【救う1】なぜ「救えないNPC」が問題視されるの?
文字数 2,240文字
じゃあ、問いの立て方が適切ではなかったのね。適切でない問いには適切でない答えが返るものよ。「42」みたいに。
ああ、「仕事と私、どっちが大事なの?」のようなものですね。
はい、たぶんこれで、『「救う」とはどういうことか』という道の、折り返し地点には辿り着いたはずよ。
実は、さっき久恵里ちゃんが答えてくれたのに近いことを述べている専門家がいるの。
法哲学者の小林和之は、『「おろかもの」の正義論』にこう記している。45ページ。
「生命なしには、他のあらゆる価値を実現できない。そして、生命は、生命以上に重要な価値をもっている場合になおいっそう重要になると言ってもいいだろう。生命は、生命より重要なもののためにただ一度だけ使うことができる価値だからだ」
はい。
「NPCを生き長らえさせることも、生命以上の価値を実現させることもできないセッションで不快な経験をした」
「NPCを生き長らえさせることはなかったが、生命以上の価値を実現させることができた、よいセッションだった」
これで、「何かが違う」という問いへの答えも出たわね。必ずしも正解とは限らないけれど。
そして、『「救えないNPC」を出すことは許されるか?』が不適切な問いだとして、適切な問いとは何だったのか、という問いにも答えが示された。
もしGMが、「命を失わざるを得ないNPC」を出したいと望むなら……そのNPCにとっての「救い」とは何か、ということを考え、またPLに考えさせる。そして、考えた結果の行動をPLがとれるように支援をする。そうしたことの準備ができるようになるわ。
それをするときは、事前にPLとの了解が必要よ。誰だって無駄な努力はしたくないもの。それに、PCに無能の烙印を捺してしまいかねないからね。「今回は大体破滅します」という前提を共有した上で始めないと、禍根を残すことになる。
それもあるし、「救いがない」ことを提供するシステムを選定するという方法もある。「フィアスコ」がいいわね。このゲームでは当たり前のようにキャラクターが死亡するけど、その分、「いかにして救いようをなくすか」という点に頭を使うことになるわ。そんなとき、「生命以上の価値」という考え方が役に立つのよ。