主人公、追手に見つかる 1
文字数 3,071文字
――本当に彼を見つけることができるんだろうか。
次の街に向かう馬車に揺られつつ、窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めながら、彼女は大きな溜息を吐く。
生まれ故郷から随分と離れてきたものよね、と感慨に浸りながら、思い出すのはこうして旅に出るようになった経緯だ。
まぁ端的に言えば国から出て行った元勇者現逃亡者であるところの彼を見つけるために、その人員として私が宛がわれたという、それだけの話なのだけれど。
私が旅を始めた理由は一人の青年にあり、決して自分から望んで旅に出たわけじゃないことは強調したいところだった。この世界で特別な理由もなく自ら旅に出ようと、生まれ育った場所から離れようとする物好きはそう居ない。そんなことをするのは、生活上どうしてもそうせざるを得ない事情がある者――行商なんかはそのひとつだろう――だけだ。
期せずして私もそんな事情を持つ人間になってしまったけれど、嬉しくもなんとも無い。
私は国を離れたいと思ってはいなかった。近くの街までちょっと旅に出る程度であればまだいいが、今回のように終わりが見えない旅になる場合は、住み慣れた家や使い慣れた家具の殆どを処分する必要も出てくるのだ。普通の神経だったらそんなことはできない。
とは言え、私は国に雇ってもらっている兵員の一人であり、国の偉い人――よりによって王様から直々に命令されたとあっては断りようもない。これが、私が優秀だから追跡の任を言い渡されたのだ、と言えれば良かったのだけど、そんなことはないのだ私は並以上でも以下でもない、普通の人間である。今回自分が選出されたのは、彼を逃がした罰なのではないかと、少し疑ったりもしている。
……彼の世話役も、別に望んで引き受けたわけじゃないのだけど。
全てたまたま、偶然だ。しかし、なるようにしかならないのが現実です。
しかも、更に頭が痛くなる問題として、この広い世界で一人の人間を探し出す作業というのが非常に困難である、というオマケがついている。
一応、彼個人を特定する道具と彼がどの方向に居るかがわかる道具は与えられているが――彼が残した血を利用したものらしい――ぶっちゃけ役に立つかは微妙なところだ。
前者はそもそも、それらしい人物を見つけられた場合にしか使いようがなく。後者はこの広い世界において方向がわかる程度でどうしろという話である。
これは体のいい厄介払いなのではないか、と疑うには十分すぎる状況だろうと、そう思う自分を誰が責められようか。
……その割には支援が充実しているけれどね。
ただ、探すための手段に乏しい一方で、探し続けるための支援は手厚い。
国から離れて活動する以上、その支援は基本的には資金援助という形になるが、ぶっちゃけ、旅に出る以前の給与と比較する必要もないほどにお金を使える。まぁ流石に、無計画に使えばすぐに止まるのだろうと想像できるけれど、どう使っても安全な旅を継続するには不自由しない額だった。
成果が出るかもわからない、あまり意味を見出せない任務ではあるが――支援の厚さに、王様の本気具合が透けて見えるので正直怖い。
こんな現状でどうしろと、というのが正直な本音ではあるけれど、部下の心情など偉い人には関係ない。偉い人が欲しいのは成果だけだ。
そして、もしも成果がこのまま出なければ、見知らぬ土地で孤立無援となるだろう未来が見えてくるわけで。これが怖くない人間が居れば見て見たいものだ。私は毎日頭と胃が痛い。だって、いつ支援が打ち切られるのか、私にはわからないし。
なにより、既にこの旅が始まってから三ヶ月ちょっと経っているけれど――まったくと言っていいほど彼の情報を報告できていないので、最悪の未来はもしかしたら秒読みかもしれないあたりが精神衛生上大変よくなかった。
「……っ」
思わず催してしまった吐き気をなんとか堪えつつ、考え込み過ぎないようにしようと、吐息を吐いて思考を切り替える。
私とて無計画に色々な場所を回っているわけではないし、今向かっている街にも向かうだけの根拠はある。
ひとつは、次の街が交通の要所であるということ。
大きな街と街の間には、いくつかルートがあることが常だけれど、必ずどこかに、ここだけは通らなければならないという道や街が存在する。次の街がまさにそれなのだ。
どこに向かうとも知れない彼だが、あの城から離れようとしているのならばこの街を通る可能性は非常に高いと言えるだろう。
そしてもうひとつは、持たされた道具が役に立ちそうだということだ。
交通の要所であるということは、どこかに向かう場合の基点と考えることもできる。ざっくりとした方向しかわからない道具であっても、彼がどこの街へ向かったのかが推測しやすくなるし、仮に街に居るのであれば、居場所を絞り込むことも可能だろう。居場所を絞り込もうと思ったら街を隅々まで回る必要があるけれど、それはいつものことだ。今更気にするようなことでもない。
……それに、あとひとつ。
最近噂になっている人物が、そこに居る可能性がある。
まぁ噂といっても、それほど広まっているわけじゃない。誰もが知っているというものではなく、同業者であれば気付いている、とでも言えばいいだろうか。そういう類のものだ。
曰く、その人物は互助会で紹介されている仕事を、依頼主と直接交渉して、互助会よりも安く――なおかつ、互助会からの支払いよりも高くなるような値段設定で引き受けているらしい。
最初にこの噂を聞いたときには、こう思ったものだ。
発想がバカげている、と。
互助会とギルドは世界全体で手広く商売をやっている巨大な組織だ。敵対してまで中抜きを防ごうとする輩は、まず居ない。そんな輩が居るとすれば、それはキチガイか自暴自棄になっている人間か、あるいはこの世界の常識に染まっていない人間に違いなかった。
まぁこれだけの情報で噂の人物を彼だと断定することはできないが、可能性は高いと個人的には感じていた。噂が出始めた時期も彼が城を出た後だし、結びつけて考えるのは悪くない判断だろうと、そう思う。
しかし、その噂の人物がひとつの街に滞在する期間はそう長くないようで――ギルドや互助会は実力行使も辞さない組織だから当然か――次々に街を移っていた。そのため、居所を掴むのが非常に難しかったのだけれど、噂の出ている街を繋いで進路を予測すると、次の街に居る可能性が非常に高かった。
また、つい先ほど確認したことではあるが、現状向かう先と持たされた道具が指す方向は一致しているようだった。
これだけ根拠と思しきものが揃えば、多少の期待はしてしまうのは自然なことだ。
……着いてからが勝負。それも時間との勝負か。
そう考えて、思わず逸る気持ちを抑えられずに、
「御者の兄さん、この馬車もうちょっと速くなったりしない?」
先ほどから変わらない調子で流れていく景色から、馬車の前方、こちらに背を向ける御者に視線を移してそう声をかけてみたものの、
「これ以上速くしたら、馬がへばって逆に遅くなっちまうよ。今日の夕方には着く。それが最速だ」
呆れたような声音で、そんな返事があるだけだった。
さようで、と返してから、また視線を外に移す。
「間に合えばいいけどね」
見つかるとも限らないけれど、とそう思いながら、逸る気持ちを吐き出すように、大きな溜息が口から漏れた。