幕間:ある監視役の好奇心

文字数 4,978文字


 最近、ある仕事が一部の兵士たちの間で取り合いになっている。
 休日に城の外を出歩く勇者の監視役だ。
 本来なら、こんな仕事に人気が出ることなどありえない。その日が仕事になってしまっているのであれば諦めて受け入れるが、休日であれば誰だって休みたいものだ。それは兵士であってもそうである。だって人の子だもの。
 だったらなんで休日に出勤する羽目になるようなこの仕事に人気が出るかというと、もったいぶるようなこともない単純な話で、楽に稼げる内容になっていると噂になっているからである。
 本来なら監視役は対象者を常に目の届く範囲に収めていなければならないのだが、この監視役は自ら取引を持ちかけてきてくれるらしいのだ。
 曰く、人混みではぐれてしまってはお互い口裏をうまく合わせる必要が出てくるよな、と。
 お互い多くは語らないが、つまり、口裏を合わせてお互いうまくやろうぜという話しである。
 うまくすれば、一日の始めと終わりに城に出向く必要はあるものの、それ以外は自由に過ごしてもいいということになる。
 当然、監視対象である相手――彼が逃げてしまう可能性も否定はできない。もしも本当にそうなってしまえば、自分の首が文字通りの意味で飛ぶ場合もあるだろう。
 しかし、人間というのは愚かにできているものだ。
 最悪の場合を考えても、そうならないだろうとそこから目を背けて自分の都合の良い結果ばかりを見てしまう。
 まぁ実際にそうなる可能性は低いだろうと判断できる材料は揃っているということもあった。
 この街の治安は他に比べれば比較的良いから問題は起こりにくいし、監視対象本人がおだてられている事に気付かない程度に盲目で、逃げ出す可能性が低そうだし。
 そしてなにより、ある程度の問題には対処できる程度に頑強なのだ。
 なにせ、自分たちよりも遥かにきっつい訓練を容易くこなせる上に、既に並の連中よりも動ける。ぶっちゃけ、その気になれば自分たち監視役など簡単に処理して自由に――それこそ逃げ出すことすら果たせるくらいに。
 それが例え、より監視の厳しい城の中からであっても、だ。
 だから正直な話、この監視役の意義は彼の行動内容を報告する以外にないということを、仕事が振られる人間の殆どはよく理解していた。
 勿論、それでも真面目に職務に励もうと言う奴らも居る。
 ただ、生きるためには稼がなければならないが、楽に稼げるならそれに越したことは無いと、そう考える人間の方が多いというだけのことである。
 そして、自分もそんな人間の一人だった。
 とは言え、街に――地元民からすれば見て回るものなどないと思うような場所に毎度毎度足を運ぶ彼の行動に対して疑問が、もっと言えば好奇心が湧いてしまうのもまた自然なことだろう。
 彼はいったい何をしているんだ?
 その疑問を解消する手段は簡単なことだ。
 監視役として真っ当に業務を行うこと――ではない。
 知りたいのは、監視役から離れてまでやりたいことがいったい何なのかということなのだから当然、彼と人混みではぐれた後で、彼を見つけ出して追いかけることになる。
 ただまぁ、広くないとはいえ一つの街から一人の人間を見つけ出すのは容易なことではない。見つからない場合もある。そんなことが続くと、自然に、同じように好奇心に負けた者同士で休日に見かけた情報などを共有するようになった。
 流石に人が集まれば、情報が集まれば、ある程度行動範囲なども絞り込めるようになる。
 そうやって、最初に彼の姿を捉えることが出来たときはなぜか妙な達成感が得られたものだ。
 しかし、そんな達成感も、彼が何をしているのか知ったときの落胆で一気に色あせてしまった。
 彼がやっていたのは、言ってしまえば単なる労働だったからだ。
 確かに、彼は金銭を得ることは出来ないし、物を自由に購入することも許されていない。なるほど、自分がそんな立場になったなら、自分が自由にできる金銭を得るために労働をしようとするかもしれないと、納得さえした。
 なんだそんなことかと、疑問も解消したし彼を追うのをやめようとさえ思ったのだが――彼のやっている仕事を見て、ふと新たな疑問が湧いたのだ。
 なぜ、あえてそんな仕事をやっているのだろうと。
 この街は治安が良いほうだが、それでも厄介者というのは存在する。だから、彼のように腕っ節が強い人間にはそれなりに稼げる職業というものがあるのだ。単純に金を稼ぐことだけを求めるのなら、それこそ馬鹿な金持ちが出すような汚い連中を掃除しろという殺し屋めいた仕事だってある。これは極端な例ではあるが、要は、そういう荒事関係の仕事のほうが稼ぎがいいということだ。
 だと言うのに、彼がやっている仕事は肉屋の店員だったのだ。
 しかも店先に出て客を相手にするわけではなく、人によっては嫌がるであろう中での仕事――動物の解体などを行っているのだから、驚かないではいられない。
 しかも話を聞くと、どうやら生きている動物の解体まで望んでやっているらしい。時折、誰もが嫌がるような朝早くから外出することがあったのだが、おそらくはこれが理由なのだろう。仕込みは客が来る前にやるもので、時間帯にすれば朝が基本なのだから。
 店主に話を聞いてみると、彼はかなり真面目に働いているらしかった。
「あいつが急に来た時は驚いたもんだ。いきなり頭を下げて、雇ってくれ! 給金は安くてもいい、いやいっそ無くてもいいから! なんて言われてよ。事情を聞けば金が欲しいけど働き方がわからないとか言い出すもんだから何者かと思ったぜ。
 そりゃ当然、最初は断ったさ。だけどなぁ、何度も来るもんだからこっちが根負けしちまって。結局雇う羽目になっちまった。
 最初は使い物にならなかったが、あいつは覚えがよくてな。今となっては他の連中よりも使えるくらいだよ。居なくなってもらっちゃ困るくらいなんだが……」
 残念そうにそう話す店主に話の続きを促すと、どうやらもう少ししたらこの仕事を辞めると言われているらしい。
「給金に不満があるんだったら上げるからと言ったんだけどな。どうやら違うらしい。やったことのないことをやるために、色々なところに雇ってもらいたいんだとさ。
 俺を体よく利用しやがったのかと文句を言ってやったら、素直に謝られちまったよ。一緒にお礼も言われたがね。安い金でこき使ってたのはこっちだし、黙って辞めていく奴もざらに居る中で、まったく律儀な野郎だよ。
 ……次に何をするか聞いてないか? いや、知らねえな。しかし、なんだあんた。なんでそんなこと――」
 店主の視線がこちらをいぶかしむものに切り替わってきたので、何かを聞かれるより先にお礼を言ってその場を立ち去った。
 後日この話を協力してくれた者達にしたところ、殆どの者はそこで興味を失ったようだ。
 私はむしろ何をするのか気になったので調査を続けたクチだけれど、人手が少なくなったので彼の動向を追うのは難儀した。正直面倒くさくて止めたくなったことは何度もあったが、それでも情報を集めることはやめなかった。自分でもどうしてここまで気になるのかはよくわからなかったが、一度興味を持つとすっきりするまでは突き詰めるタチだからなのだろうとは思う。
 そんなこんなで集まった情報をまとめると、肉屋の次は本屋、酒場と続き、その後は働くのを止めたらしい。
 私がこの情報を入手できた時点で彼は既に働いておらず、ある宿屋に頻繁に出入りしている状態だった。
 働くのを止めて何をしているのかと思えば、どうやら酒場で知り合った誰かと宿屋で密会しているらしかった。いい人でも見つけやがったのかうらやましいなどと思ったものの、宿屋の兄ちゃんに聞いてみると、どうやらその相手は魔法使いを名乗っており、彼は魔法を習うために通いつめているようだ。
 宿泊客本人曰く、自分は魔王に魔法を教えたこともある賢人なのだとか。
 見た目は妙齢の女性で、格好も別に物語に出てくるような魔法使い然としたものでもないので誰も信じてはいないようだったが、彼は信じたようだ。
 そもそも、そんな賢人がこんな片田舎にやって来る理由がないだろうと疑うべきだろうに、何をやっているのやらと呆れてしまう。
 ただ、女一人で旅をしていて無事であることを考えると、それなりに知識や経験は豊富にあるのだろうから、彼としてはそちらを期待しているのかもしれなかった。
 実際に何をやっているのかはわからないので憶測でしかないが、彼の行動から考えて、少なくとも得るものがあるからそうしているだろうと半ば確信している。
 彼は学ぶことに貪欲だと、行動を追っていく内にわかってきたからだ。
 かれこれ彼がここに来て半年以上は経っている。
 きっかけは俗なものではあったけれど、彼の動向を追う内に城での彼の行動も追いかけるようになっていたから気付いたのだ。
 肉屋での経験は、彼から他者への攻撃に対する忌避感を払拭したようだった。戦闘訓練での組手で、相手役が戸惑うほどに攻撃の容赦がなくなっていた。
 本屋での経験は、彼にこの世界の常識を学ぶ機会を与えた。この地域での慣習などは教えるまでもなく既に把握しているようで、他者との会話にも不自然なところは見えなくなっていた。
 酒場での経験は、彼がこの城以外での人脈を築くことに成功させた。真偽は怪しいが、彼が以前から求めていたらしい魔法に関する教育を受ける機会を自分で手に入れるまでになっているのだから、凄いと感心するしかない。
 城での訓練でさえ、彼は手を抜いていない。貪欲に技術と経験を求めて、むしろ自ら訓練内容を提案するほど熱心に行っていた。
 私は彼以外に勇者として呼ばれた人間を知らないが、周囲の反応を見る限り、彼のような姿勢を見せた勇者は居ないようだ。
 それはそうだろう。
 勇者は特別な存在だ。こちらに来る際に、誰もが持っていないような特別な力か、あるいは特別な縁を得ることが約束されている。そんな状況にあれば、大抵の人間は努力を多少は怠るものだ。
 しかし、彼にはそのどちらも無い。
 体力に関しては目を見張るものがあるけれど、特別な力として伝え聞いているような類のものは使えない。
 この城に居られるのだって、彼の扱いを決めあぐねているために城への居留が許されているだけで、実際は軟禁されているようなものだ。
 彼に味方は殆ど居ない。かろうじて、彼の陥った状況に対して同情し、良く接する者が居る程度だろう。
 そんな状況で、彼は折れずに淡々と力を蓄え続けてきたのだ。素直に賞賛するしかなかった。
 彼を見習って倣うようなことは、怠け者の自分には少し難しかったけれど。自分でも知らない内に影響を受けていたようで、ほんの少しだけ訓練に対する身の入れ方などは変わってしまったようだ。教官からそのように褒められて、自分でも気付いていなかっただけに驚いてしまったが、悪い気はしない。
 そして、今日もそうであればいいと、少し気合を入れて職場に向かったところで異変に気付いた。
 城の中がにわかに騒がしくなっていたのだ。
 この空気には覚えがあった。その確信を補強するように、周囲から勇者という単語が聞こえてくる。
 同僚や上司に確認してみると、どうやら、新たに勇者が召喚されたらしいとのことだった。
 期間こそ空いているとは言え、勇者が二人も同時に存在するのは異例の事態で、城の中は彼が呼び出された時よりも騒がしい。
 そんな周囲の状況にも関わらず、彼がいつも通りに訓練を行っているのを見て、少し笑ってしまった。
 新たな勇者が現れたことで、彼の境遇は一変することになるだろう。城から追い出されることも十分に考えられる。
 ただ、もしもそうなったとしても、彼はあまり気にしないのではないかと思った。なにせ、彼は既にこの世界で一人で生きていくことができるのだ。むしろ、自由になれて喜ぶことだろう。
 その時になって上役連中がどんな顔をするのか、それが拝めないことを少しだけ残念に思いつつ、今日の自分の業務に就いた。


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