【キャラ2】キャラクターの課題≠プレイヤーの課題?
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それで、資源を勝手に増やされるとアンフェア、という話になったのよね。
だったら、TRPGでも、キャラクター表現で勝手に資源を増やそうとするプレイヤーには「アンフェアだ!」と言ってやれば十分なようにも思えるけど、どうもそうでもないらしい。
もし、「悪者を退治する」とか「怪奇現象から脱出する」という課題しかないのだったら、そのための資源は多ければ多いほどいいのだから、キャラクター表現で資源を増やそうとするのは正しい行いだということにならない?
少なくとも、ゲーム以外の分野では、使える資源を増やすのは、基本的によいことよ。
いくらでも資源を増やせてしまったら、それこそ「最初からハッピーエンドの映画」みたいなもので、困難を打ち破る達成感とか、限られた資源で課題に取り組む知的興奮とか、そういうものが殺がれてしまいます。
はい。これで、
「キャラクター表現でむやみに資源を増やすのは、キャラクター課題の解決には有利に働くかもしれないが、プレイヤー課題の達成を阻害したり、プレイヤー課題の価値をおとしめてしまう場合がある」
と言えるようになりました。
キャラクター課題は、「悪者を退治する」のようにルールブック上で明示されていたり、あるいはハンドアウトに「呪具を手に入れる」とか「要人を警護する」とか指定されていたりしますけど、プレイヤー課題を明示的に確認することはなかなかないでしょうからね。
プレイヤー課題については、ルールブックでも、「楽しい時を過ごす」のような曖昧な書かれ方で終始していることがほとんどなのよね。「『楽しい』とはどういうことか」「何をすれば『楽しい』と感じられるのか」ということこそが問題なのに。
そうね。「楽しい」に全人類共通の仕様書なんてないわけで。キャラクター課題が順調に解決されることを「楽しい」と感じる人もいるし、キャラクター課題が達成できないときのキャラクターの苦悩や苦痛を「楽しい」と感じる人もいるし、他人を出し抜くことで「楽しい」と感じる人もいるし。
少なくともここまでで、
・キャラクター課題とプレイヤー課題は異なる
・プレイヤーによってもプレイヤー課題は異なる
・普遍的なプレイヤー課題は存在しない
という知見は得られたんだから、まずそのことを念頭に置くことはできる。
あらゆるプレイヤーに普遍的なプレイヤー課題が存在しない以上、問題なのは「今ここにいる」自分と相手のプレイヤー課題よね。それらに意識を向ける。
「この人はどんな課題を目指しているのだろう?」
「それは自分の課題と同じだろうか? 違うとしたら、その違いを理解できているだろうか?」
ってね。
「キャラクターではなく、プレイヤーとしてのあなたの目指すものを問うています。プレイヤーとしての私たちが協業しない限りセッションは成立しません。あなたと協業するためには、あなたの目指す課題を知る必要があります」
と付け加えてもう一回尋ねる。これで回答が得られない相手とは一緒に遊ばないほうが得策だと思うわ。