第26話 里帰り

文字数 2,841文字

 桜は実家に帰ると、母から結婚おめでとうとすぐに言われた。もう店を閉める作業をしているところだった。父は先に風呂に入るといって、二階へ上がって行った。
「本当は…もう少し後にしようかなって思ってたんだけど…。ビザの関係で」と桜も閉店作業を手伝う。
「良いのよ。なんでも。お父さんは…まぁ…ちょっと荒れてたけどね」
「えー?」
「荒れて、唐揚げ弁当も焼肉も全て大盛りだーって」
「それってお祝いしてくれたんじゃ…」
「やけになってね」と母は笑った。
 冷蔵庫にきちんと明日の分の材料が並べられている。
「お客さんは喜んでくれた?」
「そりゃあ、もう。桜が結婚したって言ったから…。あの小さかった子が? なんてね。向井さんなんて、いつまでも小さい桜だと思ってるのよ」
 向井さんは小さい頃によく遊びに行っていたお家だった。そこの犬を触らせてもらいに行っている間に、いつの間にかそこのおばさんとも仲良くなった。中学に入ってからは流石に遊びに行ってはいないが、桜のことをいつも覚えていてくれて、道で会うと話しかけてくれる。
「いつも綺麗になったねって言ってくれるの」
「そうねぇ。…向井さんとも話してたけど…。子供なんてあっという間に大きくなっちゃうって」
「そうかなぁ」
「そうよ。いつまでも小さいままでって言うわけには行かないし…。私、仕事なんてせずにもっと桜と時間を過ごせばよかったって後悔してるの」
「そんなことないよ。お家で働いてくれてたから、すぐに顔も見れたし、おやつも一緒に食べてくれたし…」
「小さい時は桜をおんぶして働いてたのよ。それも…もっとしてあげたかったけど。お父さんが危ないって。桜に油でも跳ねたらどうするんだって。で、近くに住むおばあちゃん家にお願いしてね…」
「私…覚えてる。お母さんの背中からお弁当のケース見てた」
「そうなのよ。よく涎垂らしてたから…。背中がべっとり濡れて…冷たくなってね。この子、食べたいのかな? って思ってたのよ」
「その話は一樹さんにはしないで」と桜は慌てた。
 今でも食いしん坊だと思われているのに、それがさらに酷くなる。
「お父さんは桜に甘いし…。ちゃんとやっていけるか心配だけど。一樹さんだから…大丈夫ね」
「うん。優しいし。赤ちゃん…本当は早く欲しいんだけど」
「えぇ? 私、おばあちゃんになっちゃう」と母が驚いた顔をする。
「あ、でもしばらくは…。ドイツに行ったりするから…無理かなって」
 そんな話をしていると、父が下に降りてきた。
「桜、しばらくこっちにいるんだろう? コロッケ用意してるから。ゆっくりしていけ」
「まだ決めてないけど…」と言ったものの、父が寂しそうに見えるので最後まで言えなかった。
「お父さん、明日、桜と衣装を決めに行きますから。お店お願いしますよ」
「あぁ…わかった」と言ったものの、しばらくじっと桜を見て「帰りたかったらいつでもすぐに帰ってきて良いからな」と言う。
「うん。ありがとう」と桜は言う。
「お父さん、桜に赤ちゃんが…」と母が言いかけた時、父の顔が固まった。
「な…」と言って、微動だにしない。
「お父さん…違うの」と桜が慌てて否定する。
「できたら良いなぁ…っていう話よ」と母が呆れたような顔で言う。
「え? なんだ」と呆気に取られたように言う。
「立派なおじいちゃんになってくださいね」と母は笑いながら言った。
 多分、母はわざと言ったに違いない、と桜は思ったけれど、父親から溺愛されているのが分かって、なんだかくすぐったかった。父親は「揶揄うな」と行って、二階へ戻っていった。
「あー、しばらくは遊べそう」と母が笑っている。
「お父さん、ちょっと可愛そう」
「何よー。少しくらい良いのよ。いつまで経っても…溺愛しちゃって。孫が女の子だったら、また溺愛しそうだわ」と楽しそうに話す。
「早く赤ちゃん欲しいなぁ…」
「まぁ…しばらくは二人の生活を楽しみなさい。子供は可愛いけど、大変なのよ」
「うん」と桜は言いつつも、男の子か、女の子か想像して楽しみになってしまった。

 夜に桜は一樹に電話してみた。
「桜…。元気にしてる?」
「はい。一樹さんは?」
「淋しい」
「え?」
 そんなことを言われるとは思ってなかった。
「ずっと桜がくっついてたから、それがなくなるとものすごく…淋しくなった」
「あ…。ごめんなさい。ウサギのサクラを一緒にベッドに連れていってあげてください」
 随分前に白いウサギのぬいぐるみを買って、サクラと名づけていた。
「あのサクラじゃ、足りないんだけど」
「えー。一樹さん、今日は随分…」と言いかけて、なんだか父親に似ている部分を感じた。
「何?」
「素直に気持ちを言ってくれて嬉しいです。私もすごく淋しいです。でも明日衣装合わせ行ってきますね」
「うん。本当はゆっくりしておいで…って言えたら良いんだけど、早く帰って来て欲しい」
 桜は本当に驚いた。そんなことを一樹が言うなんて思ってもみなかったからだ。
「たくさん、お土産買っていきますね」
「いらないから。早く会いたい」
「そう言っても…一樹さん、今週忙しいって…。来週から試験も始まって、入試も始まるからって」
「まぁ…そうなんだけど。どこでもドアがあったら良いのにね」
「そんなこと一樹さんが言うなんて」と流石に桜は足をバタバタさせてしまった。
「何? なんの音?」
「なんか嬉しくて、足をバタバタさせてしまいました」
「あー」と一樹が言うので、桜は「どうかしましたか?」とベッドの上で正座する。
「すごく想像できて、本当に早く会いたい。この目でみたい」
「一樹さん…まだ一日目ですけど…」
「そうなんだ。恐ろしいことに」と一樹が沈んだ声で言う。 
入試が終わるまで桜はこっちにいようと思っていたので、どうしたら良いのか迷ってしまった。
「じゃあ、山﨑さんと飲みに行ったらどうですか?」
「そう思ったんだけど…。そしたら桜と電話できないし…。それは耐えられないから」
「一樹さん…。じゃあ、朝、電話しましょうか?」
 なんだか駄々っ子を宥めるような気持ちになってきたが、それが嬉しいし、桜は本当に今すぐ側にいてあげたいと思った。本当にどこでもドアがあれば、と桜も思って、電話はだらだらと続いて深夜になる。
「じゃあ、切りますよ」
「うん。桜から切って」
「え、それはできません。私は大丈夫だから、一樹さんから切ってください」
「大丈夫って…」
「もう、切りますよ」と笑いながら、桜は「おやすみなさい」と言った。
「おやすみ」と一樹も言ったが、なかなか切りそうにない。
「同時に切りましょう。三、二、一」と言って、桜は切った。
 一樹が切ったかは分からないけれど、桜は切った。そうしないと、明日の授業に影響が出ると思ったのだ。でもちゃんと一樹はピアノの練習はしているようだった。
 ピアノには絶対、敵わないんだなぁ、と桜は思ったけれど、今日の電話は愛されてることが伝わってきたので、くすぐったいような嬉しい気持ちで眠った。隣にはウサギのぬいぐるみのカズキさんがいた。
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