主人公、現状について考察する

文字数 7,453文字

 扉を開いて入ってきたのは複数の人影だった。
 入ってきた人影のどれにも特異な――角があるだとかそういった外形の違いの見えない、つまりは、自分のよく知るヒトの形をしていたことには少しほっとした。やっぱり身近に無かった要素があるというのは戸惑いが大きくなってしまうものだ。そのことが自分の判断を誤らせる要素になるのは避けたかった。
 聞くべきを聞き、言うべきを言う。
 字面だけなら簡単なことで、内容としても単純なことだ。しかし実のところ、それを実践できた試しは全く無いし、実践しようと意識したことすらない。大抵の人間がそうであると思う。誰だって我慢はするものだ。それが例え正しいこと――多数決を取れば同意のほうが多くなるような言動であっても、条件や状況によっては我慢しなければならないこともある。そうする理由は表現の仕方こそ様々あれど、基本的には、自分がそこで今後も生活していくときに都合が良い選択肢だからというのが大きい。
 つまり、聞くべきを聞き、言うべきを言うという行動は、今後ではなくその瞬間の自分の気持ちだけを優先する行動なのだ。
 もっとも、今後のために必要である場合もあるのだから一概にそう言い切って良いものではないとわかってはいる。
 ただ、自分にとっては気後れする行動であり、ほぼ初めて行うことでもある。だから、不安要素は少ないほうが好ましいのだ。
 まぁ、既にこの状況が未経験状態なのだから焼け石に水みたいなもんでしかないのだが。それこそ気持ちの問題である。
 話を現実に戻そう。
 入ってきた人影は全部で三つ。若い男女が一組で二人に、初老に入るかもうちょっと年がいってる野郎が一人だった。
 若い男女はどちらも同じような格好をしていて、それ自体に特徴はないのだが、その腰に引っ提げている長物が目立っている。しかし、それも普段自分が目にしない物であるからというだけのことだろう。少なくとも、伊達や酔狂で持ち歩いているわけではなさそうな雰囲気だった。その佇まいから、それを身に着けているのが当たり前といった印象を受ける。兵士とかそういう人たちなのかもしれない。
 残る一人であるおっさんはと言うと、服装は若い男女と違って派手目の色合いで、材料は多分良い物を使っているように見えた。しかし、一番目を引くのは服装やら背格好ではなく、こちらを見るその面構えだ。どうやったらそんなに見ていて嫌な気分になる作り笑いが浮かべられるのかと聞いてみたくなるくらいに、嫌みったらしい笑みが浮かんでいる。そして何より、隠す気がないのではと呆れるくらいに、こちらを見下す思考が透けて見える目をしていた。たぶん、こちらは偉いやつなのだろう、きっと。
 しかし、こいつらはいったい何のために来たのだろうと疑問に思う。扉を開いてこちらが起きていることを認めた一瞬は、全員が全員、程度の差こそあれど驚いたような気配が窺えたから、話をしに来たわけじゃないだろう。様子でも見に来たのかな。そして、こいつはいつになったら目覚めるんだ、なんて、おっさんの八つ当たりを二人の若者が無言で堪えるのだ。うわぁありそう。ていうか、今までそうだったんじゃないかな、どうかな。
 そんな他愛の無い想像をしていると、若い女は扉の前に残り、あとの二人がこちらに近づいてきた。その二人は二三歩ほど離れた位置に立つと、おっさんの方が口を開いて言う。
「おはよう、随分と長い居眠りだったな」
 相変わらず聞こえてくる声は同時翻訳のように言葉が重なっているように感じられる。慣れるまではすごく疲れそうだと考えながら、にやにやと笑っているおっさんの皮肉を無視して聞く。
「聞きたいことと言いたいことが山ほどある。答えられる奴を連れて来い」
 こちらの態度が癇に障ったのか、おっさんの笑みが崩れて表情が怒りの色に塗り替えられていく。
 その変化が終わるのを待つ理由もない。無視して更に言葉を続ける。
「知らない人間に舐められた態度を取られたくないならてめえの態度を見直せ」
 こちらの言葉に、おっさんが怒声をあげる。
「それが命を助けてもらった者の態度か!?」
 きっと誰かが言うだろうと思った内容が早速返ってきたので思わず笑ってしまった。バカが、と内心で吐き捨ててから、おっさんの言葉に応じる。
「おまえらが余計なことをしなけりゃ必要無かったことだろうが。しかも助けたのはてめえらの都合だろ。そのどちらも俺には関係ないんだ。てめえの都合でやったことを恩着せがましく口にしてるんじゃねえよ」
「今すぐ殺されても構わんとでも言うのか貴様は!」
「てめえの一存でそれをやって、後で自分の首が飛ばないならそうしてみろ。ほら、控えてる二人に命じてみろよ。こいつを痛めつけろとでも、なんとでも」
 そう言って、相手の反応を待つ。案の定というべきか、おっさんが言葉を詰まらせたので、それを鼻で笑ってから続ける。
「てめえの自尊心を満たすためだけに口を開くな。命が助かって感謝する姿を拝みたいんだったら貧民相手に金でも配ってろ」
 おっさんはますます顔色を赤くしていたが、もう相手にする必要はないと判断して視線を隣に立つ男に移して聞く。
「それで、そっちのあんたは話をできる人間か?」
 返ってきたのは無言だった。まぁ、隣の偉いらしいおっさんの許可なく喋ることも難しいのだろうと判断する。仕方ないので再び視線をおっさんに戻して言う。
「もう一度言ってやる。会話になる相手を連れて来い。おまえは論外だ」
 我慢の限界だったのか、おっさんは一言も発さずに扉のほうへと身を翻すと、
 足音も荒く立ち去ってしまった。慌てた様子で扉の傍に控えていた若い女がおっさんの後を追うように部屋の外に出て行く。
「苦労して見つけ出したやつがこんなのだったとは。無駄骨もいいところだったな! やはり今回は失敗だ!」
 扉を閉める直前にそんな言葉を憤りを吐き出すように口にしていたが、反応を返そうにも相手がもう居ない。とは言え、部屋に残ったほうの若い男――彼の方に何かを言っても仕方がないだろう。
 しかし、正直内心では死ぬんじゃないかとびびっていたのだが、そうならなかったことにほっとする一方で、不思議に思う気持ちも強かった。あのおっさんは結構偉い人間に違いない。そんな人間が、生意気を言ったどうでもいいかもしれない人間に無茶をしないということは、自分の処遇が決まっていないということだろう。保留されている理由は何だ?
 ――まったく、疑問は増えるばかりで困ったものである。埒が明かないったらない。
 気持ちの上での疲れを吐息に混ぜて吐き出した後で、視線を扉から彼に移して問いかける。とりあえず、残った人間と会話をするしかないだろう。
「あなたはあれの後を追わなくていいのかな?」
「……口調が随分と変わるものですね」
 今度は反応が返ってきたので、それを少し意外に思いつつ、会話を続ける。
「相応の相手には相応の態度があるものさ。とは言え、さっきは勢いに任せて同じような言葉遣いをしてしまって申し訳ないと思っているよ。……それで、なぜこの場に残ったのか意図を聞かせてもらうことは可能かな」
 彼は少し迷うような間を置いた後で答える。
「私たちはあなたが目覚めたらある程度の事情を話すようにと事前に言い渡されてあります。ですから、知っている範囲でよければ質問にお答えすることも可能です」
 彼の言葉に内心で少しだけ驚いたが、それは説明をしてもらえることに対してではなく、それが出来る人間がこうして用意されているという点についてだ。
 誰がいつ目覚める場面に出くわすかもわからない上に、気が付いた相手が見知らぬ場所に突然連れてこられたことで混乱する可能性も高いとくれば、少なくない数の人間が事情を説明できるようにしている方が都合がいい。
 しかし、各員をその状態にしておくことはなんだかんだで難しいものだ。少なくとも、一定の人員を組織としてしっかり運営できる程度の頭がある人間がいるのだろう。その人間が一定以上にまともであるか否かは現時点では判然としないが、こちらにとって都合が悪いのはまともであった場合だから、今想定しておくべきはそちらだろうと判断する。
 そうなると、被害者ぶって感情論をぶつけてみたところで――さっきのおっさんみたいに対応したところで現状は都合のいい方向には進まないはずだ。何か交渉するためのネタが欲しいところだが、今のところは何も無いし、仮にあったとしてもうまくいく可能性は非常に低いだろう。とは言え、無いよりはある方が気持ちが多少楽になるのは確かだった。
 とりあえず、ネタを考えるためにも、先ほどまで行っていた暇つぶしの答え合わせをする意味でも、疑問点を可能な限り潰していくとしよう。
「それはありがたいことだ。じゃあ聞きたいことを聞いておくとしよう。
 まずひとつめだ。ここは俺の居た世界とは違う世界で合っているか?」
「そう聞いています。あなたたち、勇者は、こことは別の世界から呼び出される者であると」
「何のために呼び出した?」
「わかりません。私たちはあくまで、対応あるいは必要であれば協力するようにとしか言い渡されていませんので」
 これは多分嘘だろう。それが呼び出した連中の本意であるかは別として、何かしらの見解はひとつ提供されているはずだ。もっともらしい答えをひとつ提供してやりさえすれば、大抵の人間はそれ以上追求しない。余計な手間が減る。
 それを答えもしないということは、彼は全てに正しく答えてくれるわけではないということだ。当たり前のことだから指摘はしない。質問を続ける。
「俺は今保護されているようだが、その過程を教えてくれるか? 特に、なぜ見つけるまでに時間がかかったのかを知りたい」
 彼がこちらの質問に答えようと口を開こうとしたが、その瞬間に、ただし、と言葉を重ねて一度遮る。
「わかりません、なんて納得のいかない説明は無しにしてくれよ。事情の説明はできません、保護された過程も説明できません、なら最初から居ない方がマシだろ。わからなければわかる奴を連れて来い」
 彼はこちらの言葉を受けて考えるような間を置いた後で、口を開いた。
「……本来ならこのような事態になる予定ではありませんでした。本来なら、勇者はこの城にある召喚場に現れるはずだったのです」
「どうやって見つけ出したんだ?」
「それは……国中を探し回り、たまたま見つけ出せたとしか。あなたを見つけたとき、状態はかなり悪かったと聞いています。もう少しで命を落としていたかもしれないと。見つけることができたのは不幸中の幸いでした」
 これも嘘だな、とわかる。見つけたときの状態が悪かったのは本当のことだろうが、探し出せたのがたまたまだというのは無理がある。
 単純な話だ。意思疎通もできない倒れている相手を、どうやって探している相手だと判別するんだ? 少なくとも探している人間に探す相手の顔を伝える必要がある。あるいはもっと別な、勇者であると識別するための道具か技術でもなければ探すという行為はしようともすまい。
 そうなると、あえて隠す理由は何になる?
 事故で呼び出された場所が変わった。それはいい。探し出すのに時間がかかった。これも問題ない。今居る場所から遠ければ、そしてそこが移動手段の整っていない場所であれば不自然じゃない。
 もしそうであれば、単純にそう説明するだけで事足りる。そうしないのであれば、そこには相応の理由があるはずだ。
 事前に顔がわかっていたという可能性は除外していい。もしそうなら、探すのに時間がかかってしまったという説明だけで十分だろう。ならば、勇者としての特徴を識別して探し出した可能性が高いのだが――そういえば、勇者って結局何なのか聞いていないなぁと、単純なことに気が付いた。
 考え込んでいる内にいつのまにか外してしまっていた視線を彼のほうに戻して聞く。
「じゃあ、最後の質問だ。結局、勇者ってのは何なんだ? ……ああ、外から呼び寄せた人間のことをそう呼ぶ、という答えは無しでお願いしたいところだが」
 彼が口を噤んでしまったのを見て、やれやれと吐息を吐いた。この聞き方ではその答えしか返ってこないらしい。聞き方を変えよう。
「勇者と呼ばれる人間の特徴は何だ? 流石に、まったく知らないとは言わないよな。ある特徴を持った人間をどう扱うかは知らなくても、どういう特徴を持っている人間だから注意しろって話くらいは聞いているだろう」
 この質問にも彼はだんまりを通した。どうやら、こちらに情報を渡す気はまるで無いらしい。バカで居てくれる方が扱いやすいというのは同意するが、情報を与えないことによる不信感は考慮していないのだろうか? それとも、扱いづらいのなら切り捨ててしまえばいいということか?
 答える気のない人間を相手にする必要はもう無いと考えて、彼から視線を外し、思索に没頭する。
「…………」
 そうやって少し考え始めてから、まずは後者の可能性が高いこと――勇者というものは簡単に切り捨てられるものであることに気付いた。
 先ほどおっさんが立ち去る時の発言からわかることだ。あれは去り際に、今回は失敗だと言ったのだ。つまり、あれの生きている間に勇者と呼ばれる人間は複数回呼び出されていることになる。リスクやコストがどの程度かかるものかはわからないが、少なくとも、失敗したなら次に期待すればいいと再試行できる程度のものなのだろう。
 それは勇者とやらが呼ばれた理由や状況についてもそれほど切迫したものではないということも意味する。そこに思うところが無いではないが、今はその感情は置いておくとしよう。
 しかし、処遇が保留になっている理由については手がかりが思い当たらない。
 もう一度おっさんの言葉を思い出す。あれは、やはり今回は失敗だと言ったのだ。やはり、なんて冠がつくのは事前にそう思うだけの理由があったからに他ならない。失敗だったと思った上で、こちらをあえて助けた理由はどこに見出せる?
 考える。考える。考える――が、何も思いつかない。
 思わず舌打ちが口から漏れた。
 現状はピースの足りないパズルで何かを形にしてみろといわれているようなものだ。これでイライラするなというのが無理というものだ。
 とは言え、愚痴を言ったところで何も解決はしない。
 なぜ処遇が保留になっているのかという疑問はこの際置いておこう。気分転換も兼ねて別な疑問について考えることにした方が精神的にも健全だ。
 残っている大きな疑問のうち、残るひとつは、勇者とはいったい何かである。
 外の世界から来た人間だ、という定義を彼の反応から得た。何の役にも立たない分類ではあるが、これは間違いというわけじゃない。その通りなのだろう。
 ただ、そこで勇者という単語をあえて用いる必要性はない。来訪者とか、召喚獣なんて呼び方でもありっちゃありだ。外から来た者を表す単語は他にもある。
 考え方を変えよう。
 彼らは呼び出した人間をあえて勇者と呼んでいる。では、その呼び方の違いは何に起因するのか。それは、単語が持つイメージが異なるからだろう――と、ここに考えが至ったところでピンと頭の中に電灯が点ったような、何かが繋がったような感覚を得た。
 そういうものだと思って放置していたが、そもそも、彼らと自分の扱う言語は違うものだ。どういう原理かはまったくもってわからないが、自分は彼らの言語が自然な形で意訳されて――翻訳された言葉を聞いている。
 ならば、その翻訳する際に用いるベースはどこにある?
 それは自分の頭の中、あるいは自分の世界の言語体系だ。そして、それを理解できるということは、ほぼ自分の頭の中にある単語を中心に使われていると思っていい。
 だとすれば、自分にとっての勇者というイメージがそのまま勇者の正体になるはずだ。
 じゃあ、俺は勇者にどんなイメージを抱いている?
 答えは簡単だ。勇者に共通する特徴は、数奇な運命に巻き込まれること、特別な使命や目的を持っていること、そしてなによりも――
「特別な力を備えていることだ」
 思考の先を思わず言葉にしてしまった後で、続いて浮かんだ結論を思って大きく溜息を吐いた。
 何に対する結論かといわれれば、それはもちろん、自分の処遇が保留になっていることに対するものである。肝心の内容といえば、なんということはない、人間なら誰でも持っていそうな、それでいて非常に厄介なものだ。
 答えがわかったというのに溜息が出る理由というのも、その内容に起因する。
 ――自分の持っている特別な能力というのが、他人に対する怨念や呪いの類であるとなれば、そりゃ憂鬱な気分にもなるというものだろう。
 だから彼らは自分の処分を躊躇っているのだと、そう考えれば納得できた。死なせられない理由としては妥当だからだ。
 本当はそうであるとはっきりわかっているわけじゃないのかもしれない。しかし、死んでから発揮される力に対する不吉な印象を拭えまい。誰だって不穏な展開を予想する。規模は不明瞭だ。もしかしたらたった一人殺すだけで終わるかもしれない。しかし、この能力をもっているのは勇者と呼ばれる人間だ。彼らは過去の経験で、勇者が持つ能力の凄さとでもいうべきものを知っている。そうであれば、起こる現象の規模が小さいと思い込むのは難しいだろう。
「…………」
 大きく深呼吸をした。
 思考をフラットにする。
 考えるべきは考えたのだ。あとは、交渉の機会がくれば希望を伝え、それが無ければやりたいことを、為すべきことを為せばいい。それだけだ。
 未だに部屋に残り続ける男に視線を向けて言う。
「出て行ってくれ。あんたは言うべきことがない。俺には聞きたいことがない。居るだけ無駄だ。俺は寝る。何かあったら起こしてくれ」
 男はわかりました、とだけ返事をしてからすぐに部屋を出た。
 その姿を見届けてから、ベッドに横たわる。
「結局、どこに行っても自分では決めることができんとは。情けない限りだ」
 そして、そう呟いて溜息を吐いてから、目を閉じた。
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