第28話 夜の訪問者

文字数 2,813文字

 目の前のD Jがハイテンションで喋り続けて、一気にお知らせなんかを読み上げている。一樹はもう出番が終わったので眺めていた。
「はい、オッケー、お疲れ様です」と終了の指示が出ると、DJは長い息を吐いて、「お疲れーっす」と言った。
「お疲れ様です」と一樹も言って、スタジオを出ようとすると、「今日は元気ないですねぇ。奥さんの差し入れないからですか?」と言われた。
「あ…ちょっと忙しくて」
 雪で休校になった分の振替授業に、在校生の実技テスト、卒業試験、入試の実技試験と詰まっている。まだ入試は終わっていない。気がつけば、ほぼ毎日大学に通っていた。
「…そうですか。でも結婚、おめでとうございます。いやー羨ましい。僕も家に帰ったら…猫が癒してくれるんですけど…ご飯は用意してくれないし…」とぼやきながら立ち上がる。
「彼女は…今、ちょっと実家に戻ってて」
「え? 喧嘩ですか」
「違います。結婚式準備で」
「なんですか、また惚気ですか」と話しながらスタジオを出る。
「お疲れー」と山崎が声をかけてきた。
 ラジオ局のプロデューサーで今日は接待があるから、忙しいと言っていたのに、暇なのだろうか、と一樹は思った。
「接待先の人がインフルになってさ。ラッキーだったよ。今日は早帰り…」と言いかけて、一樹が誘いたがっているのを分かって、飲み込んだ。
「じゃあ、三人で飲みに行きませんか。僕、終わりなんで」とDJが言う。
 珍しいメンバーで飲みに行くことになった。
 ラジオ局の近くの居酒屋に入る。もうだいぶ遅い時間だったので、すぐに座れた。
「駆けつけ一杯っすね」と言ってビールを頼む。
「お疲れ、お疲れ。もう毎日、お疲れだよ」と山崎はおしぼりで手を拭きながらいった。
 お通しのきゅうりの漬物と枝豆がさっと運ばれる。ビールもすぐに来た。適当にDJが注文をしていく。ビールを飲んで息を吐く。
「最高っすね。仕事終わりの一杯が」
「本当だ。新婚早々奥さんが実家に帰って寂しそうだけど…大丈夫?」と山崎がきゅうりを齧りながら言う。
「あー、それで元気ないんですか?」とDJが笑いながら言う。
「忙しいのもあって」
「まぁ…かわいいもんなぁ。桜ちゃん」と山崎が言う。
「ぶっちゃけ結婚ってどうなんっすか?」
「結婚ねぇ…。悪くないよ。奥さんによるけど…」と山崎は言う。
「ザキさんところの奥さん、怖そうですもんねぇ」とDJが言う。
「怖くないよ。美人で、優しい」と山崎は訂正した。
「まぁ…美人」と一樹も言った。
「結婚かぁ…。縁がないなぁ」とDJは寂しそうに呟く。
「なんか考えてたより…よかった」と一樹が言うので、男二人が顔を覗き込む。
「え?」
「そんな言葉を桜木君から聞く日が来るとは」と山崎が驚いたように言っ
「僕自身もそう思ったけど…。一人も楽だけど…やっぱり…幸せな気持ちが大きいかな」と一樹は素直な感想を言う。
「えぇ。えぇ。えぇ。そんなこと言われたら、マッチングアプリに登録しようかな」
「やめとけ、やめとけ」と山崎が言う。
「ザキさんは上司のプッシュで娘さんと結婚したんですよね」
「まぁ…。紹介してやるから。俺の奥さんの伝手で」
「本当ですか? もう恋愛すんの面倒なんです。即結婚でお願いします」とDJが頭を下げる。
 そんな二人を見ながら、桜と結婚できた幸せを噛み締めていると、二人から「わ。気持ち悪い。笑ってる」と言われ、続けてDJからは「マウントっすか?」と言われてしまった。
「マウント…かなぁ。おすすめなんだけど…」と一樹が言うと、山崎は笑い、DJは「マウントっすよ」と怒る。
 そんな感じで気がまぎれる気楽な会合となった。

 帰り道は空に星が散りばめられている夜だった。桜から写真が届いている。神社の写真と、衣装の写真。桜が着ているわけではないが想像するだけで、胸が高鳴る。
「ありがとう。愛してる」とメッセージを送る。
 すぐに既読がついて「大好き。お帰りなさい。お家に着いたらお電話くださいね」とメッセージが帰ってきた。
「ねぇ、桜、誰か独身の友達いない?」とメッセージを送る。
「え?」と可愛いハムスターが困っているのようなスタンプが送られてきた。
「いつも一緒に仕事してくれてるDJの人が結婚したいんだって」
「美容師している佳がいますけど…結婚は…どうかなぁ。DJさんだったら、話合うかなぁ。アイドル好きみたいで。でもどうしたんですか? 急に」
「桜と結婚して幸せだから…彼もそうなったらいいなって思って」
 ハムスターが照れているスタンプが届く。
「そう言ってもらえて嬉しいです」
 メッセージを送りながら、家まで帰る。暗い夜なのに玄関先に一人の女性が立っていた。
「あの…」と一樹が声をかける。
 見たこともない女性だったのに、急に抱きつかれた。
「ちょ…と」と言って、腕を解こうとするが、すごい勢いなので、簡単には離れない。
「誰?」と強めに押した。
 ようやく離れたが、よろめいて地面に座り込む。これ、暴行罪とかにならないかな、と一樹は思った。即警察に連絡した。警察に電話した後も別に逃げるわけでもなく、座り込んだまま、一樹を見ることもない。
 十分ほどで警察が自転車で来てくれた。
「あの…知らない人が来て、いきなり抱きついてきたので…押してしまって」
「あぁ、ちょっとお嬢さん、いいですか? お名前教えてください」と言いながら、立たせる。
「…」
 警察の問いにも答えず、黙っている。一樹が自分の個人情報を話している間、ずっとぼんやり立ち尽くしているだけで、何も発することがない。
「全く見覚えがなくて」
「学校の生徒とかではないですか?」
「いえ…。小さい学校なんで…。大体顔は把握が付きますけど…」
「そうですか…。じゃあ、一旦、こちらで引き取りますね」と言って、後から来た警察車両に乗せて行った。
 車両を見送ってから、家に入る。鍵はきちんとかかっていた。なんとなく気味が悪いが、全く記憶にない。手を洗って、コーヒーを淹れようとすると、桜から電話がかかってきた。
「お帰りなさい。もう家に着いたかなって思って」
「あ…ごめん」と言って、桜に言うべきか迷った。
「何かあったんですか?」
「あ、うん。知らない女性が立ってて…」
「え?」
「それで警察に来てもらったんだけど」
「警察…」
「名前も言わないし…、ちょっと困って」
「一樹さんのファンじゃないですか?」
「うーん」と唸りながら、一樹は黙りこんでしまう。
「一樹さん、お疲れでしょう? 今日はゆっくり休んでくださいね」と桜が言って、今日は早めに電話が切れた。
 一樹はお湯が沸いていたのを止めて、考え込んでしまう。桜がいない時でよかった、と思う。もし何かあったら、と考えるとこの家にセキュリティをつけるべきだった、と後悔する。しばらくはドイツに行く予定なので、どうしようか、と思いながら、一樹はコーヒーを淹れる。
 守るものがあると言う責任感が出てくる。これも初めての感情だった。
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