【アサ3】イラショナル・ビリーフが自分を縛る?

文字数 1,847文字

前回、アサーションの狙いである「自己と他者の尊重の両立」を為すために、尊重とは何かということを考えて、「互いの自由を脅かさない」という結論に至りました。
とはいえ、自分自身が備えている自由について知らない人も少なくないのよね。
当たり前すぎて逆に気づかない、みたいなものですか?
そういう面もあるだろうね。そのせいなのかもしれないけど、自分自身の自由を奪っていることがとても多いのよ。
誰しも自縄自縛に陥ることはある。現在のアサーションの取り組みに至る背景として、アルバート・エリスの論理療法というものがあるんだけど、この中では、イラショナル・ビリーフが自分を縛っていると考えられていたの。
イラショナル・ビリーフ?
irrational belief、非合理的信念といったところね。
どんなものがありますか?

先に出てきたエリス博士は、イラショナル・ビリーフを3種類に大別したの。

ちょっと訳してみるけど、

1.「私は成功し、他人から承認されねばならない。そうでなければ私に価値はない」

2.「他人は『正しいこと』をせねばならない。そうでなければ彼らに価値はなく、また罰を受けるべきである」

3.「人生は安易でなければならず、不快や不便があってはならない」

「ねばならない」が目立ちますね。
元々の英語だと必ずmustが出てくるから、これらはthe Three Majors Mustsと呼ばれている。「三大『ねば』」くらいの意味でしょうね。
でも、「ねばならない」ってそんなに非合理的なんでしょうか?
常に非合理的とは限らない。「ねばならない」は常に非合理的である、という考え方を持つならば、それ自体が非合理的でしょ。

同様に、常に「ねばならない」と考えるのは、大抵の場合非合理的なのよ。

「この試験に合格せねばならない。そうでなければ人生オワタ」というのは、大抵の場合非合理的でしょ?

確かに。「360度全て道」ですもんね。

それで、こうしたイラショナル・ビリーフとは、どう付き合っていったらよいのでしょうか。

わざわざイラショナル・ビリーフという呼び方をするくらいだから、ラショナル・ビリーフ、つまり合理的信念もあるとエリス博士は主張したかったんでしょうね。イラショナル・ビリーフをラショナル・ビリーフに改めていくことを勧めているわ。
どうすればラショナル・ビリーフになるのでしょうか。
イラショナル・ビリーフの大きな特徴は「ねばならない」だったよね。この対極にあるものは何だと思う?
えーと、さっきは「とは限らない」「大抵の場合」というのが出てきましたよね。
そう。この他に、「であるにこしたことはない」というのもある。
さっきの試験の話なら、

「この試験に合格できるにこしたことはないが、不合格でも、大抵の場合人生オワタとは限らない」

がラショナル・ビリーフということですね。

そういうこと。
それにしても、イラショナル・ビリーフが自分自身の自由を奪うというのは、どうしてそうなるんでしょうか。
感情についてのイラショナル・ビリーフというものもあるの。

「軽蔑されたら憤らねばならない」

みたいなのね。でも、もしこうした信念を抱えたままでいたらどうなるかしら?

軽蔑されるたびに必ず憤ることになりますね。
それって、同じインプットに同じアウトプットを返しているわけだから、プログラムされたロボットと一緒よね。
なるほど、それは自由ではないですね。
ここで「憤らないこともできる」という選択肢を得られれば、それだけ自由の幅が広がることになるわけ。
「憤らないこともできる」なんですね。「憤ってはならない」では、「ねばならない」の向きが逆になっただけだから。
そう。憤るにせよ、憤らないにせよ、それらは自分で選択できるのよ。
でも、どちらも選択できるとなると、迷ってしまいます。
それでも一定の指標はあるわ。

イラショナル・ビリーフの5つの特徴の中には、「あなたの目標達成を妨げる」がある。裏を返せば?

自分の目標達成を助ける選択ができる!
そう。それがラショナル・ビリーフの意義。
そうかあ。それにしても、ラショナル・ビリーフを持つのって、容易ではないんですね。
そうね。「楽に今日を終えたい 楽に味方をつけたい」みたいな願望は、イラショナル・ビリーフとされることになるからね。
あと、このイラショナル・ビリーフとラショナル・ビリーフ、TRPGとはどんな関係があるでしょうか?
ちょっとここまでが長くなりすぎたので、次回にしましょう。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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