主人公、同行者とこれからについて話をする 2-1
文字数 3,566文字
そんなわけで、意を決して人混みの中へと足を踏み入れ、人垣の隙間を縫うように店内を歩き回ることしばし。
実時間にして十数分程度の短い移動時間でははあったけれど、混雑の真っ只中を歩き続けるというのはやっぱりきつくて。もう諦めて帰っちゃおうかなぁなんて考えが頭に浮かんで来始めた――ちょうどその時に。
店の奥まった位置にあるテーブルに座っている彼の姿を見つけ流ことができたわけだが。
「見つけ――」
あまりにもいい頃合いに彼の姿を見かけたものだから、思わず叫ぶような勢いで声をあげそうになってしまい慌てて口を手で塞いだ。
……あっぶな。昨日の二の舞になるところだった。
そして、かろうじて叫び出す直前で声を抑えられたことに対して、そんな風に考えて内心で吐息を吐いていたら――ふと視線を感じたので周囲を確認してみると。
突然口を押さえる行為が目に付いたのか、いくつかの視線がこちらを向いており。当然と言うべきか、その視線の持ち主の中には、目的の人物でもある彼の姿も含まれていたのだった。
加えて言うなら、こちらを見る彼の顔には、なんとも言い難い微妙なものを見たような、あるいは残念なものを見たような表情が浮かんでいたりもしていた。
……くっそぉ、何でそんなに勘が良いんだあいつ!
恥ずかしいところをばっちり見られてしまったという事実を理解して、八つ当たり気味にそんなことを考えたものの、
……落ち着け、落ち着くのよ私。
そう何度も自分に言い聞かせながら深呼吸を繰り返し、荒れた気分を落ち着ける。
ここで感情に任せて彼に当たり散らすことは簡単だ。彼は自身に直接害を加えるのでもなければ、なんだかんだで流してくれる度量があることも知っている。
……まぁそれは、こちらに興味が殆どないことの裏返しでもあるんだろうけどね。
とは言え、そんな彼の寛容さに頼って好きなように振る舞うのは、好ましい行動ではないだろう。場合によってはそういう行動を選択しなければならないこともあるということは、十分に理解しているつもりだけれど。少なくとも今は、そんな風に立ち回る必要はない。
それに、ただでさえ彼には大きな借りがあるのだ。これ以上、自分が負い目を感じる羽目になるような行動を重ねる訳にはいかなかった。
彼が本当に同行を許してくれるというのであれば、これから先、彼と共に過ごす時間が長くなる。その長い時間において、気後れしてしまう理由が増えるのは精神衛生上よろしくないからである。
……既に致命的と言えるほどに手遅れな決意だけどね。
そんな言葉が頭を過ぎって、大きな溜め息が口から漏れたものの――やってしまったことは仕方がない。気にしたところでどうしようもない。
嫌な過去は忘れてこれからのことに集中しようと、気持ちを切り替えた後で、彼が確保しているテーブルへと足を向けた。
そしてそのテーブルの傍まで近寄って、彼と視線を合わせてから口を開く。
「相席させてもらっても構わないわよね?」
こちらからそう声をかけてからにやりと笑ってやると、彼は呆れと感心が半々に入り混じった表情を浮かべてから言った。
「今回は奢ってやるつもりはないぜ。――それでも良ければ座るといい」
そうやって返ってきた言葉を了承と受け取った私は、遠慮なく彼の前にある席にある椅子を引っ張り出してから腰を下ろした。
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「……随分と疲れてるように見えるけど」
混雑する酒場の中で無事に彼と合流し、椅子に座った後で彼をみると、妙にぼんやりしている様子がわかって、ついそんな言葉が口から漏れた。
こちらの言葉を聞いて、彼は小さく笑ってから言う。
「まぁ、昨日は想定外の労働があったからな」
……喧嘩を売ってんのかこいつは。
彼の返事、その内容に、彼に向ける視線も自然と鋭くなってしまったわけだけれど。
こちらの示した反応に、彼が浮かべた笑みを更に深くしていく様子を認めて、彼から視線を外して吐息をひとつ吐き、表情を戻した。
……この人は本当に、人も口も悪いわね。
そしてそんな風に内心で愚痴っぽい感想をこぼしていると、こちらの思考が切り替わった気配でも察したのか、彼が再び口を開いて言う。
「よく堪えたな。てっきりまた爆発するものかと思って見ていたんだがね」
薄く笑いながらそう続けた彼に再び視線を向けてから言う。
「……無駄に人の気を逆撫でるような事を言うのをやめてもらえると、非常に助かるんですけどね」
呆れの感情を込めに込めた声でそう言って、ついでに半目も向けてやると、彼は笑みを消してから肩を竦めてみせた。そして言う。
「悪いな。実は性分じゃなくて、原因に近しい人間を前にするとつい攻撃的になってしまうんだよ。なかなか自分の気持ちを御するというのは難しくてな」
言われた内容に、私は何と言って返せばいいかがとっさに出てこず、黙り込んでしまった。
……そう返してくるかぁ。
内心で頭を抱える羽目になったのは言うまでもないことだろう。
なぜならば、彼が今口にした内容は、非常に扱いに困る話題だからである。
……同情はするけどね。
知っている事情が確かなのであれば。
彼は望んでこの世界に来たのではない。それなのに、事故により死にかける直前になるまで誰にも助けられることもなく。さらには――それなりに長い期間、保護していていたのも確かだが――新しいものが手に入ったから要らないと捨てられたのである。
そんな対応をされれば、よっぽどの聖人でもない限り、憎悪あるいは怨讐の対象にでもしていて当然で。
――そこまで思考が及んだところで、状況をよく理解することもできるようになった。
つまり、今こうして会話の場を設けてくれているだけでも、ありえないほどの譲歩をしてもらっている、ということをやっと認めることができたということである。
だから言う。
「……まぁ、あなたに元々そういう部分が多少あったんでしょうけどね。
いいわ、あなたのそういう部分がどうしようもないということは、十二分に理解したし、納得もした。だから、テキトーに受け流してあげる」
私の持てる演技力を最大限使って、彼が口にした内容など大したことじゃないと、少なくとも表面上はそう見えるように努めてながら、だ。
確かに彼の境遇には同情するけれど。私には関係がない。
この状況が彼の人の良さによって成り立っているとわかっていても、それに感謝はしてやらないし――してやれない。
それが私の生活を成り立たせるために必要な仕事だからだ。
私は彼に対して無体な扱いをした国の人間であり、上にいるお偉方が実施してしまった行動を否定できる立場にない。ゆえに国益やメンツを損なう言動は選択できないし。
少なくとも私には、そんな度胸はなかった。
……嫌な仕事だわ、本当に。
だけど仕方ない。
そうしなければならないのであれば、それを為す。そこに好悪の感情を差し挟む余地はない。
例えそれが恥知らずな行為と捉えられようとも、拘泥する余裕はないのだから。
……さて、彼はどんな反応をするのかしらね。
自分の中で気持ちに区切りをつけてから、いつのまにか逸らしてしまっていた視線を彼へと向け直す。
すると、こちらに視線を向け続けていた彼の表情を見ることになるわけだけれど。
……笑ってる?
てっきり蔑むような視線でも向けられるものと思っていたのだが、彼は特に気分を害した様子もなく、むしろこちらの反応を楽しんでいるような笑みを浮かべているだけだった。
こちらが彼の反応に内心で首を傾げていると、彼は口を開いて言う。
「是非そうしてくれ。前にも言った気はするが、この年になると性分というものはなかなか変わるものじゃあない。それこそ、大きなきっかけでもない限りはな」
一息。彼は長い吐息を吐いてから表情を戻して続ける。
「さて、ふざけるのはこのあたりにしておいて。そろそろ真面目な話を始めようか。――それとも食事を先に済ませてしまった方が良かったかな?」
何かを思い出したかのように笑いながら言う彼に、私は舌打ちをした後で言う。
「……注文しなかったら文句を言われるんじゃないの?」
「それくらいの融通は利くさ。話が終わった後に、きちんと商品を購入するのであればな」
彼の回答を聞いて、私は溜め息を吐きながら応じる。
「だったらさっさと始めましょう。話が長くなったら追い出されるかもしれないしね」
そして、そんな私の言葉を聞いて、彼もそりゃそうだと頷きを返してきたので、それを合図として本題を話し始めることにした。