第19話 ヘアカット

文字数 1,514文字

 初めて(けい)の勤めている美容室に向かった。ガラス張りでおしゃれな受付がある。こんなところで高校の同級生が働いているなんて、何だか不思議な気持ちだった。
「桜ー」と佳が走ってきた。
「佳」と桜は佳に抱きついた。
「ちょっと」と佳は笑う。
 学生時代は友達といつも一緒に笑いながら、体をぶつけたりしていた。
「今日はカラーとカットでいいですか?」と佳が聞くので頷いた。
「佳、私、結婚したの」
「ええ? 前に言ってたピアニストと?」
「そうなの」
「おめでとう」と佳の方が少し涙ぐんだような顔で言ってくれる。
「…ありがとう」
 佳に案内されて椅子に座る。髪の毛をボブにしてもらおうと相談している時に一樹からメッセージが届く。
『遅くなるから先に寝てていいよ。愛してる』
 通知欄にメッセージ内容が表示される。佳も思わず見てしまったようで「あらら」と言っている。
「可愛くするから、起きててよ」と佳は桜に言う。
「うん」
 佳といろんな話をしたかったが、さっき来た後輩のことを聞いて欲しかった。嫌な話は誰かにすると薄れるような気がしたからだ。佳は色々頷いたり、唸ったりしながら桜の話を聞いていた。
「桜は関係ないじゃん。いろんなこと全て。二人が悪いんじゃない? それに…ごめんね。学だって、あの子とデートしてるんだから、なんていうか、立派な浮気だと思う。相手に押されたとか、自分からとかそんなことはどっちでもいいんだけど」
「だから本当に好きだった瞬間はあると思う。でも…私も意地悪だから…同情かもって言ってしまった」
「まあ、死人に口なし…だからね」と言って、佳はハサミを広げた。
「あー、そんな私の意地悪なところを髪ごと切ってください」と桜が言うと、佳は「任せて」と笑った。
「そして思い切り幸せになって。でも東京に来てくれて嬉しい」と佳は言う。
「でも急に結婚したのはビザの関係なの。多分、春か初夏からドイツに行くと思う。たまに帰ってくるけど」
「たまに帰ってきたら、美容室予約して。ねぇねぇ。今日、晩御飯食べよう? 一人だけ予約入ってるから映画でも見て待ってて。だって旦那さま、遅くなるって言ってたでしょ?」
「え? いいの?」
「行こ行こ」と佳は嬉しそうに言うので、桜も嬉しくなった。
「…でもさ?」と髪を切りながら「妊娠って、そんなに簡単にするのかな?」と佳は言う。
「だって細工してたって言ってたし」
「どんな? 針で穴開けるやつ? 針とか持ち歩いてるの? それとも用意してたの?」
「そんな詳しくは分からないけど…」
「私がいたらよかったね。妊娠も堕胎も嘘だと思う」
「嘘?」
「嘘。エコー写真なんてどうとでもなるし…。『妊娠した』って、学には言ったと思うよ。振り向かせる手段として。でもさ…どうかな? 嘘な気がする。嘘っていうか、そう思い込みたいっていう…。まぁ、彼女のワールドではそれが真実になっているんだろうけれど」
「嘘が…真実?」
「だって思い込みが激しそうじゃん。その女」と言いながら軽快にハサミを髪に入れていく。
「たまにいるんだよね。私、芸能人と付き合ってるとかいう人。…イマジナリーフレンド? みたいな感じかな。でもそういう人にとってはそれが真実なわけじゃない?」
「赤ちゃん…いなかったのかな」
「と思うけど。いたとしても桜がどうこう思うことじゃないよ」
「…うん。学も悩んだかな」
 学は彼女から赤ちゃんができたって聞いてどう思ったんだろう。本当のところは分からないけれど、真面目な学は彼女と向き合おうとしてたような気がする。不器用だから二股も上手くできずに、連絡が途絶えてたからだ。
「でも…だからってねぇ」と佳がハサミを止めた。
 鏡にはすっかり短めのボブになった桜がいた。
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