【アサ2】「自己と他者の尊重」って?

文字数 1,657文字

前回は、自己の尊重と他者の尊重の両立を図るのがアサーション、といったお話でした。
といっても、尊重って具体的に何をすることなのかしらね?
うーん……。
おっと、これは問いの立て方が悪いかもしれない。質問を変えましょう。

「自己の尊重と他者の尊重の両立を図る」というけれど、このために必要なものは?

「自己」と「他者」と「尊重」が明らかである必要があります。
じゃあまず、「自己」と「他者」から扱ってみましょう。

自己と他者を明らかにするにはどうすればいいかしら?

「ここまでが自己」「ここまでが他者」という線引きをします。

この区別がなかったら、「自己の尊重と他者の尊重」という前提それ自体が成り立ちませんから。

どういう基準で線引きするのかしら?
それは……身体でしょうか。「海はこんなに広いのに ボクの分はボクの体の分しかない」みたいな。
すると、今久恵里ちゃんが着ている服は、久恵里ちゃんの身体ではないから、もらってしまっても構わないわね?
嫌です! てか、それならせんせいの服だってせんせいの身体じゃないんですから、もらってしまっても構わないですよね?
ごもっとも(服を脱ぎ始める)
ああいや脱がなくていいです脱がないでください!
冗談はさておき(居住まいを直す)単に身体のみを自己とすると、社会生活上の不都合が色々出てくるということがわかったわね。財産の所有もままならなくなるし。
じゃあ、財産などの所有物も基準にして、線を引けばいいかな?
自己と他者を分かつ基準はもう一つあるんだけど、わかる?
まだあるんですか? わかりません。
なんでわからないの? 私にはわかるのに。
だって私はせんせいじゃないですし……あ。
そう。「精神」によっても分かれている。
自己と他者は、身体と、財産などの所有物と、精神で、分かれている……。
あ、中学校の社会科で出てくる自由ですね。

すると、「自己と他者の尊重」って、自由と関係がある?

そうとも言えるわ。だとすれば、身体・経済活動・精神について線引きされた自己と他者、それぞれに等しく自由があるのだから、その自由を脅かさない、脅かされないようにしていくことが尊重なんじゃないかしら。
あれ、なんか聞き覚えが……アドラー心理学の課題の分離がそんな感じでしたよね。
そうね。精神医療の分野だったらアドラーだけど、思想の分野だとJ.S.ミルの自由論のような、古くからある考え方よ。近年ではロールズやドウォーキンによって新たな批判が提唱されているけど。

なのでここからは、「身体・経済活動・精神の自由を脅かさない・脅かされない」ことが「自己と他者の尊重」であり、アサーションの狙いである、ということにして、話を進めていきましょう。

なぜ、「ということにして」がつくんですか?
他の考え方(例えば積極的自由の問題など)もできるからだけど、それを論じているとアサーションから遠ざかってしまうからね。どこかで区切りをつける必要があったの。
そういうことでしたか。

ところで、この「自己と他者の線引き」というものは、TRPGにはどう役立ちますか?

「自他の区別」を意識に入れておくだけでも、問題への対処はずっとしやすくなるはずよ。

・自分の「当たり前」は、他人の「当たり前」ではないかもしれない

・自分の行動は他人の自由を脅かしているかもしれない

・自分の自由が脅かされているかもしれないし、そうでないかもしれない

こういうことが考えられるようになるから。

なるほど。
さらに、自分の自由を尊重できるようになれば、自分の小ささに怯える必要もなくなる。虎の威を借りなくてよくなるの。
虎の威?
権威とかを振りかざして他人を支配しようとする態度は不要になるという意味よ。逆に、その場で他人にいいようにされて、後から文句を言うような態度も不要になる。
それじゃあ、自分の自由を尊重するためには、どうしていったらいいんでしょうか?
長くなってきたから、それは次回に譲りましょう。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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