主人公、追手に見つかる 2

文字数 3,461文字


 見つけた! という大声の矛先が自分だった――なんてことがすぐにわかる人間もいないだろうし、実際にそうだとわかっても困惑しか浮かばんわなぁと、彼は目の前に現れた女を見て現実逃避気味にそんなことを考える。




 それは街中で買い物をしていたときの出来事だった。
 ほぼほぼその日暮らしの毎日であり、お金に余裕の無い生活ではあるものの、生きていれば腹が減る。そして、お金が全く無いのであれば不可能だけれど、普通は街中にいれば店で食料を購入するものである。必要もないのに自達する理由もないだろう。
 本当に切羽詰まった状況であれば我慢するが――多少は人より我慢がきくとは言え、空腹感を抱えたまま寝るのは嫌なので食料調達は最優先事項だ。腹がしくしく痛むような感覚は可能であれば二度と味わいたくは無いのだ。この世界に来た一番初めの出来事を思い出してしまって、筆舌に尽くしがたい気分にさせられるし。
 ……なにより、うまい飯は生きるための活力になるからな。
 そんなわけで、今日も稼いだ日銭を使って晩飯と念のための保存食を買うべく、安そうな店を探してうろうろとしていたわけだが、ようやっと見つけた店で買い物を済ませた段になって、
「――見つけた! ついに見つけたわよ!」
 という件の大声を聞いたというわけだった。
 最初にこの声を聞いた感想は、ああまたどこかで誰かが馬鹿をやったんだなという呆れくらいのものだった。
 なにせ、こういった内容の大声は、言ってしまえばそこまで珍しいものではない。店先から品物を奪っていくコソ泥は老若男女を問わずどこにでもいるし、コソ泥を追う声は、発見を報告するか静止を求めるかのどちらかしかない。
 それに、自分を自分として特定できる人間もそうはいまいと、そんなことを考えていたからでもある。
 ……これこそまさに、油断ってやつだ。
 そういう思い込みが自分をどのように追い詰めるのか、それを身をもって思い知ったはずだというのに、また同じことをやっているのだから自身に落胆せざるを得ない。
 まぁこれが油断になるのかどうかはその後の対応次第だというのも理解はしているし、世の中なるようにしかならんというのも十分体感しているのだけれども。
 この年になると人間そう変われんもんだからなぁと、これから先も似たようなことが起こりそうな予感がしてきて、思わず溜息が漏れた。
「……ちょっと、話を聞いてるの?」
 ――さて、目の前から一段低い声音が聞こえてきたので、現実逃避から復帰するとしよう。
 女性は怒らせると面倒だし怖いからね、とそんなことを考えながら視線を目の前に向ける。
 視線を向けた先、現実逃避前よりも明らかに機嫌が悪くなっている彼女の顔には見覚えがある。あの城で自分の世話役だった相手だ。半年やそこら見なくなったからと言って知っている顔を忘れるほど物覚えが悪いつもりはない。
 問題は、声をかけてきた相手が知っている顔だったという事実の方だ。
 ……どう対応したもんかね。
 なぜ声をかけることができたのか、という理由を一番最初に考えたいところではあるのだが、まずはこの場での対応内容を考える方がよさそうである。
 とは言え、今回の場合だと選択肢はほぼないと見るべきだ。
 彼女がなぜこの場に居るのかは想像がつく。おそらく、王様にでも追うように言われて探し続けていたのだろう。
 最初の頃に自分を見つけることができた点から――その精度はあまり高くない可能性も高いが――なんらかの方法でこちらの位置を知り、異世界からの存在だと特定できることはわかっている。そうなると、とぼけるのは難しい。そんなことをしても彼女の心証を悪くするだけだ。得策とはとても言えまい。
 心の中で吐息を吐いてから、彼女に視線を向ける。
「聞いているよ。今の溜息は君に対して吐いたものじゃないから機嫌を悪くしないでくれ。勘違いさせるタイミングだったことは認めるし、謝るけれど。まさかもう一度会うことがあるとは思っていなかったからな」
「二度と会いたくない顔だったから、かしら?」
 にんまりと、彼女は機嫌が悪い様子のまま笑みを浮かべる。威圧感はんぱないなこれ。
「……否定はしないがね」
 肩を竦めながら彼女の言葉にそう応じる。
 女性の言葉には素直に答えておくのが一番だ。普通に嘘をついただけではすぐに見破られてしまうのだから、無駄な抵抗はしないに限る。
「まぁ色々言いたいことはあるのかもしれないが、まずは場所を移動しよう」
 そして、彼女が自分の言葉に何かしらの反応をするよりも早く、周囲に視線をちらっと移しながら言葉を追加した。
 誤魔化す方向は無いとなれば話をするしかないのだが、流石に立ち話で済ませるような内容ではなさそうだし。
 なにより、彼女の大声のせいで周囲からの視線がすんごいのだ。注目されるのはあまり好ましいことじゃない。一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
 彼女もこちらの視線の動きに状況を察したのか、何を言うでもなく頷いてくれる。
 理解が早くて何よりだ。そう思いつつ、店主に迷惑をかけたことを一言詫びてからその場を離れる。
「どこに行くつもり?」
「少し歩くことになるが、いい酒場を知ってる。飯でも食いながら話そう。長い話になりそうだしな」
「……今買ったものを持って?」
「持ち込みも可能なんだ。何も頼まなかったら流石に追い出されるが」
「そう。随分と寛容な店主なのね」
「だから気に入ってる」
 そう、なんてどうでもよさそうな頷きがこちらの言葉に返ってきた。続く言葉が無いあたりを見ると、黙ってついてくる気になったようだ。
 微妙な緊張感と気まずさを感じる沈黙は、やはり居心地が悪い。
 出来ればこんな時間は少なくしたいところだが、目的地である酒場まではこの場所から少し距離がある。
 ……まぁ距離のある場所にあえて向かってるんだけど。
 居心地が悪い時間は短い方がいいし、この近くにも知っている酒場はある。ただ、注目を浴びた場所のすぐ近くに腰を落ち着けたくなかったのと――考える時間が欲しかったから、少しでも時間が欲しくて歩くことに決めたのだ。
 考えることはいくらでもある。
 この後すぐにあるであろう、酒場で行う彼女との会話に対する想像だけではない。そこから先、彼女が同行しようとするだろうことを確定事項として、そうなった場合の最終的な行動目標をどこに設定するのか。それを成すために必要な行動や準備なども考えなければならない。
 とりわけ重要なのは、彼女と話をして別れた直後の対応だ。
 おそらく彼女は、自分と互助会やギルドの間にあるいざこざを知っている。人の居場所を突き止めるためには、場所を探す道具があろうとなかろうと、人と場所を結び付けるに足る情報が必要だと、そう思うからだ。
 俺だって彼女と同じ状況なら、互助会と個人の間で起こっているいざこざは噂としてはかなり刺激的かつ魅力的に感じられるだろうし、時期を鑑みれば、いざこざの中心に居る人間と自分を結び付けるのは自然なことだと理解できる。
 だから、彼女はその考えが正しかったかどうかを確かめようとするだろう。
 その行いによって彼女自身にどんな厄介事が降りかかるのかを、おそらくは想像さえせずにだ。
 ……今更どうにもならんが。あー、もう、面倒な!
 彼女がここに居るのは、仕事だ。雇われた人間が言い渡された仕事を断れずにやってきたというだけのことだ。例えその過程で不幸な事故があったとしても、彼女側の責任であって自分は全く関係がない。しかし、その仕事が発生した原因は自分にあるから巻き込んだという表現もできるわけで――などと色々考えた末に、結局一番面倒なのは知った顔を見捨てることができない自分の甘さか、と内心で吐き捨てて横道に逸れていた思考を中断した。
「自分のことで手一杯なんだがなぁ」
「……何の話?」
 思わずぼやいてしまったその言葉に、彼女が困惑したような視線を向けてくる。
 その視線に何でもないと返してから、思考をリセットするために吐息をひとつ吐いた。
 目的地となる酒場までは、まだもう少し歩く必要がある。
 ……まぁ、できる限りのことはするとしよう。
 せめて自分が結果に納得できる程度には、とそう考えながら、足を止めないように注意しつつ、状況の整理と対応の検討について思索を始めることにした。
 
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