幕間:ある魔女の観察

文字数 4,956文字


 ――彼が振り下ろした斧は、倒れた男の頭の横に落ちたようだ。


 正気に戻って殺すことを躊躇ったように見えるが、実際のところがどうであるかはわからない。他人の心情など、推し量ることしかできないからだ。例えどれほど長く生きていようとも、それは変わらない。見える行動から一端を理解できることはあるかもしれないが、それを確かめる術もない。
 ……またしょーもないことに考えが脱線しているな。
 悪い癖だよまったく、と溜息を吐くことで思考をリセットしてから、外していた視線を目の前に戻した。
 そこには、ここではないどこかを映し出している道具がある。
 遠見の術だとか千里眼だとか、まぁ表現は何でもいいのだが、要は遠くに在る見たいものを見るためのものだ。見る角度や見える範囲、明度などの調整が面倒くさく厄介ではあるけれど、快適な空間に居ながらにして外の様子を見ることができるというのは非常に都合がいい。楽だしね。
 とは言え、今見えている風景は像が荒く見辛いし、全体的に暗くて輪郭もわかりにくくなっている。先ほどの彼の行動を判断しかねたのは、詳細が見えにくいためでもあったというわけだ。我ながら締まらないといったらない。
 しかし、これでも色々と調整をしてみた結果なのだから、もうどうしようもない。以前使ったときにはもう少し鮮明に見えていたと思うのだが、
「やっぱり、久しく使っていなかった道具はなかなかうまく使えないな」 
 そう呟いて、思わず笑ってしまった。
 なにせ、誰かに興味を持つということ自体が久しくなかった出来事なのだ。以前これを使ったのは、さて何十年前か、あるいは何百年前か。もう思い出せなくなるくらいの遠い昔なのだから、そりゃ使い方も忘れようというものである。
 ここまでくると、普段であれば苦痛に感じる面倒や不便さも、好奇心などの新鮮な感情が上回って楽しく感じられるのだから不思議なものだ。そして、そんな感情が残っているという事実から、自身に人間味を感じることができたという意味でも驚きがあるのだけれど、それはさておき。
 そんな面倒を惜しまずに見ている相手は、既に打倒された賊たちではなく、それらを打ち倒した人物である一人の青年だ。
 少し鍛えているように見える以外は、特に特徴らしい特徴はない。おそらく事情を知らない人間からすれば、なぜ興味を持つのか、わからないことだろう。
 ただ、なぜ彼に興味を持ったのかと聞かれればその答えは単純だ。
 彼が異世界からやって来ただろう人間だから、である。
 彼が異世界の存在であると断言しないのは、彼がそうであると断定する材料が無いからだった。
 いやまぁ一応、異世界の存在は確認されているということになっているし、それを見分ける術も存在するんですよ? でもね、結局はそうであろうと思える材料が積み重なっている状態に過ぎないのであって、その気になれば誤認させることも容易かったりするわけで。結局、自身が行き来をしていないのであれば、存在を仮定し実在を確信しても、そこ止まり――
「…………」
 再び脱線しかけていた思考を、頭を振って中断する。いかんいかん、また悪癖が。
 つまり何が言いたいかと言えば、彼が異世界の存在だろうと判断する根拠はいくつかあるが、確固たる物証があるわけではないと、そういうことだ。
 状況証拠として最も大きいものは、やはり彼が国に保護されたという事実だろうか。記憶の限りでもそうはないほどの大きな反応と位置、そして国の動きが一致しており、かつその時期に城に運び込まれた外部の人間となれば、その可能性は非常に高いと判断できる。
 なにより、現状での反応が小さいことも見逃しがたい事実だった。
 異世界から呼び出された存在として勇者というものが居て、それは各地に存在しているのだが――それらは十中八九偽物であり、それらの共通項として、呼び出された後も大きな反応を持ち続ける傾向がある。
 ……まったく、あれも余計なことをしてくれる。
 心当たりを思い出して思わず溜息が漏れたが、あれにはあれの考えがあって動いているのだろうし、わざわざ敵対する理由もないので直接的に文句を言うことはない。ないが、うんざりする気持ちは止められない。しかも、普段は鬱陶しいと思う事実が真贋を見分ける根拠のひとつになっている辺りがどうしようもなかったりするし、それについて複雑な感情が胸中に湧き上がってくるわけだけれども、それは置いておこう。本筋にはあまり関係がないからね。
 ともあれ、彼が異世界からやって来たと思える理由はあり、そうであれば興味を持たない理由もまたないというわけだ。というか、興味がありすぎて居ても立っても居られなかったというのが正確か。
 わざわざ彼が居る街にまで出向き、直に接触する機会を作ろうとしたくらいなのだから、顧みるまでもない事実だろう。具体的な計画をその場に着いてから考えたというのは、今考えるとどれだけ慌てていたんだと呆れてしまうけれど、同時に、なぜそうしてしまったのかはよくわかる。
 多分自分はずっと、新しい刺激を、変化を求めていたのだろう。
 今の世界は確かに平和からは程遠い。相変わらず治安は悪く、賊による凶行は止まないし、戦争だってある。まぁ戦争といっても、人間同士で争うことは少なく――魔王という共通の脅威があるためだろう――最近は小競り合いのような小さな争いばかりだ。
 つまり、この状態で安定しているとも言える。
 長く生きていれば新しい刺激というのは少なくなる。楽しく生きるためには、世界は変化に富んでいる方が都合がいい。
 そして、彼はその安定した世界に変化を生じ得る存在だった。異世界からの来訪者は無視できるものではない。それは例え、彼がどういう人間であったとしても、どういう生き方を望んでいようとも、周囲が彼の存在を無視できないという意味だ。
 ……彼は現実的な利己主義者だからな。
 幸いにして彼と直接交流を持つ機会を得られたが、そこで知った彼の人となりを考えると、おそらく彼自らこの世界をどうこうしようと動くことはないだろう。むしろ、彼は波風なく平穏に暮らす手段を求めているようだし、その点については期待できそうもない。
 ただ、彼は必ず何かに巻き込まれることになる。いずれ、という点が残念なところではあるが、それは確実だと踏んでいる。
 なぜなら、彼はこの世界の人間とは根本的に異なる思考の持ち主だからだ。
 それはすなわち、着眼点や発想が異なるということであり、この世界の人間なら普通はやらないだろうことを、彼は行い得るということでもある。その行いを見るだけでも十分な刺激になることだろう。
 加えて、彼自身が持っているだろう力も興味深い。
 勇者は必ず何かの能力を備えているという点については、今のところ例外はない。彼らは必ず特異な能力を発現する。その能力の内容如何では、神や悪魔を自称する連中から目を付けられることになるだろう。もしそうなれば、様々な場所で大きな動きが生まれる。
「つまりそれは、事態がどう転ぶかはわからなくとも、彼をしばらく見ていれば何かがあるということ」
 ならば彼の動向を追わない理由はない。
 そして実際に、面白いことが起こっている。
 つい先ほど我を失うほどに激昂した彼が見せた一幕が、まさにそれだ。
 恐らく初めて行ったであろう殺人に対して彼の憤りは、まったく関係ないとわかっている自分でさえ、聞いていて底冷えするほど恐ろしいものであったし。
 その後に賊連中を壊滅させた際に垣間見えた彼の力は、実に興味深いものだった。
 正直なところ、一見しただけではその内容を想像するのさえ難しい。確実にわかることがあるとすれば、それは敵対者からすれば非常に恐ろしいという、その威力だけだ。
「……ふふ」
 思わず笑みが漏れる。
 わからないことはもどかしいが、考えることは楽しい。
 再び彼から視線を外して思考に耽る。あの現象はどういう能力であれば発生し得るのか、後ほど現場に行って資料を確保しなければならないな、などと考えていたところで、
「……?」
 ふと視線を感じて思考を中断した。
 ここには自分しか居ないはずなのに、いったいどこから――という疑問はすぐに解けた。
 目の前。
 ここではないどこかを映す風景の中に、一人だけ視線を向けうる相手が居る。
 ――即座にそこから身を離し、距離を取ろうと動けたのは、長く生きてきた経験によるものだろう。
 次の瞬間には、遠見の道具を含めた一定距離内にある全ての物が破壊されていた。
 それは一定の法則に従った攻撃、ではなさそうだった。
 攻撃とはどれほど不恰好でも、破壊された際の形状は決まっている。だからこそ類推も出来る。しかしこれは違う。どうすればこんな壊れ方をするのかという、そう思うことしか出来ない結果だけが目の前にあった。
 恐らくだが、我を失った彼の本能みたいなものが自分を観察している視線に気付いて力を向けてきた、というところなのだろう。
 しかも、
「……生かされたわね」
 自分の体を見て気付いたことだが、こちらの行った回避は間に合っていない。四肢を覆う服の一部が、目の前にある光景と同様の破壊を受けている。
 相手が誰か気付いてやめた、と取るのがこの場合は自然だろうか。理由としては考えられなくもない。彼は基本的に他人に興味を持たないが、それでも、顔や名前を知った上で長く交流を持った相手を無碍にできるほど冷血にはなれない人間であるし、魔力の類を感知して相手を識別する術を彼は既に知っている。自分が教えたことのひとつだ。
 まぁ我を失っているだろう状態でそれを正しく行使できるかについては疑問が残るが、少なくとも、相手が誰か完全にわかっていない状態であれば破壊を止める理由はないだろう。勿論、たまたまここまでしか力が届かなかった、と考えることもできるが、もしそうであれば自分の体に被害がある方が自然で、つまりその可能性は限りなく低いということになる。
 彼に魔術の類を教えたのは、彼がこの世界を自由に生きる術を持つことでより面白い何かが見られるのでは、と考えたからだったのだけど、
「……何が身を助けるか、わからないものね」
 呟いて、笑う。
 自分の命が失われていたかもしれない恐怖、そして助かったことに対する安堵。どちらも久々の感情で、得られたことがたまらなく嬉しかったからだ。
 しかも、だ。追加で気付けたことがある。
 彼の力について、その一端が理解できたのだ。
 ……これは単純な破壊じゃない。
 気付いた理由は、破壊された自分の服が元の形状に戻らなかったことにある。
 私は面倒を嫌う性分だ。だから、清潔さを維持し、綻びや破損を修復して元の状態を保つ程度の魔術は普段使いの物には施してある。自分の服などその最たるものだが、それが破損の状態のままでいっこうに修復される気配がないのだ。
 試しに自ら修復用の魔術を使用してみたものの、それも効果がない。
 なぜ効果がないのか。それについては幾つかの理由が思い浮かぶものの、どれが正しいか、あるいは間違っているのかはわからない。
 結論を出すには、調査が必要だ。
「ひとまずは、期せずして資料が手に入ったことを喜びましょうか」
 服とこの場は資料として確保しておくことにしようと、そう考えながら、足を動かす先は別な場所へと続く扉だ。
 流石にボロボロになった服を着続ける趣味はないし、調査をするにも様々な道具が必要となる。いつまでもここに居続ける意味はない。
 調べるためにはどんな道具が必要か。どんな検証や実験が必要か。考えるべきことは多くあり、また、準備するべきものも多くあるだろう。
「魔術を教えた見返りとしては、むしろ貰いすぎなくらいよね」
 ただ、やるべきことがあるということそれ自体が嬉しく、それを行っていく過程が楽しいのだ。
 この楽しみがいつまで続くかはわからないが長く続けばいいと、そう思いつつ、扉をくぐって部屋を出た。
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