手紙を預かってる」
 ご丁寧に置き土産まで用意しているのだからやってられない。
 彼女はこちらの動向を正確に掴んでいる上に、行動を予測できる程度に思考まで把握しているようだ。
 お手上げだと笑いたくなってしまう気分になると同時に、肝がこれ以上なく冷える思いも湧いてくる。彼女にその気があれば、自分は既に終わっていたのだろうということが嫌というほど理解できたからだ。
 おそらく、こちらが不審を抱いていたことも分かっていたに違いない。この置手紙はその不審が正しかったということを示す彼女からの肯定であり、危害を加えるつもりはないという意思表示ではなかろうか。
 そこまで考えたところで、反応がないことに渋面を浮かべた従業員の視線に気が付いた。
「……悪い、チップを渡せるような余裕はないんだが」
 その視線に応じるために、なんとかそんな言葉を搾り出すように口にする。
「この程度のことでそんなもん要らねえよ」
 彼は鼻で笑ってそんな風に応じた後で、預かっていたという手紙をこちらに差し出してくる。彼の物言いに小さく笑ってから手紙を受け取り、礼を言って宿屋を出た。
 街の外へと足を動かしながら、受け取った手紙の封を切る。
 中には何も書かれていない便箋が入っているだけだった。
 状況から考えると、手紙を残したことそれ自体がメッセージであるということなのだろう。つまりは、自分が先ほど考えたことは正しかったと、そういうことである。
「……おっかない場所だよなぁ、本当に」
 とは言え、対策のしようなど無いのが現状だ。そして、どうしようもないことは考えないに限る。忘れるわけにもいかないが、極力気にしないようにしようと、そう思う。
 大きく息を吸って、長く、時間をかけて息を吐く。
 ……では、気持ちを切り替えて現状を確認しよう。
 ひとまずは無事に旅の支度も済んで、街を離れる準備は整った。それ自体は喜ばしいことである。
 既に日は傾き始めてもう少しで夕方というところだが、移動はしなければならない。幸いにして今日の夜は晴れそうだし、月もある。多少は距離を稼げることだろう。
 この街と同規模の都市まではいくつか小さな村や街を経由しなければならないので、道程は長い。この場合、心配しなくてはならないのは路銀と食料だが、こればっかりは心配したところでなるようにしかならないだろう。前者はまったく予想がつかないが、後者に関しては多少はどうにかできる余地がある。現地調達というやつだ。もっとも、場所や日によって手に入らない場合も十分あり得るのだから、とりあえず手持ちを節約することは常に意識する必要があるだろう。
 他にも気になることはあるが――あとは野となれ山となれ、だ。気になることの大半は、自分でどうにもできないことばかりだからである。不安が的中したら、天災に巻き込まれたとでも思うしかないだろう。
「前途多難だよなぁ」
 現状を思って、思わず口からそんな感想が漏れる。
 いつか明るい希望が見えてくることはあるのだろうかと、そんなことを考えながら、次の街に向かう道を進むことにした。
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