幕間:ある互助会幹部の憂鬱

文字数 4,698文字


 ――これほど気が進まない仕事もそうはないな。
 目の前で拘束されていく女の姿を見ながら、今後のことを思って、男の口から溜息が勝手に漏れた。




 ギルドと互助会は非常に規模の大きい組織である。
 なにせ、世界中のあらゆる商売がこれらの組織を通してのみ成立すると言っても過言ではないのだ。そんな組織が大きくないわけがない。
 まぁ互助会はギルドの下請け、使いっ走りなわけだが、それでも持っている権力というか、その街での影響力というのは大きい。
 これはもはや常識と言っていいレベルで浸透している認識だろう。
 だから、普通の神経をしている人間だったらこれらを敵に回すような商売をしようなんて考えない。
 ギルドが扱う商品は物だけに限らないのだ。
 見も蓋もない言い方をすれば暴力だって商品のひとつであり、普段は害獣駆除などの外敵を追い払うために使われているのであまり意識されることはないのかもしれないが――これを自らの利権を守るために使う場合もある。
 すぐに生き死にの問題になることは稀だけれども、少なくともギルドが既に手をつけている商売に断りも無く参入してくるような新参者へのご挨拶程度は、よくやることだった。
 そして大抵の場合、そこで話は終わる。
 だいたいの人間が、その段階で現実を知って組織の傘下に収まるからだ。
 誰だって、昼も夜も無く自分ないし身内に危険があるような状況を作りたいとは思わない、ということだ。単純な物量差というのはそう易々と覆せるものじゃないのだから当然のことだろう。
 ただ、現実には例外というものがしっかり存在する。
 ギルドと互助会は確かに世界中に手を広げる規模の大きい集団だが、それでも各町に置いてある人員には限りがあるし、また、それを管理運用する立場に居る人間は多くない。
 つまりその例外というのは、各町に置いた人員に相当する戦力か、あるいは管理運用する人間を抑えることができる方法を知っている者になるわけで――今回の相手はどちらかと言えば後者の方だった。
「標的の知り合いと思われる女は予定通りの場所に連れて行きますが、それでよろしいですか?」
 思索にふけっていると、作業を終えた部下から声をかけられた。
 どうやら女を拘束する作業は終わったらしい。
「問題ない。ただし、彼女は丁重に扱え。監視には絶対に手を出させるな。――うるさいようならそいつは処分していい」
「……ギルドから出ている人員も居ますが」
「例えギルドから派遣された人間であっても、現場では俺の方が上だ。従わない者は処分するのが当たり前だろう。そしてお前はそれが出来る。他に何か質問は?」
「いえ、失礼しました。すぐに運び出します」
 部下はそう言うと、一礼した後で周囲にいる人員に呼びかけてこの場所から撤収を始める。
 撤収作業が始まったのを確認してから、俺は路地を出た。
 向かうのは捕まえた女が飲み食いしていた酒場だ。
 そこに今回の標的である商売敵が居るはずなのだが、その相手のことを考えるだけで自然と溜息が口から漏れた。
 ……流石にギルドの指示があっては無視できなかったが、そんな言い訳が通じるのだろうか。
 その商売敵のことを、俺は既に知っている。本当はギルドから指示が出るよりも前にその存在については把握していたし、彼が何をやっているのかも知っていた。
 知っていてそれを見逃していたのだ。
 なぜ見逃していたのか、その理由は単純だ。
 俺が彼の存在を知った時点で脅される立場になったからだ。
 誰にだって守りたいものはある。それは家族や恋人の存在かもしれないし、あるいは自分の命かもしれない。それらは人によって様々だが、それを脅かされれば言うことを聞くようになると言う点は万人共通の事実だろう。
 要は、本来であればこちらがやることを先に彼がやっていたという、そういう話である。
 他の町でこちらを敵に回した人間がいると聞いたときはそんな相手が出たことを疑う気持ちもあったし、そんな相手を放置していることに至っては、放置している現地の人間たちを馬鹿にする思いもあったのだが――いざ自分がその立場になってみると、自分よりも前にこの立場になった人間の気持ちがよくわかる。
 世の中には、敵に回してはいけない部類の人間がいる。
 彼はまさにそれだ。なにせ――
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
 件の酒場に入るやいなや、店員の一人がこちらに気付いて声をかけてきた。
 ちょうど彼を恐いと思う理由を考えていたところだったので、まさにタイミングとしては最悪だった。心臓が口から飛び出るかと思ったわ。
 とは言え、何も知らない店員相手に当り散らすわけにもいかない。
「……ああ、見ての通りだよ」
 喚き散らして八つ当たりでもしたくなる衝動をなんとか抑え付けて、気持ちを吐息と一緒に吐き出しながら、そんな言葉をなんとか捻り出した。
 ただ、表情などは誤魔化せなかったようで、店員は非常に引きつった笑みを浮かべている。
 ……まぁ、これが普通の反応だよな。
 俺は曲がりなりにもこの街にある互助会の顔役だ。そんな人間が機嫌悪そうに応えれば、自分がどうなるのか不安に思う気持ちも湧くだろう。
 組織として何かをする理由がないのであれば、理不尽なことや迷惑をかけるようなことをするつもりは一切ないのだが、この店員がそれを知っているわけもない。
「一番いい酒を持ってきてくれ。席は勝手に選ばせて貰うが、いいか?」
「は、はい、どうぞ。お酒はすぐにお持ちします」
 店員がそう言って離れていくのを見送ってから、店内に視線を回す。客の入りはそれなりに多いようだが、
 ……本当に居るのだろうか。いや、見たところでわかりはしないか。
 そう考え直して溜息を吐いてから、店の奥へと進んだ。
 テーブルについてからそう時間が経たない内に、店員が酒とコップを持ってやって来て、料金を受け取るとそそくさと立ち去る。
 思ったより高くついた酒の値段に内心で舌打ちをしつつ、酒をちびちびと飲み進めていく。
 そうしてどれだけ時間が経ったのかはわからないが、酒の中身を半分ほど空けた頃になって、不意に声をかけられた。
「いい酒を飲んでるじゃないか。よければ奢ってくれないか?」
 声に聞き覚えはなかった。
 しかし、このタイミングで自分に声をかけてくるだろう人間は、おそらく一人しかいない。
 互助会の顔役であるこの自分に、酒を奢れと言うような人間は一人しかいない。
「…………」
 かけられた声に、無言で頷く。
 声は出せなかった。緊張で口の中が乾いていくのがわかる。
「そりゃありがたい。酒を飲みなおしたいと思っていたところでね」
 こちらの動作を見て了承と受け取ったのか、近くにいた気配が前に回る。
 対面にある席に声の主が座った。
 その顔にも、やはり見覚えはない。
 違う相手かと一瞬疑いを持ったものの――相手を観察するように注視してから、やはり彼なのだろうと思い直した。
 いくら観察してみても、頭にその特徴が入ってこない。
 そんな人間が世の中にそうそう居るはずもないのだから。
「酒。注いで貰ってもいいかい?」
 彼がそう言いながら空のコップをこちらに寄越す。
 無言で酒を注いでやると、どうもと礼を言った後で一口含む。そして、味を堪能するような間を置いた後で口を開いた。
「敵対するようなら容赦はしないと、よくよくわからせてやってたつもりなんだがなぁ」
 その言葉に、少しだけ回っていた酔いが一気に覚めた。
 女を攫ったのはついさっきの出来事だし、こちらはまだ何も言っていない。にも関わらず、こちら側が彼に敵対と取られる行動をとったことは既に把握しているようだった。まぁそうでもなければ、こんないいタイミングで現れるなんてことはないのだから当然だと感じていたし、それくらいは出来るのだろうと予想していたので、この点についての驚きは少なかった。
 それでも酔いが覚めてしまったのは、彼の容赦のなさにである。
 最後通牒すらなく戦争を始めると言わんばかりの内容に、動揺せずにはいられない。
「ま、待ってくれ! 説明をさせてくれ!」
 彼の判断を少しでも引き伸ばすために大声で懇願する。
 彼はこちらの大声を受けて煩わしげに目を細めながら言う。
「そう大声を出すんじゃねえよ。目立つだろ。……言ってみろ」
 おそらく彼は事態を把握しているだろう。そう考えて、一番主張したい部分を口にすることにした。
「……ギルドからの命令で動かざるを得なかったんだ。私個人に敵対する意思はなくても、どうにも出来ないことはある」
「その場しのぎだな。――忘れたようなら再度言っておくが。お前の迂闊な行動で身内が不幸な事故に遭うぞ。お前も含めてな」
「わかっている。わかっているとも」
 彼の言葉が嘘でないことは、重々承知している。
 最初こそありえないと笑って流していたが、娘や妻の傍で不幸な事故が立て続けに起こって認識を改めた。幸い大きな怪我などはなかったが、下手をすれば死んでいたような事故もあったのだ。
 彼がどうやってそれを実現しているのかは知らないが、前もって言われた日時と事故が起こった日時が一致しては疑いようも無い。
 そして、彼が犯人とわかっていてもその方法がわからないからこそ手が出せなかった。彼を殺せば無事に終わるという保証がどこにもない。排除することで発動する、呪いのようなものもある。そうなってしまうことが一番恐ろしい。
「頼む。せめて家族には手を出さないでくれ」
 彼はしばらく黙ったままでこちらを眺めていたが、溜息を吐いた後で席を立った。
 彼の行動に慌ててこちらが何かを言おうとするよりも早く、彼が言う。
「女の居場所と命令を出した奴の名前を言え」
 彼の言葉にはすぐに答えた。迷う理由もない。
 彼はこちらの反応を見て満足げに頷いた後で、肩に軽く手を置いてくると、耳元で言った。
「女が無事でなかった場合、嘘を吐いていた場合は事故が起こる。――そして、どちらにしても次は無い。覚えておけ」
 その言葉の内容と、声音の冷たさにぞっとする。本気で言っていることがわかったからだ。
 彼の言葉に何度も無言で頷きを返すと、彼はこちらの肩をぐっと押し込むように力を入れた後で手を離した。
 そして、そのまま歩き去っていく。
 足音が離れていって、こちらに戻る気配がないことがわかると――思わず脱力してテーブルに突っ伏してしまった。
「……なんて災難だ。運が悪いったらない」
 世の中には敵に回さない方がいい人間というのが確かに居る。
 彼は間違いなくその内の一人だ。
 個人として特定されない能力は、どこにでも入り込め、いつ隣に立っているかもわからない。
 遠く離れた誰かを始末できる能力は、敵対する相手にとっては身を隠そうとも安心できる時間がない。
 なによりも。
 当人以外の身内を巻き込むことに対する躊躇いの無さと、失敗に対する容赦の無さは単純に恐ろしい。
「これは他の街の連中を笑えないな」
 あれはいつのまにやら這い寄っている、気付いたときには終わっている類の相手だ。
 大人しく過ぎ去るのを待つのが一番賢い選択だろう。
「……ギルド長も無事では済まんだろうな」
 彼が向かう先の惨劇を想像してそう呟くと、想像してしまったそれを忘れるために、酒を飲むことにした。
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