【救う1】なぜ「救えないNPC」が問題視されるの?

文字数 2,240文字

GMが「救えないNPC」を出すことは許されるんでしょうか。
そのことについて議論している人たちは何と言っているかしら?
肯定も否定も入り乱れています。
じゃあ、問いの立て方が適切ではなかったのね。適切でない問いには適切でない答えが返るものよ。「42」みたいに。
では、どのような問いが適切なんでしょうか。
不適切な問いに出会ったら、「なぜ、その問いは現れたのか?」という問いをもって見てみることが有効よ。
ああ、「仕事と私、どっちが大事なの?」のようなものですね。
それもあるわね。じゃあ、『「救えないNPC」を出すことは許されるか』という問いは、なぜ現れたのかしら。
えっと……NPCを救えないセッションで不快な経験をした人がいるからだと思います。
そうね。でも、皆がそうとは限らない、ということよね?
はい。NPCを救えなくても、よいセッションだった、という経験をする人もいますから。
なぜ、その違いが生じるのかしら?
セッションの中で起きた、何かが違うってことですよね……でも、それがなんなのかはわかりません。
行き詰まってしまったから、ちょっと見方を変えてみましょう。

これまで素朴に「救う」という言葉を使ってきたけど……「救う」ってどういうことかしら?

えっ……?
抽象的すぎて答えにくいかもね。具体的に、「人を救う行動」を挙げてみたら、何かわかるかも。
うーん……医療は人の命を救いますよね。
そうね。でも、なぜ命を救おうとするの?
命が大事だからです。
なぜ命が大事なの?
命がなければ何もできません。
その命を使って何をしようというの?
それは……その人次第です。
はい、たぶんこれで、『「救う」とはどういうことか』という道の、折り返し地点には辿り着いたはずよ。

実は、さっき久恵里ちゃんが答えてくれたのに近いことを述べている専門家がいるの。

法哲学者の小林和之は、『「おろかもの」の正義論』にこう記している。45ページ。

「生命なしには、他のあらゆる価値を実現できない。そして、生命は、生命以上に重要な価値をもっている場合になおいっそう重要になると言ってもいいだろう。生命は、生命より重要なもののためにただ一度だけ使うことができる価値だからだ」

生命以上に重要な価値……。
こうしてみると、「救う」って、生き長らえさせることとは限らないと思わない?
命を失うとしても、それ以上に重要な価値を実現させることが「救う」こと……ですか?
そういう「救う」もあるってこと。

手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」にもそんなエピソードがいくつかあるわ。タイトルだけ挙げるけど、機会があったら「デベソの達」や「絵が死んでいる!」を読んでみてね。

生き長らえさせることも「救う」だし、生命以上に重要な価値を実現させることも「救う」なんですね。
もしかすると、「救えないNPC」というとき、どちらの「救う」を想定しているかによって答えが違ってきてしまうのではないかしら。
……となると、「NPCを救えないセッションで不快な経験をした」と、「NPCを救えなくても、よいセッションだった」にある「救う」を言い換えたほうがよさそうですね。
やってみて。
はい。

「NPCを生き長らえさせることも、生命以上の価値を実現させることもできないセッションで不快な経験をした」

「NPCを生き長らえさせることはなかったが、生命以上の価値を実現させることができた、よいセッションだった」

これで、「何かが違う」という問いへの答えも出たわね。必ずしも正解とは限らないけれど。

そして、『「救えないNPC」を出すことは許されるか?』が不適切な問いだとして、適切な問いとは何だったのか、という問いにも答えが示された。

『NPCを「救う」とはどういうことか?』ですね。
そういうこと。

それに、この問いを持つことにはメリットがある。

メリットですか?
もしGMが、「命を失わざるを得ないNPC」を出したいと望むなら……そのNPCにとっての「救い」とは何か、ということを考え、またPLに考えさせる。そして、考えた結果の行動をPLがとれるように支援をする。そうしたことの準備ができるようになるわ。
「救い」がないということを表現したい場合はどうなんでしょうか?
それをするときは、事前にPLとの了解が必要よ。誰だって無駄な努力はしたくないもの。それに、PCに無能の烙印を捺してしまいかねないからね。「今回は大体破滅します」という前提を共有した上で始めないと、禍根を残すことになる。
前提を共有するというのは、シナリオトレーラーに「救いはありません」と書いておくといった方法でですか?
それもあるし、「救いがない」ことを提供するシステムを選定するという方法もある。「フィアスコ」がいいわね。このゲームでは当たり前のようにキャラクターが死亡するけど、その分、「いかにして救いようをなくすか」という点に頭を使うことになるわ。そんなとき、「生命以上の価値」という考え方が役に立つのよ。
具体的には?
そのキャラクターが命を賭して手に入れたかったものを、あっけなく破壊したり、実はつまらないものだったということにしてしまう、とかね。
なるほど。それは「フィアスコ」だからこそできる、という感じがしますね。
ええ。PLに与えるインパクトが大きい分、慎重に取り組まなければいけないことではあるわね。

それでも、『「救う」とはどういうことか?』という問いを念頭に置くことは、「フィアスコ」に限らず、様々なTRPGの場面で役に立つはずよ。

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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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